濡衣塚

 あるとき車の運転中、ラジオ放送を何気なく聴いていると、「濡れ衣」(おぼえのない罪の意味)という言葉の由来といわれる古跡が福岡市博多区にあることを、偶然耳にした。
 その古跡「濡衣塚」は、福岡市博多区を流れる御笠川にかかる「石堂橋」のたもとの国道3号沿いにある。
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案内板には、福岡県指定有形文化財「康永三年銘梵字板碑」(ぬれぎぬづか・こうえいさんねんめいぼんじいたび)と記されている。b0008825_10133559.jpgb0008825_10183722.jpg
 







 
 石碑の案内板によると、聖武天皇の頃、継母に無実の罪をきせられて死んだ筑前国司の娘を供養した墓と伝えられており、「濡衣塚」と呼ばれています。
この石碑は板碑(いたび)と呼ばれる中世の石造物で、玄武岩(げんぶがん)の自然石を用いています。高さは約165cmで、梵字(ぼんじ)が正面3箇所に太く刻まれています。最上段は大日如来(だいにちにょらい、バン)、右下が宝幢如来(ほうとうにょらい、アー)、左下が天鼓雷音如来(てんくうらいおんにょらい、アク)を表現しています。
康永3年(1344)の銘が刻まれており、南北朝時代の板碑であることが分かります。(以下略)

 この謂れとは、聖武天皇の頃、佐野近世なる人物が筑前国司として赴任したが、妻に先立たれ、土地の女を後妻に迎えた。その後妻は夫が先妻の娘春姫ばかりを可愛がっていると考え、春姫を妬んで嫌がらせをたくらんだ。
 ある日、後妻は漁師をそそのかし、近世に「春姫が夜毎に通ってきて、釣り衣を盗んで行くので返して欲しい」と言わせた。 これを聞いた近世が春姫の部屋を覗くと、春姫は濡れた衣を着て眠っていた。濡れた衣も後妻が仕組んだものだったが、それを見て逆上した近世は、春姫の言い訳も聞かずに、その場で斬り殺してしまったという。

 後に春姫の無実を知った近世は、罪を悔いて出家し、この地に濡衣塚を作って供養したと伝えられている。
 この話から、「濡れ衣を着せられる」という言葉が生まれたと言う。
濡れ衣:語源由来辞典

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by matutaka31 | 2008-02-10 11:14 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)
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