先日、生前お世話になった先輩の葬儀に行った。
予め内々の葬儀だと連絡を受けていたので、家族葬だと承知のうえでお見送りをさせてもらった。
葬儀は文字通り、ご家族と私のように押しかけた数人だけの静かで寂しいお見送りであった。
最近、今までの葬儀屋任せの葬儀から、自分の身の丈にあった葬儀や、いろいろ工夫した合理的な葬儀を行う事例が増えているという。
当然の成り行きだと思う。
私たちの仲間うちで、最近葬儀のことが話題になることがある。
そんな時つい私も、葬儀屋の言うなりになると予想外の費用が嵩むので、家族だけの葬儀にして欲しいとか、本当にお別れを惜しむ人だけに送ってほしいとか、威勢の良いことを言ってしまう。
でも、そんな話は元気だから言えることであって、いざ死んでしまうと本人は何も口出しできないのだ。
生前、家族と良く話し合っていたり遺書に認めている場合であっても、葬儀を取り仕切るのは、残された家族であり親族なのだ。
家族葬に初めて参列して、仮に自分が家族を送り出す立場になった時、果たして今思っているとおり家族葬で送る決断ができるだろうか、・・・と考えてしまった。
きっと、身内だけでなく、お世話になった人たちと一緒に送ってやりたくなるに違いない。
最近家族葬が増えているのは、多分、長患いをしている間に、家族がもしものときに備え、あれこれ考える余裕があったから決断できることではないだろうか。
秋の夜長、いずれ避けて通れないこと、家族と一緒にあれこれ考えてみよう。