61年前の被爆稲を植え継ぐ
1945年8月、長崎の爆心地浦上で見つかった原子爆弾に被爆した稲、その後心ある人々によって作り継がれた被爆稲。
昨年福岡市西区における被爆者の集いで、作り継ぐ活動に参加されている方からその種籾をいただいたのがきっかけで、今年初めて作ることにした。
5月29日播種、6月27日6号ポットに移植、現在に至る。肥料の施し方がよく分らす、やや徒長気味の様子である。稲作をしている友人に尋ねたところ、肥料不足かもしれないとのこと、8・8・8化成肥料を施してみよう。
作り継ぐ人々の話によると、被爆稲の結実は健常稲に比べ粃(シイナ)が多いという。 果たして61年経過した今でも放射能の影響が確認できるのか、関心が深まる。
もう一つ、友人の話によれば、61年前の稲は、今の稲と違って長桿系であったと考えられるのとのことで、どのような稲に育つのか新たな興味が沸いてきた。