私は家庭菜園で、毎年さつま芋を植えることにしている。
それ程、さつま芋が好きだからではないが、不思議な郷愁が付きまとうからだと思う。
さつま芋は、子供の頃私を育んでくれた命の糧だから。
昨日、戦時中お世話になった長崎の大家さんに、我が庭菜園で取れたさつま芋を感謝の気持を込めて送った。その大家さんとは、戦時中お世話になった方で、60有余年過ぎた今でもお付き合いをしていただいているが、いつも話題になるほど“さつま芋”は思い出深いものになっている。
当時長崎の国民学校4年の頃だったが、学校では授業はそっちのけで、毎日毎日鍬を担いで野原を開墾してさつま芋つくりをさせられていた。
今の子供達に出来るだろうか。多分noだと思う。
その時の弁当は、何だったんだろう?今となっては思い出せない。
もしかしたら、さつま芋だったかも。
終戦前後は、正にさつま芋様様で、私はさつま芋で育ったようなものである。
学校から帰る途中、農家の庭先に干してある「ゆでた干し芋」を、空腹に耐えかねて、周りの目を盗んで二切れ三切れつまみ食いしたときの美味しかったこと。
その味は今も忘れられない。
いよいよ食べ物が底をついた時、母が農家から芋の蔓をももらってきて、それを細かく刻んで団子にして食べさせてくれたのを覚えている。
決して美味しいとは思輪なかったが、その時の満腹感だけは覚えている。
そんな思い出が一杯のさつま芋であるが、今では焼き芋&焼酎と変わった形で愉しませてもらっている。さつま芋さん 有難う!
そして、当時つまみ食いを黙認していただいた大家さん、近所の皆さん、大目に見ていただいて有難うございました。