福岡市内の歴史探訪を重ねているうち、松尾芭蕉の辞世の句「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句碑と墓「枯野塚」が、福岡市東区馬出5丁目228にあることを知った。
芭蕉が九州を旅したことはないと思っていたので、何故福岡に枯野塚が?と疑問に思い、早速訪ねることにした。
馬出バス停の近く、民家に挟まれた幅約1m程の狭い路地の奥まったところに「枯野塚」があったが、道案内は電柱に張られた一枚だけで、初めて訪れる人が探し当てるのは難しい場所である。
この路地の奥まったところに枯野塚があるが、余程注意しないと見過ごしてしまう。
松尾芭蕉は、東北地方をはじめ各地を旅し、さらに西国への旅を思い立ち、弟子の呑舟(のんしゅう)らを供に東海道を下る途中病に倒れ、元禄7(1694)年大阪の地で51歳の生涯を閉じている。
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」は、呑舟が芭蕉の枕元で書きとめた辞世の句。
芭蕉の来訪を心待ちにしていた博多の俳人たちは深く落胆したという。元禄12(1699)年、博多を訪れた芭蕉の弟子、向井去来(むかいきょらい)は、箱崎の僧侶で俳人の哺川(ほせん)にこの句を贈ったところ、いたく感動した哺川は翌元禄13年、同じ芭蕉の弟子、志太野坡(しだやば)に「芭蕉翁之墓」の碑銘を書いてもらい、枯野塚を造ったといわれている。
約3mの句碑には芭蕉の辞世の句が刻んである
全国にある芭蕉の墓碑の中でももっとも古いものだといわれており、福岡県文化財に指定されている
福岡市内で、もう一つの芭蕉の句碑があることも発見した。
櫛田神社境内にある
「花本大神」
と書かれた石碑に、芭蕉の句
「蓬莱に聞かばや伊勢の初便」が刻んである。
花本大神とは、松尾芭蕉に下賜された神号のことである。
(蓬莱は、ここでは正月の飾り物の蓬莱飾りのこと)
説明版に、「1843年、芭蕉150回忌にあたり、真正芭蕉風を唱える天保三大俳人の一人田川鳳朗が、京三条家に請願し下賜されている。」と書かれている。