野村望東尼と平尾山荘

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以前、玄界灘に浮かぶ小島「姫島」にある野村望東尼が島流しされた牢屋(写真右)を見て、彼女の生い立ちや生き様に関心を持つようになり、望東尼を姫島から助け出した高杉晋作との関係が気になっていた。

 特に、高杉晋作の辞世の句とも言われる「面白きこともなきよに面白く すみなすものは心なりけり」の句は、私の心を虜にしていたので、望東尼の住家「平尾山荘」を訪ねてみたいと思っていたところ、同じ探訪心を共有する仲間と共に訪ねる機会に恵まれた。
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平尾山荘
 望東尼こと「もと」は、1806年黒田藩士の三女として福岡(現在の六本松付近)生まれ、24歳で野村新三郎貞貫に嫁いだ。 その後四人の女子を産んだが、何れも成長しないまま早逝したという。27歳で夫婦共に和歌を学ぶようになり、40歳のとき山荘を作り退穏したが、現在の平尾山荘がある場所はそのゆかりの地である。
 野村家には様々な出来事があり、モトが54歳の時夫が64歳でこの世を去り、モトは剃髪して望東尼となった。
 56歳の時上京したころから愛国精神に目覚め、安政の大獄後、天下の形成が大きく移り行く様をみるにつけ大きく心を動かされ、福岡に帰った後、平尾山荘は勤皇の志士達の秘密の集会所になったという。
 その頃高杉晋作もこの山荘を訪れ、望東尼は高杉晋作を厚くもてなしたと伝えられている。

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望東尼の胸像
 その後福岡藩の勤王派壊滅政策により多くの志士が処刑され、望東尼は姫島への遠島を命じられるが、その10ヶ月後、望東尼は高杉晋作の計らいで姫島を脱出している。 
 その後高杉晋作は29歳で病死するのだが、その直前晋作を見舞ったとき、病床の高杉が「面白きこともなきよに面白く」と上の句を読み、望東尼に下の句を続けてくれと頼んだところ、望東尼が「すみなすものは心なりけり」と下の句を読んだとされる。
 その句が、冒頭に掲げた句「面白きこともなきよに面白く すみなすものは心なりけり」である。

 この句のことをあれこれ読んでいるうちに、上の句は「面白きこともなきよ面白く」と「面白きこともなきよ面白く」の2説あることを知った。
 この一文字「に」と「を」ではその意味合いが大きく変るように考えられる。果たして晋作の気持ちはどちらだったのだろうか。
 面白いことのない世の中を面白く生きて行くにはどうしたらいいのだろうかという晋作の問いかけに、望東尼は周りがどうあろうと自分がどう思うか心の持ちようである」と答えたのだ、つまり「面白きこともなきよ面白く」と考えるのがすんなり納得できるように私は思うのだが・・・。
 この句は、晋作の辞世の句ということにも異論があるようだが、晋作が人生最後に詠んだ句であれば辞世の句と言ってもいいのではないかと私は思う。
 晋作がこの世を去った同じ年の1867年11月、望東尼は62歳の生涯を閉じた。
 
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望東尼の歌碑
 遺跡にある望東尼の歌碑の文字は、風雨にさらされ読み辛くなっている。管理事務所からいただいた資料によると、「武士のやまと心をよりあわせ たゞひとすじのおほつなにせよ」の句が刻んである。
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by matutaka31 | 2012-06-15 17:57 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)
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Commented by hibochan at 2012-06-16 07:42 x
高杉晋作は 分かりますが野村望東尼については 知りませんでしたが歴史探訪は 大好きです。
Commented by matutaka31 at 2012-06-16 09:30
hibochan さんへ
歴史探訪はおもしろいですね。
hibochan さんも同じ思いとは、嬉しくなります。
古代よりも近代歴史に興味があります。
Commented by dojyou38 at 2012-06-16 10:35
野村望東尼と高杉晋作の噂程度に知っていましたが、
matutakaさんのレポートで良く分りました。有難うございました。
平尾の近くを通った時に訪ねたいと思います。
Commented by matutaka31 at 2012-06-16 13:35
この頃坂本竜馬と同じように活動した福岡の志士達のことはあまり知られていませんが、福岡藩主の弾圧により、多くの志士が処刑された事実を知りたいと思っています。
Commented by taminamikawa1 at 2012-06-16 18:03
「平尾山荘」のことは知っていましたが・・・、
近くにありながら、
「姫島」や望東尼の住家「平尾山荘」には、
まだ行った事がありませんので、
是非、足を運んでみたい。
日本の夜明けを側面から援助した功労者であったと言えますね。
Commented by matutaka31 at 2012-06-17 09:32
taminamikawa1さんへ
当時女性でこのような活動をした人は、聞いたことがありません。
歌人として平穏な暮らしをしていた彼女を、大きく変えたものは何だったんでしょうか。


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