昨日、長崎新聞社報道部記者から「原爆体験」に関する取材を受けた。 記者は、私の孫と同世代とも思われる被爆三世の若い女性記者。
被爆体験者が減っていくなか、先日被爆体験の語り部の仲間が一人この世を去った。昨年夏まで一緒に小学校で被爆体験を話した一人である。記者の質問に答えながら、語る人が少なくなって行く現状に、移りゆく時代に一抹の不安を感じると同時に、世界で唯一の被爆体験が次第に風化して行く日本の社会現象を肌で感じるようで、このままでいいのかと、この国の行く先に危うさを感じてしまう。
被爆二世の家庭に育ったせいか、記者の質問は一般的な被爆体験にとどまらず、当時の生活環境だとか子供ながらに何を考えたか、被爆の瞬間何を思ったか等々当時の生活環境や被爆当時の心情に的を絞った鋭い感覚で質問を寄せてきた。
取材の締めくくりに記者が、被爆者の立場からどう思うかと質問を寄せた。
核兵器が一向に減らない現状に関連して、「今後、核兵器が使われることがあると思うか」、また「どうしたら核兵器を無くすことが出来ると思うか」、と。
私は躊躇なく次のように答えた。(その主旨)
核兵器が使われることは、あり得ると思う。
核抑止力として核を保有する以上、保有国が減ると考えるのは現実的でない。
何時どの国であるかまたその理由は別として、使われない保証はない。
仮に1発でも使われると、広島・長崎の惨状とは比べ物にならない被害になることは明白だし、報復の連鎖を繰り返し、人類が破滅してしまう危険な状態になる可能性は否定できない。
核兵器を無くすには、核廃絶の国際世論を盛り上げる以外に方法は無いと思う。
核保有国がこれ以上増えない今のうちに、国際的世論を盛り上げて、核保有国を核廃絶に追い込むほかに手立てはないと思う。
そのリーダーシップをとれるのは、日本だ。
世界で唯一の被爆国である日本が先頭に立って核廃絶の世論を喚起すれば、その説得力は絶大だ。
それをしようとしない今の日本政府の態度、そしてそれに甘んじている国内世論は、残念というより情けなくなる。
今の日本は被爆国でありながら、被爆体験者や一部の平和活動推進者以外の一般国民は核兵器・原発に対し無関心すぎる。 将来を担う若年層から、もっと核に対する意見が出て来なければならないと思う。
お・わ・り