66年前の8月9日、長崎で被爆した稲が、今年も我が家の庭先で、わずかながら稔りの秋を迎えた。
「あの悲惨な被爆体験を絶対風化させてはいけない!命ある限り、被爆証人として、被爆体験を後世に語り継がなければならない」との思いを込めた被爆稲が、無言の生き証人として作り継がれてもう66年目、わが家で6年目の秋を迎えた。
ブログをよんでいただいた方から、これまでに 「食べられますか」、「被爆稲はどんな味がしますか」、「試食してみては・・・」の意見が寄せられた。
現在問題になっている福島原発事故による放射線量の類ではなく、66年経った今では残留放射線の問題は無いと思うので、
食べられるか否かの問題ではなく、65年前に日本人が食べていた米とはどんな味がするのかに興味がある。
この被爆稲、品種改良されることなく65年前の品質をそのまま受け継いだ稲だから、年々品種改良を加えられた今のお米に比べて美味しいはずはがないと思うのだが・・・。
でも、実際には栽培する広い場所の確保や栽培方法など自信がなかったので、実現することはできなかった。
今年から、福岡市原爆被害者の会のホームページの作成とその維持・管理という役割を通じて、これまで以上に被爆体験を語り継ぐ活動に参画することになったが、私にとって被爆稲を作り継ぐことは、物言わぬ生き証人をそのままの姿で生き永らえさせると同時に、私自身の被爆体験を風化させないためでもあるので、これからも作り続けなければならないと思っている。