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2007年を振り返って

 2007年もアッと言う間に過ぎ去ってしまった。
 退職後7年目になるこの1年、定年になったらやってみたいと思っていたことを、さほど周りに気兼ねするもなく自由気ままにやれることがいかに楽しく充実した日々であるかを実感しながら過ごしてきた。

 それだけでなく、それ程意識していなかったことでも、これは定年後でしか出来ないことだと気がついたことをあれこれやっているうちに、これが私にとって本当の生き甲斐だと実感するようになった。
 70歳になってから始めて2年になる太極拳が自分の生活のリズムにはまり込んでしまったこと、ひょうたん池花クラブの活動もお互いの心が通じ合うようになってきたこと、家庭菜園の面積が広がりミニ耕運機の威力を実感しながら新鮮野菜を作る愉しみが増えたこと、そして何よりも多くの人達との交流の我が広がったことなど等挙げればきりがない。

 人間欲がある限り、そして元気がある限り、やりたいことがどんどん増えることだろう。
自分自身のこと、家族のこと、趣味のことそして社会貢献のこと等々考えは限りなく広がっていくに違いない。
私もそうである。
 やろうと思えば今すぐにでもはじめられることもあるかと思うと、かなり長期間かかりそうなこともある。また、金がかからないこともあれば、中には日頃の小遣いではどうにもならないものもある。

 ところが一方では、自分に残された時間が刻々と少なくなっていることは厳粛な事実であり、自分の気持とは裏腹に、体力・経済力・そして時間という越すことが出来ない大きな壁があることを、じわりじわり実感するようになったのも事実である。

 やりたいことを追い続けて自由気ままに動いていると、忙しい毎日になり、恐ろしいほど時間が経つのが早く感じる。ましてや、やりたいことと実際できることのギャップが大きくなればなるほど、なおさら1年が早く感じるようになるのだろう。

 この1年は私にとって、まさに「光陰矢の如し」がぴったりの1年だったように思う。
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by matutaka31 | 2007-12-31 10:47 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)

孫達の天下

 我が家の生活は、26日から、何時もの老夫婦の生活パターンから孫中心モードに180°転換した,と言うよりさせられた格好だ。還暦以上の世代への逆戻りだから並大抵のことではない。
 小学3年生と幼稚園児が、狭い我が家の中を、所狭しとはしゃぎり回っている。それだけではない。 一際大きい声で歌うかと思うと、今度は大声で笑いこける。 仲良く遊んでいるかと思うと、突然姉妹でけんかをして、どちらかが泣き叫ぶ。

 子供のパワーの凄さに、今更ながら驚かされる。 子供達には、「疲れる」という言葉は無縁のようだ。
静かにしているのは、電子ゲームに夢中になっている時と食べている時だけである。

 私も早速ゲームの相手をさせられる。
でも私は、この電子ゲームなるものが苦手である。
素早い反応が要求されるが、とてもついていけない。
頭の回転もさることながら指先の動きもままならないので、とても相手にならない。
叶わないと分かっていても、子供に負けまいと、ついのめりこんでしまうからおかしなものだ。

 今日は幸い穏やかな小春日和だったので、家の中だけで遊びの相手をするのはもったいないから、家庭菜園に連れ出し、ピーマンの収穫やさつま芋・じゃが芋堀を体験させてやった。 ここだけは、ジジの世界に引き込める唯一の場所だ。
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 生まれてこの方、田舎での生活がないので、芋ほりや、ミミズや団子虫との出会いにかなりの興味を示していた。
 その後は大根の抜き取りを体験させたが、大きな大根を夢中になって抜き取っ多後は、喜びと満足感にあふれているようだった。
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 孫達がくると、何時もはシーンと静まり返っている夫婦二人きりの家中に、ぱっと花が咲いたようで活気にあふれてくる。
 今回はわずか8日間の滞在であるが、生活パターンのギアチェンジをしなければならないので正直疲れる面もあるが、それよりも若い力が家中にみなぎるのは何ものにも代えがたいことで嬉しいことである。
 何時ものことだけど、孫達が帰ってしまうとホッとする反面、特に家内は淋しさを隠し切れないようで、何時ものモードへ戻すのに時間がかかることだろう。
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by matutaka31 | 2007-12-27 22:46 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)

月曜午後の菜園

 太極拳メンバーのNさんが、練習の後、私の家庭菜園の手伝いをしてくれた。
Nさんは元々アウトドアータイプの人だけど、太極拳の練習後、天気がいい日は時々菜園の手伝いに来てくれるので、私も大助かりだ。
今日は快晴無風で、のんびり世間話をしながらの作業で、お陰で私も作業の手がはかどる。

 今日は、スコップと鍬を使った天地返しをしてそこに畝を作ってもらった。
最初の頃は慣れない手つきであったが、最近では大分うまく畝を作れるようになったきた。b0008825_102476.jpg
先日はミニ耕運機に挑戦してもらった。初めてにしては上手い。

 しばらくすると、TさんとKさんがやってきた。やはり太極拳のメンバーだ。
昼食の時、“野菜を採りにおいでよ”と声をかけておいたのだ。
いつもは隣畑ののおじさん達と世間話をしながらの作業であるが、今日はメンバーが入れ替わり4人揃って、ひときわ賑やかな楽しい雰囲気になった。

 ひとしきり会話でにぎわった後、二人には白菜、大根、蕪等を持ち帰ってもらった。
丹精込めて作った野菜を、喜んで笑顔で持ち帰ってもらうのが嬉しくてたまらない。
喜んでもらうと、また来年もっといいのを作ろうと、意欲が湧いてくる。
自分で食べるだけでなく、周りの人達に喜んでもらえるのが、私の菜園の楽しみ方だから。

 昨日、近くのNKさんから、“醗酵済み堆肥を沢山もらったので、良かったらどうぞ”と声をかけてもらっていたので、一輪車を持ってNさんとNKさん宅を訪ねた。
そして、立派な完熟牛糞堆肥を大袋4袋分分けてもらった。
美味しい野菜作りには、堆肥が不可欠だから、有難いプレゼントだった。

 Nさんにも新鮮な野菜を持ち帰ってもらった後、今度は隣の畑のAさんが“蕪を頂戴!、うちのはまだ小さいのでな”と声をかけてくる。
どうぞと、立派に大きくなった蕪を差し上げた。
 今日は賑やかな、気持のいい一日だった。
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玉ねぎの作付け状況

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by matutaka31 | 2007-12-17 22:18 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)

数え年

 先日、福岡市郊外のセブンミリオンCCでゴルフをした時の会話である。
メンバーは97歳を筆頭に80歳台、70歳台 60歳台(平均年齢80歳)の久しぶりの組み合わせ。

 スタート前の一時、最高齢の方が、“ 「貴方は来年、白寿ですね」とある人に言われ、我ながらそんな年になったかとつくづく考えたよ、それにしても1年経つのが恐ろしいほど早い”、とおっしゃる。

“だって、今97歳でしょう?白寿は再来年でしょう”
と言うと“年祝いと享年は、数え年で言うんだよ”とたしなめられた。
確かに、数え年で言うことは知っていたが、満年齢に慣らされている我々には、実際問題としてピンとこない話だ。

 白寿とは数え年で99歳のこと、したがって、現在満97歳の人は、12月現在数え年98歳だから来年元旦には99歳(白寿)になる、という次第である。

 数え年は、誕生日ではなく元旦が起点になることくらいは知っていたが、実際、自分の年齢に当てはめるてみることはなかったので、改めて数え年のことを調べてみた。

数え年とは、「生まれたときを1歳とし、以降、元旦を迎えるたびに1歳を加える」年齢のことで誕生日起点の満年齢と異なり、元旦が起点となる。

 分かりやすく公式を書いてみると
 元旦から誕生日前日まで:数え年=満年齢+2
 誕生日から12月31日まで:数え年=満年齢+1


 だからこんな極端な例も生まれる。
 12月31日生まれた人は、1月1日には2歳になるが、同じ1月1日生まれの人は、翌年1月1日にならないと2歳にならない。

数え年は、現在でも、占い、伝統行事(例:七・五・三、古希・喜寿・米寿・白寿等の年祝い、厄年)、享年に使われている。
(自分の、これから先の、年祝いをシュミレーションしてみようかな(^。^))

ちなみに現在の法律では、1950年(昭和25年)1月1日施行「年齢のとなえ方に関する法律」により、年齢を数え年によって言い表す従来のならわしを改め、満年齢を言い表すように心がけなければならない、とある。

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by matutaka31 | 2007-12-15 21:16 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)

フラッシュを使う

 私は今、シニアネット福岡(SNF)のパソコン教室でフラッシュを教わっているが、その中にフラッシュで作成したアルバムをブログに埋め込む方法を教わった。
実際どのような内容になるのか、早速、試しに取り入れてみた。

我が家の大輪菊

(下段のサムネイルをクリックすると、上段の画面が変わります)

 今まで、ブログへの画像挿入は、どちらかと言うと写真を並べるだけであったので、このフラッシュを導入することが出来れば、今までにない新たな一面を生み出すことが出来るので楽しみである。

 ところで、今回のフラッシュ講座に限らずSNFの講座に参加していつも思うことは、ボランティアで講座を受け持たれる講師とそのスタッフの方々の心労は、大変なものだということをつくづく感じさせられる。

 事前の資料作制とその内容のチェックや関連事項の確認も含めると、かなりの時間を費やされるに違いない。 ましてや実際の講座では、大勢の受講者を相手にした説明と矢のように飛び出す質問への対応など、その心労は大変なことだろうと思うと、お互い会員同士であるだけに申し訳ないような気持になる。

 私も別のクラブの勉強会で似たようなことを受け持つことがあるので、そのご苦労が、痛い程よく分かる。

 折角教えていただいたフラッシュだから、どこまで出来るかわからないが、いろんな事例を積み重ねて自由に使いこなせるようになりたいものだと思っている。
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by matutaka31 | 2007-12-13 22:49 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)

庭の八朔が色付いた

 今年から本格的に生り出した庭の八朔が、色付いてきた。
去年まで成長期だったのが、やっと大人になって、子孫を残す能力が備わった証拠だろう。
まだかまだかと待ち続けてきたから嬉しさも一入で、毎日、部屋の中からそして時には木のそばに行って、その立派に実った姿を見るのが楽しくてたまらない。
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 隣のユズの木に接木したユズとザボンも、負けじと色付いてきた。
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 みかんが色付くと言うが、この現象、実は「脱緑」現象だそうだ。
つまり、成熟(老化)促進の働きをする植物ホルモン「エチレン」の作用によって葉緑素が消滅して(緑が消滅して)、代わってカロチノイド等の色素が増加する現象だという。
 でもこんなことを言ったり考えたりすることは、自然の変化を神秘的と思う気持に水を差すようなもの、しかも「脱」より「付く」が縁起もいい話なので、興ざめな話かも知れない。

 ともあれ、本格的に生り出した我が家の八朔だから、これから先、病虫害から守りながら大切に育てなくてはならない。
今日、早速お礼肥を施した。

 まだ木が若いので、味はイマイチだと思うが、来年にはより美味しい八朔にするにはどのような肥培管理が必要になるか、これからの課題であり、楽しみでもある。
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by matutaka31 | 2007-12-09 22:29 | 思いのまま | Trackback | Comments(10)

ある忘年会

 先日、福岡市内で行われた、かっての職場のOB会の懇親会(忘年会)に参加した。
この地区(山口県~鹿児島県)の会員数155名中、81名が参加していた。
欠席の主な理由は、他の行事と重なったこと、体調が良くないことが圧倒的に多かったようだが、遠隔地のため出席をためらった人もいたと思われる。
ともあれ、約半数の会員が一堂に集まれるということは、他の会社のOB会の事情は知る由もないが、現役を退いたOB会ということを考えると、盛会でおめでたいことである。

 このOB会では年二回の懇親会が行われるが、毎回7~80名(年齢は60歳台から90歳代まで)の会員が参加される。
今回は、クラブ活動の紹介や十八番の演芸披露など今までと趣向を変えた幹事のアイデアが取り入れられ、今までにない活気に満ちた盛り上がりをみせていた。

 私がこの懇親会に参加して何時も感じることは、これが現役を引退した人達の集まりだろうかと疑いたくなるような盛り上りで、その雰囲気が極めていいことだ。
最長老の元気な発声による乾杯で始まる懇親会は、アッと言う間に熱気に包まれ、文句なしに楽しい雰囲気に包まれる。

“おう!久しぶりだね” “相変わらず元気そうだね”と、お互いに元気で久しぶりの再会を喜び合う。
“その後、どうしている?” “イヤー相変わらず、・・・”
そのあとは、お互いの趣味、健康上のこと等、会話が途切れることなく続き、ある人は立ち話で、またある人は椅子に座り込んで旧交を暖めている。
周りがどんなに騒がしくとも、そこにはその人達だけの別世界が生まれる。
そんな雰囲気だから、アッという間に2時間くらい過ぎてしまう。

 その楽しさの秘密を私なりに考えてみた。
当然のことながら、集まった人達は元気な人ばかりだから、と言っても持病を持たない人は少ないに違いない。でも、それを口にする人はいない。
また年齢差が30歳以上開いているにもかかわらず、かっての職場での先輩・後輩関係を思い出させるようなことは一切口にせず、今現在の個人を夫々認めあった会話を交わしている。
そしてお互いに、今の健康な生活振りを称えながら、再会を誓いあう。

 こんなすばらしい集いは、何回あってもいい。そして何時までも続いて欲しいと思う。
私は、こんな楽しい懇親会に参加できる、今の生活環境と健康に感謝!感謝!である。
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by matutaka31 | 2007-12-06 22:53 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)

久しぶりの映画鑑賞

 先日、「オールウエイズ 続 3丁目の夕陽」を観た。
ストーリーに興味があった訳ではないが、昭和30年代初めの頃東京で学生生活を送った私にとって、当時の社会風潮が懐かしく思えたからだ。
戦後の疲弊した社会から、高度経済成長へと歩みだした頃の、懸命に生きるある街角の人生模様の物語である。
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 そこには、貧しくとも、みんなで助け合う温かい微笑ましい人間社会があった。また、正直に活きる人々の正義感と良心があった。

 当時の生活環境が次々に繰り広げられていく。
小型のオート三輪車、手回しの電気洗濯機、手動チャンネル切り替えのテレビ、それにコッペパン、九州では珍しい豚肉のすき焼き等々、当時を思い出すに十分なものが次々に目の前に現れ、つい当時にタイムスリップしたような錯覚を覚えてしまった。

 観ているうちに、映画に出てくるような薄汚い町工場(まちこうば)に学生アルバイトで働いたことを想い出した。東芝の部品組み立ての下請け工場だったように記憶している。日給は240(当時ニコヨンといった)~300円、それでも温かい雰囲気に包まれ、みんな懸命に働いていた。何処へ行っても暖かく迎え入れてもらったことが、つい先日の出来事のように懐かしく想い出された。

 人には夫々充実した人生の生き方があることを、「夕陽の先には、明るい明日(あした)がある」ことに託して、爽やかに締めくくった心が温まる映画であった。

 今時、このような雰囲気を味わえる社会があるのだろうか。
少なくとも、私の住まいの周りには、みんなで助け合う温かい触れ合いを感じさせるものは無くなってしまっているように思えてならない。
  寂しいことだ。 
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by matutaka31 | 2007-12-02 11:39 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)

心が痛む出来事

 ひょうたん池の入り口に、7個のプランターを配置している。
ここを訪れる人たちに“どうぞご自由に中まで入って、ゆっくりしていってください”と呼びかける、言うなれば「ウエルカム・ひょうたん池」の看板代わりの役目を果たすプランターだ。
 そのプランターに植え替えたばかりの花のうち、葉ボタン3本とパンジー4本が何者かによって抜き去られてしまった。抜き去った跡を見ると、出来心で思わず引き抜いてしまう子供の悪戯とは思えない。

 ひょうたん池は、町内会はじめひょうたん池花クラブおよび水利組合の関係者みんなで力を合わせて、この地域の憩いの場として育ててきた場所である。
 その甲斐あって、この3月には「福岡県の快適な環境スポット30選」に選ばれ、更に11月には「福岡市西区の宝」として「ひょうたん池を守る会」が認定されたばかりである。

わずか花苗7本のこと、で済ませる問題ではない。
「みんなで育てる みんなの憩いの場所」の大事な花を持ち去るとは、なんとも情けない、多くの人々の善意を踏みにじる行為である。

 花を持ち帰った人は、おそらく花が好きな人に違いない。
でも、自然を愛し花を愛する人にとって、盗んできた花が自分の庭あるいは部屋を飾ることは、どんな意味を持つのだろうか。
 道すがら野辺の草花を摘み取る、また道端にはみ出た庭先の綺麗な花の小枝を頂戴するのとは訳が違う。
 心が痛む出来事である。
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ひょうたん池花クラブ会員によるプランターの植替え作業

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by matutaka31 | 2007-12-01 17:32 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)