最近、「隣組」って何だろう!と思うことがしばしばある。
かって、「向う三軒両隣」と言う言葉の通り、隣近所はお互いに助け合う風習が脈々と息づいていたように思う。
ところが最近深刻なのは、生垣や塀で仕切られた物理的な垣根ではなく、そこに住む人の心に大きな塀ができて隣と断絶状態が続くことである。
そのような社会現象の中でいろんなトラブルが生まれているようであるが、そのトラブルの一端を
《回覧板》に見ることが出来る。回覧板は、地域の情報を共有する手段であると同時に、隣同士のコミュニケションの一手段だと思うけど、逆にトラブルの引き金にになるケースにもなっている。
どんなケースかと言えば、 留守の間滞ってそのあとの人が迷惑を蒙ったとか、 無理やり郵便受けに押し込んためその中にあった郵便物が箱外に押し出されて雨にぬれてしまったとか、 何回もピンポンを鳴らされてうるさがられた等々。手から手へ、フェイスtoフェイスがなくなったことが原因で起こってしまうトラブルである。
他にもいろんなトラブルがあるような話を耳にする。 中には、郵便受けに入らないので、直接手渡ししようと思いピンポンを鳴らしたが反応がないので、念のため何回かピンポンを鳴らしたところ、後日、
迷惑だから鳴らさないでくれくれと隣から手紙が来たという・・・、なんともお寒い人間関係の世の中になったものだ。
回覧板は、今の情報過多時代においては、よく読まないで形だけの回覧になっているきらいがあるが、・・・でも
《隣組》はやはりこうでなくっちゃ、と思うのは私だけだろうか。
懐かしい歌