今年も、広島・長崎にとって、68年目の熱い8月がやって来た。
68年前、長崎の被爆地で奇跡的に生き残った被爆稲。その被爆稲が有志によって後毎年作り続けられているが、
今年も我家の庭でその68代目の子孫が元気に育っている。 長崎市原爆死没者慰霊平和祈念式典会場で配布された被爆稲の種を、福岡市原爆被害者の会の方が貰い受け、その一部を分けてもらったのがきっかけで、我家の庭で作り続けて今年で8年目になる。
被爆体験を風化させていけないとの思いと、放射線による遺伝子損傷の事実をこの目でしっかり見届けておきたいとの思いで作り続けている被爆稲。 見かけは普通の稲とちっとも変らないが、籾を収穫してみると、遺伝子に深い傷を負っている実態が浮き彫りになる。
植える場所に制約があるので、今年は2鉢6株だけだけ。
今年から、「福岡市原爆被害者の会」の語り部として、被爆体験を証言する活動をはじめた。そうした活動の中で、この被爆稲が未だに放射線の影響と見られる現象(籾に実が入らないシイナが多い)を引きずっている実態を、機会あるごとに話をしている。
日本が世界で唯一の被爆体験国であること、そしてあの悲惨な被爆体験を絶対風化させてはいけない!命ある限り、被爆証人として、被爆体験を後世に語り継がなければならない。 そんな思いを込めて、被爆稲が育つのをこの目で今年も毎日見守っている。