阪神・淡路大震災から20年

 今朝は何時ものボランティア作業が休みだったので、ゆっくりテレビを見ることが出来た。

 NHKテレビでは、20年前の1月17日未明に起きた「阪神・淡路大震災」後の復興問題を取り上げていた。神戸市内でいろんな人たちがインタビユーに応えていたが、「形は復興したかに見えるが、中身はまだです」というのが印象的で、心の傷や失われた人の絆は、そう簡単に取り戻せるものではない現実を垣間見ることができた。
 また、灘高校の生徒たちが当時の様子を自らの手で調べ、その事実を風化させない取組みを始めていることも紹介されたが、震災を知らない世代のこうした取組みは私には頼もしく思えると同時に新鮮な出来事に映った。

 震災が残したものは何か、そして被災者や関係者がその後どのような思いで復興に取り組んできたか、震災後復興に立ち向かった人々の姿が浮き彫りになっていた。

 テレビを見ながら、震災当時私が勤務していた会社の神戸支店の施設が甚大な被害を受け、1年がかりで施設の復旧に取組んだ経験が、つい最近の出来事のように思い出された。
 地震発生直後から多くの関係者のご協力で復旧工事は進められたが、最終的には自らの決断と努力がなければ成し遂げられなかった復旧工事であった。

 当時の悲惨な状況は未だに脳裏に焼きついているが、改めて当時の社内報「神戸震災特集号」を書棚から出して読み返してみた。
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社内報に掲載した被災直後の東灘専用岸壁の惨状
地盤沈下1~1,5m路面の亀裂が著しい

 
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  震災特集号には地震発生直後からの詳細な記録が記されているが、私は『災害復旧「節目の対応」その時、何を考え、どう行動したか』・・・を書き残している。

その中で、私はこう締めくくっている。
 「・・・・緊急事態下においては、・・・「冷静な判断」、「あらゆる知恵を絞り、あらゆる経験を活かす」ことの重要性を身をもって体験する機会であった・・・また、いざというとき、「自助努力が最大の武器」という自覚が(全社員に)芽生えた・・・このような貴重な経験は決して風化させてはならない」と。

 災害はこれからもいつどこで起きるかわからない、明日はわが身と心得、不慮の災害に備えていなければならないと思いながらも、ついつい怠ってしまっている。
 いざとなったら、自分自身で生き延びなければならないのだ!今日は、当時を思い出して反省しきり。
 
by matutaka31 | 2015-01-16 14:19 | 思いのまま | Trackback | Comments(10)
Commented by hibochan at 2015-01-17 07:39 x
阪神大震災こちらでは何が起きたのかわからりませんでしたが
ニュースで悲惨な光景に驚きましたあれから早いもので二十年
当時は 現役真っ最中
今度は 東日本大震災経験したことがない揺れ
屋根を覆うプルーシートは 見当たりませんが我が家修復不能
開かずの襖があります 昨年歴史ある土蔵取り壊しました
あれから四年になろうとしてます 未だにつくばには 福島帰宅できないかた住んでおられます
Commented by matutaka31 at 2015-01-17 10:05
hibochanさんへ
>我が家修復不能開かずの襖があります 昨年歴史ある土蔵取り壊しました
4年経った今でも、一般には目に入らない震災の爪痕が、
まだたくさん残っているんですね。
そのような事情はお構いなしに、みんなの記憶から段々遠ざかり、風化していくのが寂しくなります。
悲惨な体験を後世に伝えることの難しさを痛感させられます。
でも、諦めてはいけないことですから、繰り返さないよう、英知を絞って語り継がねばならないことだと思います。
Commented by kanmyougam at 2015-01-17 13:35
20数年前にカゴシマ北部地震がありました。今の自宅に移る前の、古い自宅には窯を置いていました。窯が倒れ作品も壊してしまいました。立て付けが悪くその後出入りしていませんでした。
誰かが出入りし空き缶食べかすを煙草の吸殻を放置していると感じましたのでこじ開けてみました。
数年住み着いたとみて警察に届けました。
地震の傷も気がかりでしいたのでこの際清掃して窯場をつかえたら使うことにしました。
こんなこともあって僕なりの反省をしました。
Commented by tenpai8 at 2015-01-17 13:59
月日は早いですね! この数年前まで西宮鳴尾浜・甲子園の海側に勤務していたので、このnewsに仰天でした。高速道が倒れたのも間近でしたし・・・・・仁川の近くに住んでいましたので、多分あの家もダウンしたことでしょう。まだ完全復旧は遠いでしょうが、その日の早期到来を祈るばかりです。
Commented by matutaka31 at 2015-01-17 14:30
kanmyougam さんへ
地震で自宅が使えなくなる被害に加え、誰かに勝手に
使われてしまうという苦い経験をされたのですね。
人が本当に困ったとき、お互い助け合うのが日本人の
美徳とされていますが、中にはどうしようもない人も
いるものですね。
日本列島は火山帯の上にある陸地、何時大地震に遭うか
分りません。
明日はわが身と心得ておきたいものです。
Commented by matutaka31 at 2015-01-17 14:36
tenpai8さんへ
月日の経つのは早いものです。
今の神戸の外見は、何事もなかったような佇まいですが、
当時の惨状はひどいものでした。
惨事は、時とともに風化してしまうのが怖いですね。
「災難は忘れた頃にやってくる」・・・、この諺をもっと大切に
したいですね。
Commented by dojyou38 at 2015-01-19 11:34
大変な体験をし、貴重な教訓を会社に残されたのですね。
きっと、後輩たちが受け継いでいることでしょう。
私はあの地震を高松のホテルで体験。
前日まで大阪の長男宅にいて、会議のため翌日・月曜に移動ても良かったが
最終便で高松に移動。
最終便で移動していなかったら、何日間か大阪に留め置かれることになったでしょう。

20年経って神戸の住民の50%は地震を経験しない人になっているそうですね。
毎年 継続的に防災訓練や震災の語り部活動を続けて震災が風化しないようにさせなければいけないです。
Commented by matutaka31 at 2015-01-19 17:45
dojyou38 さんへ
一瞬の動作一瞬の決断が、その人の運命を左右することがありますね。
それなのに今まで無事、生きてこられたことに感謝です。
昔は「じいちゃんばあちゃんから話を聞いた」という話をよく
耳にしましたけで、最近は核家族になり、家庭内で語り継ぐことが
少なくなっているようですね。
歴史上の出来事は、何事に置いても語り継ぐことの重要性を
最近痛感しています。
Commented by taminamikawa1 at 2015-01-20 21:38
阪神大震災にしても、東日本大震災にしても、
この災害を風化させてはいけないし、
いつ、どこに災害がやってくるかも知れません。
この二つの災害から学び、教訓としなければなりませんね。
Commented by matutaka31 at 2015-01-20 23:49
taminamikawa1 さんへ
喉もと過ぎればなんとやら・・・日本人の悪いくせでしょうか。
貴重な経験は、きちっと後世に伝える義務があります。
辛いことでけど、二度と繰り返さないためにも、やり遂げなくっちゃいけないことだと思います。
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