元寇防塁跡

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 素晴らしい秋晴れになった先日、仲間と生の松原に在る「元寇防塁跡」を訪ねた。
 他の場所にある元寇防塁跡を見ていたこともあり、いつも車で通過する福岡市西区の202号線沿いにあるのに、この史跡にはこれまで来たことはなかった。



《案内板にある説明文》
文永11年(1274)、元(モンゴル)軍は博多湾に進入、上陸し幕府軍と激戦を繰広げました。(文永の役)
幕府は元軍の再来襲に備え、九州の御家人に命じて博多湾に約20kmにわたる石塁(元寇防塁)を築かせました。
生の松原地区の石塁は海側に石を積み上げ、陸側は版築と呼ばれる工法で土と砂を突き固めて構築されています。高さは2,5mで、陸側は一段下がって階段状になっています。
蒙古来襲絵詞には、この地区を担当した肥後(現在の熊本県)の竹崎季長一行が石塁と共に描かれています。

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復元された防塁の一部 手前が海岸で石垣の後ろに日本の武士が待ち構えて応戦した。


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蒙古来襲絵詞

 元寇の役と言えば、2度にわたり「神風」で蒙古軍が壊滅的な負け戦になったかのごとく言い伝えられているが、果たして事実はどうであったのか。
 また文永の役の後、再度の蒙古襲来に備えて作られた防塁は「弘安の役」でどのような役割を果たしたのか、知れば知るほど話題は尽きない。

 中でも「文永の役」は、自身のあやふやな知識を基に思い起こすと、蒙古に実質的に支配されていた朝鮮の高麗とのかかわりや、蒙古と高麗の連合軍に襲われた対馬・壱岐・鷹島等での日本の武士の壮絶な戦死、そして島の住民が受けた被害、更には博多でも攻め込まれて水城辺りまで後退してしまったしまった経緯等々、自身よく分らないことが多い。

 蒙古は、東ヨーロッパを制圧して軍勢を東へと進め、朝鮮半島を統治していた高麗王朝を支配下におさめ、日本征服への足がかりにしようとたくらんでいた。
 高麗での足場固めた蒙古は、日本に和平を名目に何度か使者を送り込んだが、返事によっては大軍を差し向けると日本を脅した。

 日本が蒙古の申し入れを無視したため、業を煮やした蒙古は、武力を以って日本を征圧しようと、船900隻を高麗に造らせ、高麗軍を中心に兵3万人の軍勢を編成して対馬、壱岐、平戸、鷹島、能古を次々に襲撃し、男は殺したり生け捕りにして、女は一箇所に集めて掌に穴をあけ革ひもを通して船に結いつけ日本の攻撃に対し盾の役割りにする等、皆殺しに近い残忍な行為を繰り返したと伝えられている。
 そして1274年10月19日博多湾に侵入し、上陸して幕府軍と激戦を繰広げた。蒙古軍により多くの人が殺されたり捕えられたりして、ついに日本側は大宰府近くまでまで後退させられてしまった。
 博多に進入するまでの島々での蒙古軍の残酷極まりない行動等については、かなり詳しく言い伝えられているが、博多での戦いの模様や大勢の人が殺され捕らえられたという事実については、何故かあまり言い伝えられていないようだ。

 どうやら博多での闘いの大勢は、蒙古・高麗軍に利があったようだが、一方損害も小さくなかったとのことで、蒙古・高麗軍は一定の目的を果たして引き上げたとの見方が最近持ち上がっているという。
 つまり蒙古軍は帰途、大風に出会いかなり損害をこうむったと言う説で神風説を覆すことになる。

 もしそうだとすれば、 神風が日本を救ったなどという話は誤った歴史認識につながる。今後どのような解釈に発展するのか興味津々である。
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by matutaka31 | 2013-10-14 13:17 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)
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Commented by hibochan at 2013-10-15 07:02 x
史跡探訪大好き
万里の長城のようなものなのかも
神風は よく知れ渡ってますが?
今でも海中から船の残骸が発見されると聞いてます。
Commented by matutaka31 at 2013-10-15 21:25
hibochanさんへ
史跡を訪ねると、古い時代にタイムスリップして、当時に事情が
現実になって浮かび上がります。
今の教育は国史を軽んじているようですが、特に隣国との歴史上の
出来事は、真実を教え伝えることが大切だと思います。
Commented by dojyou38 at 2013-10-16 11:41
最近歴史探訪活発にやっているようですね。
私は転勤で福岡に赴任直後には、地元の歴史をしることが地域に馴染む近道と、
一時期はよく寺社や史跡を廻りました。
それで、一通り知っていつもりになっていましたが、
今では忘れたことも多く、又間違って覚えていることもあるようです。
来年の大河ドラマを機会に福岡の史跡を再訪してみたいと思います。
Commented by tenpai8 at 2013-10-16 17:53 x
世界史、東洋史から見る日本史、高校の頃初めて世界史を受験の為に少し勉強しましたが、大分モノの見方・つまり歴史観の味が異なることを、ボンクラ生徒でも少し感じました。爺サンの孫語りでも、よく元寇の話を聞きました。日本人が捕えられて、掌に縄を通して船べりに数珠繋ぎにされて、殺された・・・・・今、爺さんの昔話を思い出しました。
Commented by matutaka31 at 2013-10-16 23:46
dojyou38さんへ
終の棲家ときめてから、地元の歴史探訪に興味が出て来ました。
知らないこと、中途半端な知識が多いことを、今更のように思い知らされます。
官兵衛にまつわる歴史探訪、面白いです。
Commented by matutaka31 at 2013-10-16 23:55
tenpai8 さんへ
蒙古の手先だったとは言え高麗に傷められた日本、秀吉に傷められた朝鮮、そして日本の殖民地化等々・・・、真実をもっと知らなければならないと思います。
 日本人でありながら、あまり自国の歴史に詳しくないのが恥ずかしくなります。




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