64年目の8月15日

 はや64年過ぎた8月15日。当時私は国民学校5年生。
 学校では、木製の模擬銃を担いで分隊行進の訓練を受けたり、慣れない手つきで野原を開墾してさつま芋つくりをさせられたりした記憶ばかりで、教室で勉強した記憶がほとんどない。

 そして8月15日、ガーガー雑音交じりの玉音放送を聴いたが、ほとんど意味が判らなかった。でも、その場で戦争が終ったことを親に教わった。

 先日、64周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に長崎を訪れた機会に、私が当時過ごした長与町立長与小学校(当時長与国民学校)を64年ぶりに訪ねた。
 校舎は当時の面影はなかったが、校庭のマキノ木とイチョウの木(2代目)がそのまま残っていた。
 64年ぶりの巨木との対面に感激!
 その木の周りでみんなとコマ回し等をして遊んだ、楽しかった記憶がと蘇ってきた。
 そうだ、ここで休み時間はみんなと楽しく遊んだな~。
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 そしてまた、当時ガキ仲間と泳いだ小川、兄や友達とハヤやフナを釣った小川も、今ではコンクリート護岸で当時の自然の面影はなかったが、楽しかった日々がタイムスリップしたかのように蘇ってきた。

 当時お世話になった大家さんのご家族と、当時の思い出話に花が咲いた。
 食べ盛りの私は空腹を満たすために、道端に干してある切り芋をつまみ食いしたり、道端のみかんを失敬したり、山に入り木の実を採って食べたり、食べられそうなものは手当たり次第に口に入れて飢えを凌いだ記憶がつい先日のように蘇る。
 家のそばの猫の額みたいな空き地に、大根の種を蒔いて育てた記憶もある。

 そんな子どもの頃の体験が、学生時代から現職の時代を通じて国内食料自給率の向上に執念を燃やし続けた動機に結びついたようで、私の今の家庭菜園に励む原点があるように思う。

 国内食料自給率が40%に満たない現実、仮に何らかの事情で食料の輸入が途絶えた場合、国内でどんなひどいパニックになるだろうかと思うと、戦中・戦後の食料難を思い出しゾッとする。
 単なる絵空事では済まされないような気がする。

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by matutaka31 | 2009-08-16 09:41 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)
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Commented by よこはまT at 2009-08-16 14:18 x
心の中の、子ども時代のご自身にお会いになっていらっしゃったのですね。
幼いころの思い出は鮮明で、その当時の感性でしっかり残っているものですよね。
大人になり時間を重ね、それらについて、大人の理性で眺めた時、いろいろと視野が広がって違うものが見えくるのは、不思議な体験ですね。

子どもは、ありのままをみせてもらい、その時の自分の感性で、じっかり記憶しておくものなんだと思います。
そして、必ず脳裏に残っていることについては、大人の自分がしっかりと検証する!

食料の自給率については、私も危機感を持ちますが、発想を変えれば、世界中の国と仲良くすることで乗り越えていくことも大事なことですね。
世界が平和にということです。
Commented by matutaka31 at 2009-08-16 22:04
幼い頃のいい思い出が、その後、当時の人と人との絆を強める。そんなことを実感するようになったのは、充実した今の生活をより充実させたいとの願いからではないかと思ったりしています。

私が気になることは、日本人が世界一食べ残しの多い国民だという汚名を着せられていることです。平和ボケしてしまっている日本は、もっと食糧問題の危うさに気付くべきでなないでしょうか。

ちょっと堅い話になってすみません。<m(__)m>


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