菊池神社にまつわる史実 

 福岡市城南区の「菊池神社」を、先日仲間と訪ねた。
 あれこれ野暮用が多く歴史探訪が途切れがちになっているが、先日城南区は土地勘もないので、区役所を訪れ、区内の史跡を教えてもらった。
 区役所では、詳しい資料を見せてもらう等、親切に対応していただいた。

 いろいろ紹介していただいた中から、とりあえず「菊池神社」を訪ねた。
 調べているうち、菊池一族と博多とは時の政争を廻って関わりが深いことに気がつき、歴史的に大変興味深い史実があることを知った。
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説明版には、「1831年、菊池氏の子孫で福岡藩士城武貞が墓碑を建立、1869年最後の福岡藩主黒田長智が、その忠勤をたたえ、この地に社殿を建立した」とある。

 鎌倉時代末期の武将菊池 武時(きくち たけとき)は、後醍醐天皇の密命を受けて、鎌倉幕府を倒すことを計画していたという。 後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒し、天皇が政治を行う体制に戻そうとしていたのである。
 菊池武時は、元寇の役で大きな功績を残したが満足な恩賞をもらえなかった不満もあり、倒幕を決意し、鎮西探題の北条英時を討とうと、筑後の少弐貞経(しょうににさだつね)や豊後の大友貞宗(おおともさだむね)としめしあわせるのであるが、土壇場で少弐貞経や大友貞宗の寝返りに遭い、目的を果たさず討ち死にしてしまう。武時の首はさらし首にされ、胴体を葬った胴塚の場所に菊池神社がある。
 
 菊池武時は討ち死にするとき、長男武重にあとのことを託し、国許へ返す。その後太宰府・博多は、菊池・少弐・大友、そして幕府探題を中心に他の武将も加わり、激戦の地となるのである。
by matutaka31 | 2014-07-25 11:15 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)
Commented by hibochan at 2014-07-26 07:13 x
神社は 地域の交流の場と言われてますが
氏子の減少に歯止めがかかりません
寂しい
Commented by matutaka31 at 2014-07-26 09:18
hibochan さんへ
あちこち氏神様にお参りしますと、何処も綺麗に清掃されています。
氏子ではなくても、ホッとします。
氏子さんの存在が良く分かります。


Commented by taminamikawa1 at 2014-07-27 22:36 x
菊池神社と言えば熊本県菊池市のそれかと思っていました。
城南区の菊池神社は菊池市のそれとの関係が深いですね。
福岡在住35年になりますが、まだまだ知らないことが多いですね。
私は郷里が佐賀ですので、竜造寺藩です。
それについて少し勉強しなければと思いながら・・・、
少しも進んでいないのが現状です。
Commented by matutaka31 at 2014-07-28 07:01
taminamikawa1 さんへ
菊池市の菊池神社は、菊池武時、武重、武光を祀る神社で、
関係が深いですね。
福岡とりわけ博多は、歴史的に面白いところが多いことに
最近気がついています。
Commented by dojyou38 at 2014-07-29 17:36
歴史、取分け郷土史には興味ありますが、不器用なので今はアウトドアーに絞っています。
現役の頃、建築に関係していたので1度菊池神社に地鎮祭を取り仕切ってもらったことがあります。
その時、熊本の菊池氏との関係を知りましたが、詳しいことは忘れていました。
Commented by matutaka31 at 2014-07-31 09:33
dojyou38さんへ
戦国時代の武将間の駆け引きや争いは、面白いですね。
グローバル化した世界の各国の関係に共通するところが
あります。
争いと言うものは、いつになっても亡くならないものですね。
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