私は12年前、長崎で被爆した稲の種を譲り受け、その後毎年欠かさず庭先で栽培し続けている。
被爆後72世代目になる「物言わぬ生き証人」被爆稲の子孫は、今年もいつもと同じように成長し、稲穂が頭を垂れた。しかしその稲穂は軽そうで、よく見かける田んぼの稲がずっしり重みに耐えている姿と比べると、垂れ方が少ない。
稲の穂先の垂れ方に重みが感じられない それもそのはず、稲穂をよく見ると黒色の籾や空籾が目立つ。去年までとちっとも変わることがない。
今年も「やはりそうか」と、改めて遺伝子の損傷を裏付ける現実を目の当たりに見せつけられる。
72世代経っても元に戻れないことは、被爆よって稲の遺伝子が損傷(変化)し、もう元の遺伝子には戻れない、収穫が少ない劣悪な別の代物(品種)になってしまったと見るべきだろう。
よく見ると空籾(しいな)や黒ずんだ籾が目立つ今、私は被爆稲の遺伝子損傷を目の当たりに体験しているが、稲だけに限定されているという保証はない・・・。
もし人の遺伝子に損傷があるとなると、どうなるだろう。人は被爆後まだ3世代目になったばかり。今後世代交代が続く中で、全く影響が出ないと言い切れるのだろうか。また外の植物や動物はどうだろう?もしかしたら我々が気がついていないところで、ほかの植物、昆虫、野鳥などの生態系が変わっていないのだろうか。そう考えると、恐ろしくなる。
この被爆稲が示す放射能がもたらす恐ろしい現象を、この稲に限ったことだとして見過ごして良いものだろうか。
私の疑問は解けない。
福島の原発事故から6年半経過した今、国内では原発の再稼働が始まっている。
福島では、長崎の被爆稲に見られるような現象は起きてはいないだろうか、胸騒ぎがする。
単なる杞憂に過ぎないことであれば良いのだが・・・。
原発廃止を訴える人たちが多いにも関わらず、原発再稼働の動きは止まりそうにない。新聞・テレビでは、福島原発事故の悲惨な現地の状況はあまり報道されなくなった。しかしインターネットの上では、今でもびっくりするような悲惨な現実があふれている。その一例を挙げると放置された豚が、建物の中に侵入して食べ物を漁って居たり集団で道路を徘徊する光景など、被害地が置き去りにされている姿が生々しく映し出されている。
福島第一原子力発電所事故の模様(インターネットより引用)福島第一原子力発電所事故による放射能除染廃棄物の山(インターネットより引用)風評被害を恐れて、異常現象に目をつぶっているのではなかろうか。
真実を覆い隠してしまうようでは、後世に大きな禍根を残してしまう。
私たちが今最も恐れなくてはならないのは、「隠ぺい」「風化」である。
私の原爆体験
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