長崎で被爆した稲の69世代目になる稲を作り続けて、今年で9年目になる。
69年目の被爆稲、2鉢合わせて8株(7月30日の様子)
今日(30日)、糸島市の「糸島新聞」から、被爆稲の栽培について取材を受けた。
取材内容は、被爆稲を管理している様子を写真に撮った後、栽培を始めた経緯、今どのような気持ちで栽培を続けているか、そしてこれからも続けるか等々の聞き取りの他、被爆体験の語り部としての考えなどについて、いろんな角度から取材を受けた。
雑談を含め、凡そ1時間。
被爆稲栽培について取材を受けたのは、一昨年の長崎テレビに次いで、今回で2度目。
新聞・テレビの取材でいつも思うことは、当然のことながら事実関係を必ず確認されるので、報道関係者の取材には気を遣う。
被爆稲に実が入らない空籾が多いことは、遺伝子の損傷と言うよリ、
「放射能によって新たな品種に変化してしまった」と言ったほうが当を得ているのかもしれない、と私は考えるようになった。
そう考えると、放射能が人体に及ぼす影響はよく言われる健康被害の域を超え
、品種改良を目的とした遺伝子組み換えと異なり、計り知れない恐ろしさが潜んでいるように思えてならない。
私はこの被爆稲を、「もの言わぬ原爆被害の生き証人」として、これからも気力・体力が続く限り作り続けるつもりでいる。 核兵器の恐ろしさを知るうえで、少しでも役立つことを願って・・・。