長崎で70年前に被爆した稲、その種の種を10年前に譲り受け、庭先で栽培し続けて早10年になる。その被爆後70代目の稲の収穫時期を迎えた。
よく見ると黒色の籾が目立つ。 その大半は空籾
10年前に作り始めた動機は、この被爆稲は遺伝子の損傷を受けているため稔らない空籾が多いと云われていたので、そのことを自ら確かめてみたかったのである。
その後2年3年と作り続けるうち、原爆の被害を受けた「物言わぬこの生き証人」を大事にしたいという気持と、ややもすると原爆の悲惨な体験が自分の心の中で薄れがちになるのを戒めるために作り続けようという気持が強くなってきた。
そんな気持で作り続けて、もう10年も経った。
今年もこの稲は、今までと同じように、黒色の空籾と白ぽい色の空籾が多い。
遺伝子の損傷と思われる空籾の現象がいつまでも続くのを見届けながら、放射能の恐ろしさを身を持って実感する日々である。