当地では今、方々で普通作稲の田植え風景が見られる。
そして我が家の庭には、今年で被爆66年目を迎える被爆稲のミニ苗代が。
我が家で育つのは6年目。もうすぐ田植え(ポットに移植)する。
被爆稲の苗
先日、山口県上関町 瀬戸内海の離島「祝島」に住む方から、突然メールをいただいた。私のホームページ「
被爆体験を風化させてはいけない」をご覧いただいたのだろう。
千葉県の方から長崎の被爆イネの伝承仲間になるように誘われて、現在は苗立て中とのこと。
メールには
「核の平和利用が詭弁であることは、原発事故で住民が被曝しても「平和な被爆」として被曝者が何世代も遺伝子病などを強いられることは容認できない。
原水爆禁止と原発反対は同義だと私は思って、本当に遅ればせながらではありますが被爆イネの栽培に参加させてもたいます。」と熱っぽく綴ってあった。
これまで多くの方から励ましや支援の便りをいただいたが、6年目にして初めて、被爆稲を作り続ける仲間に出会った。
日本が世界で唯一の被爆国であることすら忘れ去られようとしているこの時期、長崎の被爆稲を作り始めた人との出会いは、私のこれからの「被爆体験を風化させない」活動に大きな勇気とパワーをさずけていただくことになるだろう。
私が作る66年目の被爆稲、祝島の方にいただいたパワーで、今年も順調に育つだろう。そう願いつつ目前に迫った田植え(ポットへの移植)を待つ。
そして「戦争・被爆体験を語り継ごう」に一人でも多くの意見が寄せられ、一人でも多くの人に語り継がれることを願いつつ。