今年も我が菜園の一部を割いて作ったさつま芋の収穫をはじめた。
一気に掘ってしまうのは大変だから、暇なときに少しずつ彫り上げることにしている。
今年は品種を「紅東」と「安納」の2品種にした。出来はまずまず・・・。
芋堀をしながら、ふと
「沖縄100号」のことを想い出した。
沖縄100号と言えば、敗戦前後の食料難でひもじい思いを体験した人なら、きっと思い出される名前。 飢えをしのいだ、懐かしいサツマイモの品種名だから。
けっして美味しい代物ではなかったが、当時は美味いとかまずいとか言える時代ではなかったので、来る日も来る日も食べた記憶が残っている。
沖縄100号のイメージは残っているが、実物をもう一度見たくなって、インターネットで検索したところ、懐かしい写真に出会えたので、無断で借用させていただいた。(さいたまのサツマイモ資料館に展示されている「沖縄百号」)
国民学校5年生の時、授業の合間、同学年の生徒全員で鍬を使って運動場や近くの小高い丘を耕してさつま芋を作ったことを思い出した。
運動場に限らず空き地らしい土地はすべて耕され、さつま芋畑と化した。
今にして思えば当時はまさに、国民総芋作りの時代で、その主役が沖縄100号だった。
さてその沖縄100号の名前の由来は、名前のとおり沖縄で誕生したもの。 温かい沖縄では花が咲くので、農林省が人工交配による品種改良に力を入れた結果、昭和9年この沖縄100号が誕生したという。この芋は多収穫品種だったので、味より量とばかり、食糧難が深刻になって急速に全国に普及したそうだ。
上の写真は、国会議事堂前の広場でさつま芋を作る様子
沖縄で生まれた沖縄100号のお陰で、多くの国民が飢えを凌ぎ、命をつなぐことが出来たことを忘れてはいけない。
食糧自給率40%の日本、世界の人口が増え続ける中、もし国際紛争に巻き込まれる様なことが起きたとき、食の安全は確保されるのだろうか。
運動場や道路にまで芋を作らなければならない時代は、真っ平ご免被りたい!