66年前長崎で被爆した稲の収穫

66年前の8月9日、長崎で被爆した稲が、今年も我が家の庭先で、わずかながら稔りの秋を迎えた。
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「あの悲惨な被爆体験を絶対風化させてはいけない!命ある限り、被爆証人として、被爆体験を後世に語り継がなければならない」との思いを込めた被爆稲が、無言の生き証人として作り継がれてもう66年目、わが家で6年目の秋を迎えた。

 ブログをよんでいただいた方から、これまでに 「食べられますか」、「被爆稲はどんな味がしますか」、「試食してみては・・・」の意見が寄せられた。
 現在問題になっている福島原発事故による放射線量の類ではなく、66年経った今では残留放射線の問題は無いと思うので、食べられるか否かの問題ではなく、65年前に日本人が食べていた米とはどんな味がするのかに興味がある。
 この被爆稲、品種改良されることなく65年前の品質をそのまま受け継いだ稲だから、年々品種改良を加えられた今のお米に比べて美味しいはずはがないと思うのだが・・・。
 でも、実際には栽培する広い場所の確保や栽培方法など自信がなかったので、実現することはできなかった。

 今年から、福岡市原爆被害者の会のホームページの作成とその維持・管理という役割を通じて、これまで以上に被爆体験を語り継ぐ活動に参画することになったが、私にとって被爆稲を作り継ぐことは、物言わぬ生き証人をそのままの姿で生き永らえさせると同時に、私自身の被爆体験を風化させないためでもあるので、これからも作り続けなければならないと思っている。
by matutaka31 | 2011-10-06 10:29 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)
Commented by dojyou38 at 2011-10-06 15:51
まさに食べられるか否かの問題でも味の問題でもないですね。
悲惨な被爆体験を語り継いでいる証です。どうか何時までも作り続けてください。
それにしても植物・稲の生命力は本当に強いですね。
Commented by matutaka31 at 2011-10-06 20:04
dojyou38さんへ
励まし、有難うございます。
66年前の生命を維持しているかと思うと、いとおしくなります。
Commented by taminamikawa1 at 2011-10-06 21:18
今年も稔った被爆稲を後世に語り継ぎ、
引き継いでいってほしいですね、被爆の証しとして。
原爆の恐ろしさと平和の大切さを痛感します。
Commented by matutaka31 at 2011-10-06 22:13
taminamikawa1さんへ
今年は、福島原発問題があり、特別の思いが重なります。
被爆稲に関心を寄せていただき、ありがとうございます。
Commented by hibochan at 2011-10-08 07:21 x
たくましい生命力に驚きます。
無言の証人としていつまでも育ててください
我が家付近の稲刈りも終わり例年通りの収穫だそうです
セシウムも検出されずまずは 一安心
Commented by matutaka31 at 2011-10-08 09:16
hibochan さんへ
この被爆稲、気のせいか「シイナ」が多いように感じます。
このことがよく言われる遺伝子破損の影響なのかどうかわかりませんが・・・。
こちらは今、普通作の稲刈りが始まっています。
Commented by ippu at 2011-10-08 09:19 x
≪被爆稲≫
本来の目的は≪被爆体験を風化させないため≫であると思うのですが、当時の人はこんな米でも感謝して食べていましたね。
今の人には、現在の美味しいコメを食べられる幸せを噛みしめて欲しいものです。
Commented by matutaka31 at 2011-10-08 11:03
ippu さんへ
おっしゃるとおり、当時は白米というだけでどれだけ幸せを感じたか、今の人たちには理解できないでしょう。
平和のありがたさを噛みしめて欲しいですね。
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