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第2の故郷を訪ねる

 2月26日、前日の好天とうって変わった土砂降りの中、私は長崎自動車道を長崎県長与町を目指して車を走らせた。 行き先は、第2次大戦が始まった頃から終戦直後まで、父の転勤で過ごした借家の大家さん宅である。

 4年前大村市に行った機会に足を伸ばして、その大家さんのお宅を59年ぶりに訪ねたことがあったが、今回は姉と兄と一緒であった。
 10年一昔というが、正に半世紀以上も過ぎてしまった遠い昔の思い出が懐かしく、そしてその当時家族同然のお付き合いをしていただいた大家さんのご家族にお会いしたい一心から、3人揃って出かけることにになった。

 その長与とは、私の第2の故郷である。
私達が過ごした当時の長与は、周りの野山には小鳥がさえずり、小川にはフナ・ハヤなどが泳ぎ回り、周りのみかん畑は秋になると黄色い小山に変身する自然豊かな、のどかな田舎町であった。
そんなすばらしい環境の中で、大家さんはじめ近所の皆さんの温かい心に支えられ、友達にも恵まれ、自然の中で伸び伸びと過ごすことができた故郷である。
 当時は、戦時中のことで全ての生活物資が不足し、食べるものも少なくてひもじい思いをしながら、今では考えられない数々の経験を重ねた場所、そして十分な医療が出来なくて5才下の妹が他界した場所でもある。b0008825_1038498.jpg

 当時借りていた家屋
今は使われていないが、60余年過ぎた今も
大切に保存されていた。



 そうした苦しい生活の中にも心温まる思い出が一杯詰まった思い出の長与であるが、60年余を過ぎた今訪ねてみると、最近のの社会環境の変化の渦中に飲み込まれ、当時の自然豊かな面影を残さないまでの変貌振りで、長崎市のベッドタウンと化していた。
 でも社会の物理的変化とは関係なく、昔とちっとも変わらない大家さん家族の皆さんの温かい気持がそのまま、そこにあった。その気持に触れたとき、言いようのない嬉しさと懐かしさがこみ上げてきた。
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大家さん宅周辺(上部の白い四角は、北陽台高校グラウンド)
グーグルアースより

 大家さん宅では、その昔大変お世話になった94歳のおばあちゃんとその娘さん2人にお会いすることが出来た。 94歳のおばあちゃんは、耳が多少不自由であったが元気そのもので、私達のことをよく覚えてていてくれた。 上の娘さんは私の1学年下で、同じ国民学校に一緒に通って、いつも一緒に遊んでいた幼馴染である。 下の娘さんはまだ学校に通っていなくて、いつもおねーちゃんにくっついて遊んでいた、そんな懐かしい思い出の方々との再会である。

 みんな揃って話をしていると、不思議に63年の歳月を感じさせない、いつも出合っている間柄のような錯覚を覚える。
 お互いに年をとっているが、その63年間の空白を感じさせないのは何故だろう。
久しぶりの再会だから、お互いに共通する当時のことに話題を集中させたからだろうか。
また、互いに気を遣いあったためだろうか。
そうではない。
何もよそ行きの言葉で、体面をつくろったわけでもない。
ざっくばらんな懐かしい会話が尽きることもなく続き、アッという間に時計が進んでしまう。
 そこにはお互いの心が通じ合う何かが存在しているとしか思えない。
それは、当時、食料も生活物資もなく、切り詰めたギリギリの生活の中で、人間として心から助け合った間柄にのみ生まれる近親感・人間愛が、目に見えない形で心に刻みこまれているからだと思う。

 そのような境遇を大事に思い、当時の思い出を大切にしたいと思う大家さん一家の、心のこもったおもてなしとその人柄がそうさせたのだと思う。
 「遠い親戚より近い他人」と言うが、むしろ近い親戚より遠い他人と錯覚をしてしまいそうになるほどの近親感をおぼえてしまう。

 折角の機会だから、船津港、堂崎、長与駅周辺、そして亡き母と一緒に何度となく通った芋畑を当時の思い出を重ねながら車で一案内したいただいた。 特に、長崎市街地を望む、亡き母と一緒に何度となく通った芋畑の跡地周辺は、宅地化して当時の面影を残すものは何一つ見つけることはできなかったが、当時が思い出され、内心こみ上げてくるものを禁じえなかった。
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お土産に「長与ぶらり散歩」の冊子をいただいた。 
折に触れ、紙上での故郷探訪が楽しみだ

 



 訪れてお暇するまでのおよそ7時間、それは楽しい充実した7時間であった。再会を約して、後ろ髪を引かれる思いで長与を後にした。
いつの間にか、土砂降りだった雨も上がり、空には明るさがもどっていた。
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by matutaka31 | 2008-02-28 11:01 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)

庭の枝垂れ梅が満開

 玄関先にあるこの枝垂れ梅は、我が家に春の訪れを知らせる使者の役割を果たしてくれる。2月始めの定温で開花がやや遅れ気味だったが、紛うことなく今年も鮮やかな花が咲いた。
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 この頃になると、日差しが一段と明るくなり、三寒四温を繰り返しながら一歩一歩温かさを増すのを肌で感じるようになり、もう春だなーと実感させられる。

 他の庭木の新芽も芽吹き始める。
庭木の一本一本、鉢植えの花苗の一つ一つを注意深く観ていると、もう活動を始めていることに気がつく。植物は季節の変化に敏感だ!
 このような自然の営みを毎日眺めていると、心まで温かくなるのを感じる。
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by matutaka31 | 2008-02-24 11:27 | 思いのまま | Trackback | Comments(4)

河津桜

 2月になると、家庭菜園へ行く途中にある、Nさん宅の庭先の桜がほころび始める。そして、中旬になると見ごろになり、今では満開に近い。
 毎年、私の目を楽しませてくれるこの桜は何という品種だろうか?いつもそう思いながら、あるときNさんに尋ねてたことがあるが、よく分からないとおっしゃるので、それ以上深く尋ねることはしなかった。

 桜の木の周りは菜園として利用されているので肥料がよく効いているのか、花がビッシリついて、梅の花と違った趣があり、一足早く咲き誇る姿は見事である。
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 先日その桜の一枝をいただいたので、なんと言う品種だろうかと、実物を見ながら調べてみた。この時期に咲く早咲き桜と言えば、寒緋桜か河津桜と考えたが、どうやら寒緋桜ではなさそうだ。やはり河津桜ではないかと思って、私が持っている花に関する3冊の本で調べてみたが、どの本にも河津桜の記述はない。

 インターネットで検索したところ、そこには河津桜の情報が一杯あった。
正にインターネットは、情報の宝庫だ。

 花の現物と情報を見比べた結果、この桜は河津桜に違いないと確証を得るに至った。
その主なポイントを、河津町のホームページ他の情報からまとめてみると、
①樹形は広卵状で樹皮は紫褐色で光沢がある。
②花形は平開形で一重のやや下向きであり、花弁は5枚の円形で無毛、色は蕾の時は濃紅色だが満開時は淡紅色になる。
③開花時期は、例年、2月上旬から花を咲かせ、開花時期はほぼ1ヶ月間と長い。
Nさん宅の桜は、この特徴とぴったり一致する。
 
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  河津桜は、寒緋桜と早咲き大島桜の自然交配種と言われており、この桜は、静岡県伊豆 河津町に原木があることから、昭和49年に河津桜と命名され、昭和50年に河津町の木に指定されたという。
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by matutaka31 | 2008-02-21 10:43 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)

いつまでも、自分の歯で美味しく食べたい!

先日、約9年ぶりに歯医者に行った。
 私は、4本の親知らずを強制抜歯した以外右下の永久歯を1本なくしただけで、まだ27本の歯を残している。
特に痛みがあるわけではなかったが、最近冷たいものを口にすると歯がシミるようになったので、これ以上歯が悪くならないようにしたいと思って、9年前にかかった歯医者に診てもらった。
 当時のカルテが残っているかどうか疑問であったが、ちゃんと保存されていたので、一々経過を説明する必要がなく話は早い。かかりつけの病院の良さで、有難いことだ。

  医者の診断は、歯周病やムシ歯はないが知覚過敏症だとのこと。
歯磨きに力を入れすぎて、歯茎の近くが磨り減っているうえに歯茎が衰えているためだと言う。

 2日間にわたって念入りに歯石を除去してもたった後、孫みたいな若い看護師さんに正しい歯磨き方法を教わり、その後念入りに実習させられた。
今までわずか2~3分間でせわしく力任せに無茶苦茶な歯磨きをしてきたが、その長年の悪い癖が知覚過敏症の原因であるからには、何十年間も身についた磨き方をそう簡単に変えられるわけがないないと思いながらも、素直に聞き入れざるを得ない。

 歯磨きの方法について、注意を受けた要点は次の3点であった。

①まず鉛筆を握るのと同じ方法で歯ブラシを持って、やさしく磨くこと。
   (8分くらい時間をかけて丁寧に磨くとよい)
②ハミガキは、ほんのチョッピリつけるだけでよい。
   朝晩2回磨くのであれば、夜はつけないで時間をかけて丁寧に磨くといい。
   (ハミガキには、歯のエナメル質を溶かす成分が若干含まれているので、
   1本のチューブを1 年間使う位の感覚でよい)
③磨くのは歯茎(歯の付け根)に刺激を与えるように磨くよう心がけること。
   歯茎を磨くと、歯茎を健全に保ち、歯根を保護する効果が大きいという。

 歯茎をマッサージすることの大切さを言われて、私には別の意味で思い当たることがある。と言うのは、義兄がある病気で入院したとき、嚥下障害で苦しんでいるのを見て、何かいい方法はないものかとネットで調べたことがあるのだが、歯茎のマッサージが嚥下機能の回復に効果があるという記事を読んだことを思い出したからである。
 人は、加齢にしたがって嚥下機能が低下するそうだから、そのためにも歯茎のマッサージは欠かせないことだと、今更ながら思い知らされたことである。

 インターネットで検索してみると、要介護になっている老人の歯を調べてみると、ほとんどの人が入れ歯をしていて、その多くが入れ歯がしっかりかみ合っていないため、食べ物を良く噛むことをしない人達だという事例が目に付く。

 これから先、80-20(80歳で自分の歯を20本保持する)の目標を越せるよう、今までの歯磨き方法を変えて、もっと歯を大事にしよう。
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by matutaka31 | 2008-02-19 10:25 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)

極寒の阿蘇 古閑の滝

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 2月14日、阿蘇市一の宮町にある「古閑の滝」を訪ねた。
阿蘇外輪山にある高さ約100mの絶壁には、無数の氷柱が見事な自然の芸術作品の様相を呈していた。真下から見上げる滝は、壮観そのもので、観る者を圧倒する。
14日未明の阿蘇市乙姫の最低気温は零下8度まで下がったそうだから、氷柱を観る絶好の条件だったわけだ。
 
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by matutaka31 | 2008-02-15 10:53 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)

雪山を歩く

「難所が滝」から「仏頂山」へ

 難所が滝の巨大な氷柱が観られるのは、1月末から2月上旬までの間で、平地でも気温が0℃くらいまで冷え込まないと、なかなかチャンスにめぐり合えない。 先週末の冷え込みと雨が山では雪と氷に変わっているだろうと勝手な想像で、難所が滝の氷柱の見ごろ到来と思い、昨日(11日)勇んで出かけた。

 昭和の森駐車場を9時頃出発し30分位歩いても雪がなかったが、標高が高くなるにつれ周りが雪景色にかわって行く。来てよかった!と充たされた気持になり、一歩一歩登りつめていく。
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 滝が近くなるにつれ足元が滑りやすくなってきたので、アイゼンをつける。
そして10時20分ごろ、目的の「難所が滝」に到着した。

 今年で5年連続して氷柱を観に行っているが、その日の条件が違うので単純に比較できないが、氷柱の規模が年々小さくなっているように思えてならない。今年も予想より氷柱は小さかった。これも地球温暖化のせいだろうか?

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氷柱を観ただけでは満足できず、もっと雪山歩きを楽しみたくなって、仏頂山(869m)まで登ることにした。
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 三郡山縦走路の近くまで登ると、そこにはまだかなりの雪が残っていて、雪山歩きの雰囲気を存分に楽しむことが出来た。サクサクと雪を踏みしめながら、黙々と登る雪山歩きはなかなかいいものだ。

 仏頂山(869m)からウサギ道を通って下山したが、この道は人影もほとんどなく、自然の良さを感じながらマイペースで歩けたのが良かった。
風もない静かな山道で、バサッと音がする。 野鳥か猪かと思って振り向くと、そこには物陰はなく、枝に積もった雪が重さに耐えかねて落ちた音だった。

 そんな静かな山道を歩くこと4時間、びっしょり汗をかく程の行程であるが、存分に雪山の爽快感を味わうことが出来た。
 やはり雪山はいいものだ。 自分の年を忘れさせる山の不思議な魅力の虜になった一日であった。
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by matutaka31 | 2008-02-12 10:44 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)

濡衣塚

 あるとき車の運転中、ラジオ放送を何気なく聴いていると、「濡れ衣」(おぼえのない罪の意味)という言葉の由来といわれる古跡が福岡市博多区にあることを、偶然耳にした。
 その古跡「濡衣塚」は、福岡市博多区を流れる御笠川にかかる「石堂橋」のたもとの国道3号沿いにある。
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案内板には、福岡県指定有形文化財「康永三年銘梵字板碑」(ぬれぎぬづか・こうえいさんねんめいぼんじいたび)と記されている。b0008825_10133559.jpgb0008825_10183722.jpg
 







 
 石碑の案内板によると、聖武天皇の頃、継母に無実の罪をきせられて死んだ筑前国司の娘を供養した墓と伝えられており、「濡衣塚」と呼ばれています。
この石碑は板碑(いたび)と呼ばれる中世の石造物で、玄武岩(げんぶがん)の自然石を用いています。高さは約165cmで、梵字(ぼんじ)が正面3箇所に太く刻まれています。最上段は大日如来(だいにちにょらい、バン)、右下が宝幢如来(ほうとうにょらい、アー)、左下が天鼓雷音如来(てんくうらいおんにょらい、アク)を表現しています。
康永3年(1344)の銘が刻まれており、南北朝時代の板碑であることが分かります。(以下略)

 この謂れとは、聖武天皇の頃、佐野近世なる人物が筑前国司として赴任したが、妻に先立たれ、土地の女を後妻に迎えた。その後妻は夫が先妻の娘春姫ばかりを可愛がっていると考え、春姫を妬んで嫌がらせをたくらんだ。
 ある日、後妻は漁師をそそのかし、近世に「春姫が夜毎に通ってきて、釣り衣を盗んで行くので返して欲しい」と言わせた。 これを聞いた近世が春姫の部屋を覗くと、春姫は濡れた衣を着て眠っていた。濡れた衣も後妻が仕組んだものだったが、それを見て逆上した近世は、春姫の言い訳も聞かずに、その場で斬り殺してしまったという。

 後に春姫の無実を知った近世は、罪を悔いて出家し、この地に濡衣塚を作って供養したと伝えられている。
 この話から、「濡れ衣を着せられる」という言葉が生まれたと言う。
濡れ衣:語源由来辞典

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by matutaka31 | 2008-02-10 11:14 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)

梅の花が真っ盛り

 毎日どんより曇った寒い日が続くが、もう春はすぐそこまで来ている。
近所の庭の梅は、もう真っ盛り。
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我が家の遅咲きの枝垂れ梅もちらほら咲き始めた。
「梅一輪 梅一輪の温かさ」を実感させる。
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先日、パソコン教室からの帰り道「舞鶴公園」の梅が咲いているという話を聞き、公園の梅を観てきた。早咲きの品種はもう満開状態のもある。
梅の花目当ての観光客も多く、カメラの放列があちこちで見られた。b0008825_10353086.jpgb0008825_10363823.jpg

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by matutaka31 | 2008-02-03 10:54 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)