私は今、地元でのボランティア・太極拳・ウオーキングのクラブに所属する他、もう少し広い範囲の活動エリアを持つクラブにも複数参加している。
その活動は、週一回から月一回のものもあれば不定期のものまで様々であるが、極力都合をつけて優先的に参加することにしている。そのため趣味の家庭菜園・ゴルフ・釣り・山歩きなどは、どうしても後回しになることがある。でもそれは私の生活心情によるものだから、趣味が犠牲になっているとは思っていない。
退職後間もなく仕事と全く関係のない未知の世界に飛び込み、11年間経過した今の率直な感想は、「よかった!」の一言に尽きる。それまでの仕事とは全く関係のない人たちとの出会いや利害を伴わない活動は、私にとって新鮮そのもので、気がつけば新たな目標を見据えることが出来るなど、私の人生観を大きく変える存在になっていた。
週1回のボランティア活動の舞台 ひょうたん池
11年間の活動を通じた感想を挙げてみよう。
組織のクラブ活動と違い、いろんな経歴、年齢層の違い等不特定多数の人達が集まる一般のボランティ活動や趣味のクラブ活動に於いては、運営面では過去の経験は大いに役立つ反面、日頃の活動では過去の経歴や肩書きは邪魔になりこそすれ何の役にも立たないこと、また過去をひけらかすことが如何に活動の雰囲気を損なうかを各人が承知しているので、誰も口にしない。
むしろ
過去の経歴にこだわりなく、対等の立場で且つ共通の目標に取り組む者同士の集まりだからこそ、活動が活性化され長続きするものだと思う。 時々話の流れのなかで、“matutakaさんはどんな仕事を・・・?”と現職の頃のことに水を向けられることもあるが、そのような時は“私には皆さんにお話しするようなことはしていないんです。過去はどうでもいいんです。ただ両手が後ろに廻ったことだけはありませんよ。 私には今が、そしてこれから先が大事なんです。”と笑って応えるので、二度と同じようなことを聞かれることはない。
だから11年も一緒に活動していながら、私の経歴を知っている人はほとんどいない筈。
仮に廻りまわって私の過去を知っている人が居たとしても、それを話題にされたことは只の一度もない。
もう一点、私が所属するクラブの構成員は(一つだけの例外を除き)女性が多い。そのせいか雰囲気が華やかで賑やかで常に明るい。
その明るさの背景には、子育てから解放された女性は積極的に社会へ飛び出し、新たに見つけた目標に向かって意欲的に取り組むなど生活態度を改善したい気持ちの現われだろう。 だから話題についても、過去を振り返ることより現在の日常的な内容が多く、何かにつけて意欲的で内容も多彩だ。
女性の意見に耳を傾けていると、男性重点の仕事社会で育った私には全く気がつかなかったアイディアや積極的な意見を引き出すことが出来、そのことがクラブ活動の活性化に貢献していることに気付く。 ボランティに限らず趣味のクラブ活動においても、積極的に女性の意見を取り入れることが、クラブ活動には必須と言っても過言ではないと思っている。
女性のそのような傾向とは逆に、男性は定年後、何故社会活動に参加しようとしないのか、あるいは参加してもすぐやめてしまう人が多いの何故か。その理由については、既に一部触れているが、詳しくは別の機会に譲ることしよう。
私がこれから先、ボランティア活動や趣味のクラブ活動を楽しく続けるに当たって、過去の経験を活かすのは当たり前であるが、過去の経歴や肩書きは無用の長物に過ぎない。
そんな過去の想い出に耽るより、むしろ今を大切にし、これから先どのような目標を持って活動するかが私の生き甲斐に繋がると思っている。そしてその目標を追い求めてあれこれ挑戦する一日一日が、私の元気の源であり且つ楽しみでもある。
一方で趣味の活動が減っていくが、それに代わる別の楽しみが私の心を潤おしてくれているから、特に趣味を犠牲にしているとは思っていない。