反戦・反核・終戦は季語ですか

 先日新聞で、“反戦・反核・終戦は季語ですか”と、小学生が質問したという小さな記事を目にした。
 確かに、夏になると新聞・テレビ等でこの文字を目にする機会が増えるので、戦争・原爆被爆を知らない世代の子供たちにとっては、季語に映るのかも知れない。笑って済ませる話ではない!

 私は常に思うのだが、反核・反戦を唱えかつ行動している大勢の人達がいるにも関わらず、この時期に集中した報道の実態そのものが戦争や原爆被爆体験が風化している日本の姿を映し出していることに他ならないと。

 昨夜テレビドラマ 「歸國」をみた。(歸國を帰国と読めない世代も多いのでは?)
 南方の海でさまよう英霊が、65年ぶりに集団歸国して、祖国日本の発展ぶりと人間の絆・家族の絆の崩壊ぶりに驚きと憤りを抑えきれないシーンが続く・・・・。
 一人が言った、「日本は豊かになった、しかし日本人は貧しくなった」と。
 それは65年間見続けてきた我々の目にも納得できない今の日本の姿を冷徹に描いていて、終いにはなんとも重苦しい気持ちなってしまった。
 フィナーレは、 「人は二度死ぬ」 、「一度目は息を引き取った肉体の死、そして二度目はその人がが忘れ去られ、語られることがなくなったとき」と言われた英霊達が激怒する場面。

 冒頭の「季語」の話もそうであるが、日本の被爆・終戦65周年、まさにそのことが忘れ去られようとしている日本の現状は、その多くの犠牲者を二度目の死に追いやることになってしまうだけでなく、日本が戦争で失ったもの、そして戦争体験で得た貴重な教訓そのものを忘れ去ってしまい、日本そのものが二度目の死を迎えることになるのではないか。
 もしそうなった場合、生まれ変わった日本はどのような姿になるのだろうか。
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by matutaka31 | 2010-08-15 10:13 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)
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