65代目の被爆稲を収穫

 65年前の8月9日、長崎医大病院側の田んぼで生き残った稲の子孫が、私の手元で65代目を迎えた。
 「あの悲惨な被爆体験を絶対風化させてはいけない!命ある限り、被爆証人として、被爆体験を後世に語り継がなければならない。」
 そんな思いを込めた被爆稲が、無言の生き証人として今年も生き延びた。
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 去年、私のブログに書いた被爆稲をご覧になった方から 「被爆稲はどんな味がしますか」との質問を受け、ハッとした。
 そこまで考えが及ばなかったから。
 食べるほどの量を作っていないのが事実だが、果たしてDNAは異常ないのかと、かすかな疑問が食べてみようという動機を抑えていたに違いない。

 この被爆稲、品種改良されることなく65年前の品質をそのまま受け継いだ稲である。
 今、市場に流通している米は絶え間ない品種改良を加えられた美味しい米だから、これらに比べると美味しいはずがない。
 しかしこの被爆稲は、65年前に日本人が食べていた米そのものなのだ。
 当時の米の味はどんなものだったろうか・・・妙な興味がわいてくるが・・・。

 でも私にとって被爆稲を作り継ぐことは、物言わぬ生き証人をそのままの姿で後世に伝えることであり、私自身の被爆体験を風化させないで語り継ぐ一手段だだから。 
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by matutaka31 | 2010-10-15 11:51 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)
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Commented by hibochan at 2010-10-16 07:40 x
65年目しかも爆心地での米 生命の強さを感じます。
我が家では 親から引き継いだ田畑がありますが田んぼには 手が出せず専業農家の方に頼み米だけ頂いてます。
九月の半ば手元に届きましたが未だ手をつけません。
年々米を食べなくなってるようです。
Commented by matutaka31 at 2010-10-16 09:55
hibochan さん お陰さまで今年も無事収穫できました。
 高齢化の進行と異業種就労で、米作を諦める人が増えているようですね。
 食糧自給率40%の日本の将来が不安になります。
 私の兄も、いつまで米つくりを続けられるか、悩んでいます。
Commented by tenpai8. at 2010-10-16 18:06 x
matutaka31 さん、折角の収穫ですから、種籾を残して試食をしては如何でしょうか。戦後の食糧難の時代と同じ方法で。先ず籾摺り、玄米にしてからは、調理法は色々ありますね。戦争当時に熊本では品種はタカラという品種が支配的でしたよ。味は当時では第一です。他に対抗できる品種は無かったようです。60年前の記憶はハタシテ・・・???
Commented by matutaka31 at 2010-10-16 20:42
tenpai8さん 被爆米の試食会、面白いですね。
どなたかに栽培を委嘱して、65年前の米を味わうのも戦争と被爆体験を風化させない、忘れられないイベントになること間違いないですね。
Commented by taminamikawa1 at 2010-10-18 22:03
65年前の被爆稲を今もって育てられておられる事に驚きますと同時に感服と申しますか、脱帽です。
多分、65年前の被爆稲を絶やすことなく継続されておられる方は、いらっしゃらないのではないでしょうか。
貴重な被爆稲ですから、是非、後世に引き継いで行ってください。
Commented by matutaka31 at 2010-10-18 22:26
taminamikawa1 さん 自分の被爆体験そのものが、ややもすると当時の生々しい記憶が遠ざかりそうになります。
 被爆体験を後世に語り継ぐためにも、その生き証人を側においておきたいのです。


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