被爆稲の穂がやっと出た

 作り続けて5年目になる被爆稲、今年もやっと穂が出た。
 被爆証人として、命ある限り被爆体験を後世に語り継がなければならない・・・そんな思いを込めて、鉢植えの被爆稲を居間のすぐ前の庭に置いて、この目で毎日見守っている。

 今年は蒔いた籾をスズメに食べられ、蒔き直しをしたので種蒔き時期が遅れてしまって、あわや種を絶やしてしまうのではないかと心配する場面もあったが、何とか出穂までこぎつけた。
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 8月9日、「被爆65周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参列した時出会ったある被爆者の方から聞いたことだが、爆心地周辺には、被爆当時まだ田圃が残っていたそうだ。
 被爆の前かその前の年だったと思うが私は、入院していた母の見舞いに爆心地に近い長崎大学病院に何度か行った記憶があるのだが、その周辺に田圃があったかどうか記憶がない、・・・。
 その長崎大学病院近くの田圃で生き残っていた稲の種が65年経った今でも、多くの心ある人たちによって作り継がれている。
 その生き残りの一部が、この65代被爆稲である。
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           私の原爆体験
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by matutaka31 | 2010-09-07 17:45 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)
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Commented by taminamikawa1 at 2010-09-07 20:28
終戦年の5月まで、諫早に住んでいましたが、
空爆もひどくなり、実家の佐賀に帰りました。
5歳の年齢では、戦争の記憶にありますが、
原爆については知りませんでした。
原爆の恐ろしさ、悲惨さ、凄惨さを実感しましたのは小学校6年時の修学旅行で長崎に行った時です。
平和の大切さを後世に引き継いでいかなければならないですね。
その実践として、被爆稲を作っておられ、
5年目にして、稲穂が出たんですね。
matutaka31さん の実践に頭がさがります。
何事も、あきらめない心が大切ですね。
Commented by matutaka31 at 2010-09-07 22:03
taminamikawa1 さん 被爆の悲惨さを実感するには、やはり現地に行って、自分の目で確かめるのが一番ですね。
そうゆう意味では、オバマ大統領が広島・長崎へ来るのが、核廃絶への近道だと思います。

私の書き方がまずくてすみません。5年目にして穂が出たんじゃなくて、毎年穂が出て作り継いでいるのです。でも今年はスズメに種籾を食べられて、作り継ぐことが出来ないんじゃないかと心配したのです。
そのうえ苗を作ったのが何時もより遅くなり、果してまともな穂が出るだろうかと気をもんでいたのです。
Commented by hibochan at 2010-09-08 08:12 x
なんと生命力のある稲だと感心しました。
空前絶後の体験平和ボケしてる私は 頭を下げるのみです。
40年ほど前長崎へ訪れかすかに大浦天主堂が記憶にあります
一度古いアルバムをひも解き平和の大切さを実感したいなとも思います。
Commented by matutaka31 at 2010-09-08 10:14
hibochan さん 私は、この物言わぬ生き証人から、“忘れてはだめだよ!後世に語り継がなければ・・・”と暗黙の叱責と元気をもらっています。

ところで御地は、今日あたり恵みの雨が降りそうですね。
Commented by dojyou38 at 2010-09-09 15:46
被爆稲がアクシデントを乗り越えて穂を付けたとの事、おめでとうございます。
これで、また来年へ引き継ぐ希望が出来ましたね。

それにしても被爆から65年脈々と命のリレーをしながら、
被爆体験をmatutakaさんたちの努力に経緯を評したいと思います。
そして、オバマ大統領が一日も早く広島・長崎を訪れることを願っています。
Commented by matutaka31 at 2010-09-09 21:40
dojyou38 さん ありがとうござます。
1年また1年と、核爆弾に対する私自身の意識を風化させないためにも、被爆稲のリレーを続けたいと思っています。


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