さつま芋と私

 私は家庭菜園で、毎年さつま芋を植えることにしている。
それ程、さつま芋が好きだからではないが、不思議な郷愁が付きまとうからだと思う。
さつま芋は、子供の頃私を育んでくれた命の糧だから。

 昨日、戦時中お世話になった長崎の大家さんに、我が庭菜園で取れたさつま芋を感謝の気持を込めて送った。その大家さんとは、戦時中お世話になった方で、60有余年過ぎた今でもお付き合いをしていただいているが、いつも話題になるほど“さつま芋”は思い出深いものになっている。

 当時長崎の国民学校4年の頃だったが、学校では授業はそっちのけで、毎日毎日鍬を担いで野原を開墾してさつま芋つくりをさせられていた。
今の子供達に出来るだろうか。多分noだと思う。
その時の弁当は、何だったんだろう?今となっては思い出せない。
もしかしたら、さつま芋だったかも。

 終戦前後は、正にさつま芋様様で、私はさつま芋で育ったようなものである。
学校から帰る途中、農家の庭先に干してある「ゆでた干し芋」を、空腹に耐えかねて、周りの目を盗んで二切れ三切れつまみ食いしたときの美味しかったこと。
その味は今も忘れられない。

 いよいよ食べ物が底をついた時、母が農家から芋の蔓をももらってきて、それを細かく刻んで団子にして食べさせてくれたのを覚えている。
決して美味しいとは思輪なかったが、その時の満腹感だけは覚えている。

 そんな思い出が一杯のさつま芋であるが、今では焼き芋&焼酎と変わった形で愉しませてもらっている。さつま芋さん 有難う!
そして、当時つまみ食いを黙認していただいた大家さん、近所の皆さん、大目に見ていただいて有難うございました。
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by matutaka31 | 2008-12-10 09:58 | Trackback | Comments(4)
Commented by tenpai8 at 2008-12-10 21:20 x
全く同じ想いですね。 戦中戦後カライモのお陰で丈夫に成長することが
出来ました。「昔サツマばかり食べさせられたので、ダイキライ」という人もいましたが、この味をキライナ人は、味覚障害 でしょう。今も私は熊本産「大津市カライモ」を主食のように愛しております。お陰さまで大腸検査では「青年の大腸」と医師にほめられています。
益々カライモの美味しい季節、頑張って食べましょう!
Commented by 深澤廣子 at 2008-12-10 22:19 x
すごい量の収穫でしたね。種類もちがうみたいで・・・。 肥料はあまりいれないほうがよいそうですが
むつかしいものですね 実際つくってみました。上のアドレスの中のママの部屋ブログにのせてますが 虫食いもあり。とてもかないません。
味はよかったです。もう少し量が欲しかった。トホホ・・・
ところで 今年は菊がでませんね。
Commented by matutaka31 at 2008-12-11 10:52 x
tenpai8さん さつま芋は、いつの日か日本人の救世主になる日が来るかもしれませんね。私はそんな予感がするのです。
最近のさつま芋は、品種改良が進んで、本当に美味しくなりましたね。
ある時期、ガス発生器と揶揄されたものですが、今では健康食品として、特に女性に人気がありますが、男性ももっと食べるべきでしょうね。(^。^)
Commented by matutaka31 at 2008-12-11 11:08
深澤廣子 さん お久しぶりです。
品種は紅東、鳴門金時、紫芋、黄金せんがん、人参芋5品種です。
肥料は最初は全くやりません。蔓が50cm位伸びた頃、畝の横に油粕を少々振りかけて土寄せをする程度です。甘味が出て美味しくなるとのことです。
 貴方のブログ「ままの部屋」見ましたよ。
随分たくさんいろんなものに挑戦していますね。すばらしい!
これだけたくさんの園芸を手がけていると、結構忙しいでしょうね。

今年の菊は、天候異変のせいか、手入れ不良のせいか、いずれにしても出来があまりよくなかったので、アップを諦めていました。
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