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能古島を歩く

 先日、町内の人達と博多湾に浮かぶ能古島を歩いた。姪浜から渡船で10分で行ける、都会の喧騒から離れた自然豊かな島である。
 時間に制約されるわけでもなく、木漏れ日が射す山道を、世間話をしながらのんびり歩くのもいいものだ。 道端にはツワブキがいっぱいあり、いろんな珍しい草花が咲いている。あれは何?これは何?の連続だから、否応なしにのんびり歩くことになる。

一人が「ワー、イチゴがある!」と声を上げる。
振り返ると、草イチゴが真っ赤に熟している。
懐かしい! 子供の頃よく食べたことを思い出す。
しばらく歩いていると、ここにも、あそこにも、草イチゴの赤い実が見える。
もう、みんな童心にかえり夢中でイチゴの実を獲る。
そして、その独特な香りと甘酸っぱい味を楽しむ。
人も車もめったに通らない山道だから、イチゴの実の色も鮮やかできれいだ。
思いがけない自然との触れ合いを楽しんだ一時である。

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蛇の怖さも忘れて童心にかえる

 枇杷畑では、遠くから見ると白い花が咲いているような、袋かけが終っていた。みかん畑には、甘夏が色ずく傍ら白い花が咲いている。 そして山肌に桐の花も咲いていた。b0008825_11264795.jpgb0008825_1127518.jpg

 標高195mの展望台からの、博多湾を取り巻く360度の展望はすばらしい。 福岡市、海ノ中道相の島、志賀島、玄海島、西浦、・・・、遠くは背振山、宝満山、立花山、・・・が。
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360°のパノラマの一こま

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楽しい弁当の一時


 午後4時発の帰りの船の中で、島の小学校から対岸の福岡市内の自宅に帰る子供達に出会った。これが朝であったら、何も不思議に感じなかっただろう。 島の子供達が福岡市内の小学校に通う、ごくありふれた光景だと思うから。

 その小学生の元気のいいこと、船内は賑やかで活気がみなぎる。子供達は言葉もはきはきしていて、礼儀正しい。こちらの話に素直に応えるし、「有難うございました」とお大きい声で挨拶も出来る。 こんな清々しい素直な子供達に出合ったのは、絶えて久しい。
 
 最近、子供らしい素直な子供達に出会うのが少なくなっていたので、後日、能古島小学校に尋ねたところ、通称海っ子、山っ子スクールと言う制度があって、福岡市内では能古島小学校を含め4校が対象になっているそうだ。
 こういう学校でのびのび育った子供達は、将来きっと心の広い立派な大人に成長するだろう。 久々に島の自然を思いっきり楽しめた帰り道、子供達に「有難う」と言いたくなるような爽やかな気持になれた一日であった。

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by matutaka31 | 2008-05-27 11:30 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)

駕与丁公園の薔薇

 先週福岡県糟屋郡粕屋町の「駕与丁公園」の薔薇園に出かけた。
この駕与丁公園、福岡市の中心から都市高速を使えばわずか30分足らずで行ける親水性の公園であるが、意外に知られていない。
 駕与丁公園(かよいちょうこうえん)、すんなりこの呼び名を読める人は少ないだろう。また一度訪れると記憶に残る公園であるが、かといって公園の名前をすんなり書ける人も少ないだろう。
 この公園は、広い池を囲む4.2kmの遊歩道、桜並木、バラ園、遊園地等々、自然豊かな公園で、一度訪れるとその良さが忘れられない。そんな魅力にひかれて、私はここ4年、所属クラブや同窓会の仲間と毎年桜の花見に来ている。
 先週、ここの薔薇園がすばらしいとの情報があったので、デジカメをぶら下げてぶらりと行ってみた。薔薇は満開をやや過ぎた感があったが、色とりどりの薔薇が見事に咲き誇って、あたり一面独特な香りが漂っていた。
 とりわけスタンダード仕立ての薔薇が多いのが目をひいたが、静かな水辺空間に咲く薔薇は、周りの緑と調和して癒しの空間を醸し出していた。
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薔薇のアルバムをどうぞご笑覧ください。
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by matutaka31 | 2008-05-25 10:44 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)

心温まる光景

 先週土曜日朝、何時ものとりJR筑肥線周船寺駅から福岡空港行き電車に乗った。
私の前に杖をついた白髪のご夫人が乗り込んだが、生憎座席が空いていない。 ご夫人は周りを見渡し、席がないのを確かめると、ごく当り前のように座席横の支柱につかまっておられた。

 周りの座席には老若男女が、何時も見かける様々な形で座っているが、誰一人として席を譲る気配がない。 誰か席を譲ってあげればいいのに、と思うとなんだか寂しい気持になる。
なんとなく冷え切った空気が、一瞬車内にみなぎる。
最近、こんな光景は珍しくない。

 ところが走り始めて間もなく、近くの座席に座っていた小学生の男の子の前に立って本を読んでいたお母さん(と思しき人)が、その子供になにやら優しく耳打ちをしていた。
 本を読んでいた男の子は、スッと立ち上がり件のご夫人の側に行き、なにやら話しかける。(多分、どうぞ座ってください、と言ったのであろう)
ご夫人は、笑顔で“いいよ、いいよ”と言うそぶりをしたので、その子のお母さんが子供の助太刀をして、「どうぞ」と座るように促す。

 ご夫人は嬉しそうに“有難うございます”とお辞儀をして、満面の笑みをうかべてその席につかれた。そして席を譲ったお母さんと子供は、何事もなかったように、少し離れた場所で二人並んで本を読んでいた。
一部始終を、近くで眺めていた私は、ホッとして、心が温まる思であった。

今の日本では、このような出来事は、もう当り前の光景にはならないのだろうか。 
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by matutaka31 | 2008-05-20 11:21 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)

青虫との生存競争

 「オイチャン頑張っとるね。」

 「ハィ しょうがないですよ。」

 「やっぱり青虫にも餌をあげんといかんもんね。」

 「そう!彼らも生活がかかっとるしねー。」

 隣の菜園のオイチャン(親しみを込めて、おじさん)が、私がキャベツの青虫を一匹一匹獲っている時に声をかけてきたときの会話である。
何時も、「青虫の餌つくりは大変だね」と冗談を飛ばすオイチャンである。

 私がせっせと青虫退治をしている周りにはモンシロチョウがひらひら気ぜわしそうに飛び回る。「邪魔しないでよッ」 と言いたげである。
でも、この青虫にはほとほと閉口する。
見つけ次第捕殺するが、翌日にはちゃんと大きいのが悠然とキャベツを食べている。
保護色でちゃんと身を守っているので、青虫にとって人間の目なんか節穴同然だろう。

 この辺の菜園には、野鳩やカササギ(カチガラス)が沢山いて、蒔いた種、発芽直後の新芽、熟した果菜類が狙われるが、この青虫だけは食べてくれない。せめて青虫でも退治してくれれば、大事なお客さんとして、少々の被害は我慢するのだが、・・・。
 青虫や鳥達は、美味しいものと、食べてはいけないものをちゃんと見分けている。

 青虫がつかない農薬を知らないわけではない。それを使えば綺麗に結球したキャベツが出来るのだが、生で食べるのだから、虫もつかないような野菜は作りたくない。
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でも、このままでは蜂の巣みたいに穴が開いて、中に雨水が入り込むとキャベツが腐ってしまう。
 背に腹は変えられない。
天然の有効成分を使った殺虫剤でひとまず退治した。有機栽培に適した殺虫剤で収穫前日まで使用可能、と説明書きがある。だが、果たしてどれだけもつか。1回の散布で済むだろうか。?
 当分、青虫との喰うか喰われるかの闘いが続きそう。

   私の菜園の様子(松ちゃんの菜園記) 
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by matutaka31 | 2008-05-13 11:03 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)

茶の湯の心

 5月2日、太極拳の師範宅での「藤の花見」に、気心の知れた仲間数人が招かれた。師範は茶道の先生でもあり、先生の心遣いで、お弟子さんがたててくれたお茶をいただくことになった。

 茶道の心得が全くない私は、ただお弟子さんの作法をじっと見守るだけで、その動作がどうゆう意味があるのか、また、私自身はどう振舞えばいいのか知る由もない。静かな茶室で、正座で足が痺れるのを我慢しながら、時には庭の植木の間から見える藤の花に目をやり気を紛らわしながら、なんと堅苦しい作法だろうと思っているうちに、目の前にお茶が差し出される。
 そして言われるままに、見よう見まねの俄かつくりの作法らしきそぶりで、差し出されるお茶をいただく。なんとぎこちない作法だろうと自分でもふきだしたくなる。

 今まで何度かいわゆるお茶会みたいな場に出会ったことはるが、恥ずかしながら正式な茶の湯を経験するのは初めてである。今回は約2時間くらいの間、最初から最後まで一連の作法を客の立場で体験せていただいた。そのお陰で、茶道の心を全く知らない私でさえ、日本の伝統文化として今なお引き継がれているのは茶道の奥深い何ものかがあるのだろと、ふとそんなことを考え、何かしら心に響く不思議なものを感じた。

 少し気になったので、家に帰ってからインターネットで「茶道」についてのページを一寸だけのぞいてみた。その中に表千家のHPがあった。それによると、 
その伝統は、単なる型の継承ではなく歴史の中でそのあり方が模索され、その時代に即した新たな息吹がそそぎ込まれることで、生きた文化として伝えられてきました。
茶の湯は、おいしいお茶をもって主客ともに楽しみ、心を通わせることに大きな意義があると言えるでしょう。
と書いてあった。

 「主客ともに楽しみ、心を通わせる」この言葉に、茶道の全てが込められているように思う。
この言葉の意義を実現させる手段として、茶室があり、必要な飾りがあり、その中での作法があるのだろう。更に、主客がゆったりとした空間で、心を通わせるゆとりがなければならない。
「型」ではなく「心」、心を通わせるために必要な型=茶室と作法それが茶の湯の心かも知れない。

 何かとあわただしく移り行く現代社会において、時計の針を止めるような、ゆったりした心境になることも時には必要なのかもしれない。そんな優雅で心に残るような別世界を作れるといいな~と、夢みたいな考えが一瞬脳裏をかすめる。

 だが、現実に戻って自分のこれから先、そんな境遇になれるだろうか。???
それはとても考えられない。しがない年金生活者には夢また夢の世界である。
では、もっと心身ともに枯れてからはどうだろうか。
いやいや、心身ともに枯れた時には、「主客ともに楽しみ心を通わせる」心境になれないだろうし、そうゆう間柄も存在しないだろう。 納得!納得!

 お茶のあと、現実に戻って酒席が盛り上がったことが、何よりの証拠である。
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by matutaka31 | 2008-05-05 10:53 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)

有田陶器市から武雄市御船山楽園へ

 私は毎年、5月の連休に行われる陶器市に出かけることにしている。東京にいた頃は、もっぱら栃木県の益子陶器市に行ったものだが、今年は4年ぶりに佐賀県有田の陶器市に出かけた。

 特別、陶器に趣味があるわけではないが、日頃使っている食器が何時も同じものだと飽きてくるので、年に一度陶器市の掘り出し物を探しに行く。よほど気をつけて見ない限り気がつかない極小さなシミや絵柄の乱れなどがあるものは、2級品扱いになり価格が半額以下になるので、思いがけない高級品を格安で手に入れる陶器市ならではの面白さがある。観賞用ではなく実用の陶器だから、料理が美味しそうに見える器であればそれで十分なのだ。
 そればかりでなく、日頃陶器を観て回るほどの趣味があるわけでもないので、ほとんど見る機会がない高価な陶器をゆっくり眺めて回るのも楽しい。
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9時過ぎの陶器市の様子


武雄市 「御船山楽園」に立ち寄る
 武雄28台領主鍋島茂義公が作った名園である。約15万坪の園内には5万株のつつじが咲き乱れていた。一部は満開を過ぎていたものもあったが、御船山の麓には満開のつつじが燃えるように周りの新緑に映えていた。
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by matutaka31 | 2008-05-03 19:27 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)

久しぶりのゴルフ

 3ヶ月余休んでいたゴルフを、冬眠していた動物が眠りから覚めるのと同じように、4月30日再開した。場所はセブンミリオンCC、周りの新緑の木々に包まれたフェアウエーの芝は、緑の絨毯を敷き詰めたみたいに見事に管理されている。天気は快晴、そんな恵まれた環境の中で気心の知れたパートナーとプレーするわけだから、これ以上の条件はない。だから久しぶりにしては疲れを感じさせない心地よいゴルフを楽しむことが出来た。

 スタート前は、「今日は健康のための運動だから、「スコアーなんか気にせずのんびり遊ぼう」と、何時もの雑談を交わすのだが、どっこいそうは行かないのがゴルフの魔力と言うものだろう。一旦プレーが始まると、ショットの良し悪しとスコアーを追い求める闘いの雰囲気にのめりこんでしまう。一打一打、そしてホール毎のスコアーに、緊張と一喜一憂を繰り返す。それがゴルフの面白いところで大勢のゴルファーを引き付ける魅力なのだろう。

 ゴルフプレーでよくある「れば・たら」を言わせて貰うならば、久しぶりのプレーでアプローチの距離感が鈍っていたようだ。とりわけグリーンまで100ヤード余のアプローチでは、ピッチングを使ったショットが2度もグリーンを大きくオーバーして、一度はロストボールになる始末。
 当日の私のスコアーは、アウト48・イン48の合計96で決していい成績ではなかったが、久しぶりのゴルフにしてはま~ま~と言うところだろうか。

 スコアーは兎も角として、3ヶ月余スウイングの練習すらしなかったにも係わらず、腰の切れにも違和感がなく、ショットが大きく乱れることもなかったのは、日頃太極拳で体を鍛えているからだろうと密かに自己満足したところである。そして、和気藹々と楽しいプレーが出来たことに感謝、感謝の一日であった。
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by matutaka31 | 2008-05-02 22:42 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)