ー育つものではなく、育てるものー
今年は、私が菜園を始めて以来経験したことがない、高温かつ雨が少ない夏を経験した。
そんな厳しい環境にもかかわらず、10月半ばになった今でも、美味しい秋ナスが収穫できる。この秋ナス作りを通じて私は、私なりの野菜作りのコツを確信するようになった。そのコツとは、冒頭の「育つものではなく、育てるもの」。
身の丈以上に伸びたナス 毎日秋ナスを収穫中(10月中旬) 家庭菜園を始めた頃、夏野菜作りと言えばナス、トマト、キュウリが定番だった。そのナスを作るとき、「ナスにあだ花はない」(花が咲けば必ずナスが生る)ということをよく耳にしていたので、簡単に作れるものだと思っていた。
ところがそのナスが、どうしても上手くできない。 確かに花は咲き実は生るが、形が小さい、硬い.市販品と比べると、明らかに見劣りした。
収穫最盛期7~8月ごろのナス この後順次枝を剪定する 野菜作りの講習会にも参加し、専門書物にも目をとおしたので、それなりの知識を備えたつもりだったから、 当然「育つものだ」と思い込みがあり、出来ない方がおかしい、との思いが先走っていた。トマトもキュウリはそこそこに収穫できる。ナスだって出来ないはずがない。そう思いながらも、現実そうならない・・・。
終いには、畑の環境が悪いのではないか、気候のせいではないのか・・・と自分の下手さを棚に上げ、他に原因があるのではないかと考える始末。
今思うと恥ずかしいことだけど、そこにあるのは「おごり」以外の何物でもなく、何故?と基本に立ち返る謙虚さを失っていた。 表面ずらの知識や経験だけでも駄目で、時には何故?と振り返る努力をしなければ成し遂げられないのだ。
野菜は雑草と違い、美味しくて多収穫そして作り易さを求めた、究極の改良品種である。雑草は放っといても育つが、
野菜はその品種に最も適した栽培条件を与えなければその能力を発揮出来ないのは言うまでもないこと。分かっていたことだけど、実際行動に結びついていなかったのだろう。
よく野菜作りも子育てと同じで愛情をもって育てなければ・・・と言われるが、愛情が必要なことは共通しているが、野菜は100%終始手を加えなければうまく育たない。この点が子育てと大きく違う。
つまり野菜は「育つもの」ではなく、「育てるもの」だと言うこのシンプルなことを忘れずに、その育つ条件を最後まで100%満たしてやる。これが私の失敗から生まれた、私流の野菜作りのシンプルな秘訣だと思っている。
枝を選定した後、新たに伸びてきた枝(8月中旬) その経験から生まれた秋ナス作りのシンプルなコツば
、①7~8月ごろナスを収穫する傍ら、ナスの生り具合を見ながら順次古い枝を腋芽の強そうな部位を残して思いっきり剪定(切り戻し)する。②乾燥を防ぐため水遣りを怠らない。③追肥、畝上げ・土寄せ(根切り効果も図る)をおこなう。④倒伏防止の支柱を補強する等々。いずれもナスが必要と思われる条件を、すべて満たしてあげれば良いことだ。きわめてシンプルなこと。
収穫した秋ナスは、ご近所さんへおすそ分け。「秋ナスは嫁に食わすな」の言い伝えがあるほど、昔から美味しい旬の味として珍重されてきたが、今でもご近所さんに喜んでいただいている。
私の次なる挑戦は、せっかくできた秋ナスの美味しい食べ方だ。
毎日同じような料理では、折角の旬の味とは言え飽きてしまうので、インターネットで紹介されているレシピを見ながら2種類の秋ナス料理を作ってみた。まだレシピを公表するほどのものではないが、少しずつ腕を磨いてみようと思っている。
☞写真は秋ナスの浅つけ 試作品
ちなみに「秋なすは嫁に食わすな」のことわざの意味には「美味しいので嫁に食べさせるのはもったいない」や「秋なすには種が少ないので子宝に恵まれないから嫁には食べさせないという縁起」、「なすは体を冷やすのでお嫁さんの体に良くないという思いやり」エトセトラ諸説あるが、ことわざが残るほど、秋ナスは美味しい野菜だということだろう。
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