亡き父の一言

 この時期、なぜか思い出す、亡き父の一言
 終戦直後の昭和20年夏(もう66年も前のこと)、国内に収容されていた連合軍の捕虜が帰国のため、臨時列車で長崎に集結したときがあった。
 鉄道沿線に住んでいた私たちは、その臨時列車が通るのを線路沿いに待ちうけ、一斉に手を振る。
 そして車窓から投げられるキャンディーやチュウインガム、砂糖等いろんな食べ物を争って拾う。
 最近テレビで放映される、開発途上国でよく見られる光景と同じこと。
 
 当時は極端な食糧難でお菓子等嗜好品はめったに手に入らない時期だから、子供たちは争ってそれを拾い集める。
 惜しげもなくどんどん投げる彼らの思いは何であったか、子供の私達に推し量ることが出来るはずもない。
 あるとき小箱に入った砂糖を、喜んでもらえると思って、得意顔(戦利品のつもり)で家に持ち帰ったときのこと。
 それを見た父が凄い剣幕で怒った。
 そんなものを拾って来るなっ!捕虜たちはお前達が拾うのを写真に撮っているんだぞ” 
 当時10歳だった私には、思いもしなかった一言だった。
 
 その後、そのことについて父と話をした記憶はないが、軍人上がりの父の気持ちは「戦争に負けたとはいえ、賎しいことはするな。日本人の魂・心は捨てるな・・・」と言いたかったのだと思う。
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by matutaka31 | 2011-02-12 11:06 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)
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Commented by hibochan at 2011-02-13 08:00 x
この話解るような気がします。
誘惑は 多いですが
いつまでも日本人の心は 持ちたいもの
Commented by ippu at 2011-02-13 08:40 x
おはようございます。
≪“そんなものを拾って来るなっ!捕虜たちはお前達が拾うのを写真に撮っているんだぞ”≫
私の父とmatutakaさんのお父上とは同じような年齢だったはずで、同様なことを言われました。
彼等は、右へ投げるふりをして左へ投げ、遠くへ投げるふりをして手前へ落として喜んでいましたね。
Commented by matutaka31 at 2011-02-13 10:01
hibochan さん
「親父の説教と冷酒は、後で効いてくる」の例えでしょうか。
多くを語らなかった親父の気持ちを大切にしています。
Commented by matutaka31 at 2011-02-13 10:07
ippuさん
彼らは、今のボランティア活動精神とは全く次元が違う気持ちで、惜しげもなく投げ与えて喜んでいたのでしょう。
今の子供達には、理解しがたいことでしょうね。
Commented by dojyou38 at 2011-02-14 00:11
私は田舎育ちだったので、このような体験はありませんが、
その場に居たら多分拾って帰ったでしょうね。
戦前に育った大人は戦争に負けても凛とした心を持っていたのでしょう。
今それを教える大人は教師は政治家は居るでしょうか。
このような日本人が本来持っていた生き様を語る人に、
もう何年も会ってないような気がします。
Commented by matutaka31 at 2011-02-14 14:54
dojyou38さん
最近、八方美人は増えましたが、気骨のある人が少なくなりましたね。
言い換えれば、カリスマ性のある人が少なくなったと言うことでしょう。
国会議員だけでなく地方銀議員も、何をしているのか存在感のない人ばかりですね。
 困ったものです。
Commented by taminamikawa1 at 2011-02-14 22:01
軍人のお父さんは日本人としての気骨と誇りを持っておられたんですね。立派なお父さんだったと思います。
私の亡父も明治生まれだったので、厳しかったですね。
子供にとっては、あの戦後の食糧難の時代で、あの状況であれば、やむを得ない行為ではなかったでしょうか。
子供心に「武士は食わねど高楊枝」を貫けたでしょうか・・・。
多分、私もその立場だったら、投げられたお菓子を拾ったと思います。
Commented by matutaka31 at 2011-02-14 22:11
taminamikawa1さん
明治・大正生まれの人は、良い悪いは別として、概して気骨がありましたね。
それに比べ、最近は常識的になったと言えばそれまでですが、優柔不断な人間が多くなりましたね。
そのため社会全体がピリッとしない・・・。
テレビでは、訳もなくゲラゲラ笑っているタレントが多すぎます。


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