珍しいほど快晴になった日の午後、所属団体のホームページ更新作業(ボランティア)の後仲間を誘って、気になっていた古刹「東光院」(福岡市博多区吉塚3丁目)を訪ねた。
以前福岡市美術館で、東光院から寄贈された薬師如来立像のほか仏像25体を見た時、市に寄贈するのはどうゆう事情だったのだろうかと気になるお寺であったから。
「東光院」は、国道3号から東の方に向って10分ほど歩いた、古い住宅街のやっと車の離合ができるほど細い道の奥まった場所にあった。
山門前に立てられた説明板には、
「寺伝によれば、大同元年(806年)に、最澄さいちょう(伝教大師)の開山。 正保4年(1647年)福岡藩二代藩主黒田忠之(くろだただゆき)により密寺東光院と合併され、真言宗薬王密寺東光院(やくおうみつじとうこういん)となったとあります。
本尊薬師如来立像のほか、重要文化財として指定された仏像25体と、県指定文化財の絵画12点と境内地が福岡市に寄贈され、これらの保存、活用を図るため境内地を市史跡に指定。
仏像や絵画は、福岡市美術館 に収蔵・展示されています。」と書かれていた。
東光院は二代藩主黒田忠之の庇護を受けて、真言宗寺院として活況を呈したといわれるが、明治維新の神仏分離策で、藩の経済的支援がなくなると、急速に運営が難しくなったという。
かって藩主の祈願寺であったため、東光町と言う地名も残り、庶民からの信仰も熱かった古刹も、
史跡と化した今、お寺の歴史に関心がある人以外訪れる人もないのだろうか、境内は静まり返っている。
栄枯盛衰は世の習い と言うものの、時代の変化とともに変わり果てた姿は一抹の寂しさが漂う。
例えは異なるが、核家族化が進み、先祖に対する信仰心も大きく変りつつある現在、多くのお寺が抱えている維持・管理問題の行く末を思わせるような気がする一方、歴史的建造物や日本古来の伝統・風習を大切に守りたいものだとの思いが募ることしきり。
誰が管理しているのか、軒下に並べられた鉢植えの「金のなる木」には一杯蕾がついていた。
そして桜の枝には、もう膨らみかけた蕾が、人知れず我が世の春を待ちわびているようだった。