先日、市内の小学校における平和学習で、6年生を対象に、長崎での被爆体験の話をしてきた。
某小学校体育館での平和学習
今の小学生にとって68年前の出来事は、大人が感じるより遥かに大昔の出来事に映るらしい。
だから先生の話やテレビ等で入ってくる情報は、歴史の一コマとして理解するが、現在と戦争当時とはあまりにも生活環境が違いすぎるので、なかなか実感が伴わないらしい。
それもその筈、戦争時代を全く経験していない両親や学校の先生に囲まれて、平和な世界しか見ていないのだから、原爆の被害が如何に悲惨なものだったを理解するのが難しいのは当然だろう。
そこで私は、実際に私が体験した事実を中心に
(私の原爆体験)、ありのまま生徒に伝えることにしている。
そのことが私達語り部としての役割だと思っているから。
すると、聞いている生徒の目が輝きだす。
その眼差しは私を感動させるし、遣り甲斐と勇気を与えてくれる。
私が原爆被害に遭ったのは今の小学5年生と同じ年頃の10歳だったので、その頃の学校ではどうだったか、食べ物や身につけるものはどうだったなど、終戦前後の時代の様子を今と比べて話すと、戦争時代と平和な時代との比較ができ、平和の尊さが理解できるのではないかと思って話をしている。
話の中で気を遣うのは、戦争時代を体験している私達には当たり前のように通じる言葉・用語であっても、今の子供達には何のことが分らないことが多いので、言葉を選ばなければならないことである。