赤穂四十七義士祭

 昨日、12月14日、赤穂四十七義士祭に行った。と言っても、東京高輪の泉岳寺に行ったわけではなく、福岡市南区「興宗寺」境内で行われた義士祭である。 この興宗寺境内には、昭和10年、地元の篤志家が私財を投じ、赤穂四十七義士の墓と同形式の墓を建立したのだが、それを機に福岡義士会が結成され、毎年12月14日に義士祭を行っているという。
 この興宗寺に 赤穂四十七義士の墓があることを知ったことは、先に興宗寺、四十七義士の墓と穴観音のタイトルで投稿したが、その義士祭の模様を見ておきたいと思い、先に一緒に訪ねた仲間と出かけた。

 祭りが始まる11時過ぎには着けるようバスに乗ったのはいいが、複雑なバス路線を乗り違えてしまい、途中で乗り換えたのがまた違った路線で、結局降りたバス停から数分歩く始末で、到着した時には四十七士の墓前で行われる献茶、法要、筑前琵琶の演奏は既に終わって、見どころの武技「陽流抱え大筒」の披露直前であった。

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 境内は、大筒の実演を見ようと詰め掛けた大勢の人で埋め尽くされていた。待つことしばし、「陽流抱え大筒」が始まった
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 「陽流抱え大筒」は鉢巻、刺子(さしこ)の胴着、袴に胸革を身に付けた打ち手が、サラシで左手を砲に結びつけて火縄銃を放つもので、県の無形文化財に指定されている。
 ド~ンと轟音とともに白煙が飛び出す。その瞬間をカメラに収めようと構えたが、轟音にカメラを構えたた手がぶれてしまって失敗!次を狙ったがなかなか上手く撮れない。やはり三脚が必要だと思った。


  
デジカメで撮った動画をyoutubeにアップしてみた。静止画像より迫力がある。


 四十七士の墓前には、線香を上げながら義士を偲ぶ人がひっきりなしに訪れ、いつまでも込み合っていた。
 墓の一つに、ただ一つ、戒名の形が異なるのを仲間が気付いた。その場では分からなかったが、渡された資料にによると、討ち入りの後大石の命を受け瑶泉院及び一党の遺族等に復讐の顛末を報告して廻り、83歳でこの世を去った寺坂吉右衛門の墓と分かった。
 また一つ、年末恒例の忠臣蔵が楽しみになってきた。
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 討ち入りの舞台となった旧吉良邸が墨田区内に建てられていた縁もあり、同区では現在も赤穂浪士の誉れを称える義士祭と吉良家家臣の冥福を祈る吉良祭とが開催され、対立から交流への橋渡しが続けられているという。
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by matutaka31 | 2012-12-15 14:42 | 思いのまま | Trackback | Comments(4)
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Commented by hibochan at 2012-12-16 08:00 x
福岡の義士祭初めて 知りました
四十七士のお墓があるなんて
先日NHKで浅野主税 矢頭右衛門七を中心に家族愛
そしてBSで高倉健の四十七人の刺客が放映されました。
Commented by matutaka31 at 2012-12-16 09:37 x
hibochan さんへ
福岡に住み着いて十数年経ちますが、初めてしりました。
どうして福岡に・・・と思いましたが、ことの次第を知るにつけ、四十七義士に対する思いの強さを改めて実感しました。
今、NHKの「薄桜記」が面白いです。丹下典膳をどう画くのか・・・。
Commented by dojyou38 at 2012-12-19 11:33
興宗寺での義士祭、何年か前一度お参りしたことがあります。
義士の1人、堀部安兵衛の高田の馬場決闘は私の郷里・伊予西条藩内の揉め事でした。
浪々中の安兵衛の面倒を見ていた萱野六郎左衛門は西条藩の重役だったようです。
Commented by matutaka31 at 2012-12-24 23:14
dojyou38さんへ
47義士の話題は、尽きることがありませんね。
今、NHKのドラマ「薄桜記」で、堀部安兵衛と丹下典膳との
葛藤場面が面白いです。


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