被爆体験を語ることについて思うこと

 8月9日、「被爆63周年長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典」に参加した。
今年は、親子孫3代揃っての参加だった。
 孫はまだ小学4年生と幼稚園の子供だから式典参加は多分退屈するだろうと思い、いろんな写真や展示品を見せて視覚を通して原爆の恐ろしさを少しでも判ってもらえればいいと思って、原爆落下中心地から原爆資料館へと足を運んだ。

 特に幼稚園の子供がどの程度関心を示すか気になっていたが、「被爆当時の地層」を見て、“どうしてこんなところに茶碗があるの?”といきなり質問され、意表を突かれた思いがした。
そして原爆資料館の中に入ると、次々に、
原子爆弾ってなーに?
どうしてこんなになったの?
これはなーに?
もう矢継ぎ早の質問攻めに合い、それに答えるのに大忙しであった。

 そして極めつけは、出口に近いところにある世界の国別核保有数と核実験を示す地球儀のところで、“この国は何処?”と繰り返し、地球儀の上でその位置を一々説明させtられたことだった。 あまりの熱心さ?に、外人がその様子をカメラに収めていたが、彼らの目にはどのように映ったのだろうか。

  資料館の中で、女子高生にアンケートの記入を頼まれた。
「広島と長崎に原爆が投下された日時」を書く欄のところで、当然のことながら長崎は1945年、8月9日11時02分と書いたが、広島の欄には1945年8月6日までで、その先が書けない。
私は不意を突かれた感じがした。
 私がこの原爆資料館を訪れるのは3回目であるが、果たして子供達の目線を意識して見ていただろうか?、そして今、子供達の質問に判りやすく説明できるだろうか?今までただ漠然と子供の頃の記憶を辿りながら被爆の様子を見てきたが、自分の曖昧な知識や知らないことがあまりにも多すぎることを改めて思い知らされた。

 戦争を知らない、ましてや爆弾や兵器の恐ろしさを概念的には判っていても、何事もなく平和な時代に育った世代の人達に、どのようなことをどうゆうふうに語り継げばいいのか、考えれば考えるほど難しい課題だ。

 でも、8月6日と8月9日がどうゆう日か知らない子供が増えている現実、そうして一方では被爆体験を語れる人が年々少なくなり、もう間もなくそれを語れる人がこの世にいなくなってしまうことを考えると、この課題の重さを改めて考えさせられた一日であった。

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原爆資料館前で、記念撮影
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平和の積み木に自分の思いを書く孫達
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式典会場でこの鐘を合図に全員が黙祷をささげる

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by matutaka31 | 2008-08-10 23:16 | 思いのまま | Trackback | Comments(3)
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Commented by よこはまT at 2008-08-12 22:27 x
直系三代で、お出かけだったのですね。
ほほえましくもうらやましい限りです。

祖父との会話は、孫の課題として長い時間をかけて
自分で解決していくものであり、楽しみです。
親との会話以上に、お互いの間には時間の含みが多いだけに
難解です。

しかし、すーっと絡んだ紐が解けるような瞬間が、訪れるのも確かです。
「おじいちゃんは、正直に話してくれるほど、孫にとっては財産です。」
私も、もっと話したかったなぁ
Commented by matutaka31 at 2008-08-13 18:01
今頃変ですが、孫に色々教えられましたよ。
「おじいちゃんは、正直に話してくれるほど、孫にとっては財産です。」
含みのある言葉ですね。
やはり子供の目線にあわせて、いろんなことを考えないで素直に話をしないと、気持が伝わらないですね。
 これからは、メールで話が出来るチャンスがありますので、楽しみです。
Commented by tetsu807-2 at 2008-08-14 10:54
お孫さん可愛い~~又、お茶目な帽子も可愛いですね。
爺ちゃんの目が細くなる様子が浮かびます。
私も心待ちにしているのですが、応えてくれる様子がありません。
催促がましくならないように、「変わりないか?」と
さぐりを入れても「ウン変わりないよ」・・・と、つれない返事。その気があるのか?と、疑いたくなります。


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