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くれない族

「紅族」と書けば暴走族みたいな怪しげな集団を想像してしまうが、「くれない族」となると、うん?と頭を傾げてしまう。
実はこの言葉、今読んでいる曽野綾子著「老いの才覚」の書き出し部分にでてくる言葉である。
b0008825_218185.jpg曽野さんが書いた「くれない族」とは
 
 友達が・・・「してくれない」
 配偶者が・・・「してくれない」
 娘や息子や兄弟や従兄弟が・・・「してくれない」と終始口にしている人がいます。
 「今度行く時私も連れていってくれない?
 「○○さんに伝えておいてくれない?
 「ついでに買ってきてくれない?・・・・・・と絶えず他人を当てにしている人もいます。

私は曽野さんの説に便乗して、・・・「してくれ族」も追加したくなる。
 曽野さんは、こう続ける。
 どんなに若い人でも、「くれない」と言い出したときが、その人の老化の始まりです。そして、どれだけの頻度で「くれない」を発するかを知ると自分のくれない指数つまり老化の進行具合を知ることができると。

 こう言われてみると、自分にも思い当たるふしがある。
 特に後段の「くれない?」を度々使っているようだ。
 それは、相手に負担をかけることとは思わず、気軽に言える間柄でしかも信頼しきっている相手に、親しみを込めて頼んでいるつもりなのだが・・・。受け止め方によっては、自分でやればいいのに・・・と言われても仕方のない、他人を当てにしているのと同じことかもしれない。

 現職の頃ある程度の地位に着いていた人は、定年後も周りの人が当然・・・してくれるものだと思い上がった考えが身に染み付いているのか、あるいは物事がうまくいかないのは自分のせいではないと思い込んでいるのか、意外とこの「くれない族」もしくは「してくれ族」が多いようだ。
 このような「くれない族」が定年後、家庭内に居続けるとどうゆうことになるだろうか。奥さんはストレスがたまり、外に向かって家の旦那は・・・をしてくれない云々と、「くれない」を連発するに違いない。
 その結末は、「くれない族」二人揃って、きっと老化坂を足早に駆け下りていくことになるのだろう。

 私は、57~58歳の頃、定年後の過ごし方に関する本を、何冊も読んだ。
 そして1週間のうち、3~4日は家の外に出かける生活設計を内々に作り上げていた。
 退職後それを実行して今ではそれ以上に充実した毎日を過ごせるようになったと思うので、当分くれない族にならなくて済みそうだと思っているのだが、ひょっとすると自分だけの思い上がりかも知れない。気をつけなくっちゃ! 
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by matutaka31 | 2011-08-29 21:12 | 思いのまま | Trackback | Comments(10)

「平和のための戦争展」をみる

 アクロス福岡で開催中の、「平和のための戦争展」をみた。
 「2011平和のための戦争展ふくおか」は、柳条湖事件・満州事変勃発以来80年を経過した今、ややもすると風化してしまいそうな日本の過去を今一度思い起こさせると同時に、これからの日本の進むべき方向について考えさせられる内容であった。
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展示会場の一部

主な展示内容
「柳条湖事件」(満州事変)勃発以来第二次世界大戦に至る経過
「郷土と戦争」 福岡空襲、鉄と石炭、博多港引揚
「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ」

 特に私の目をひいたのは、日本軍の非人道的な中国人虐殺場面と、広島・長崎の原爆被災場面だ。
 いずれも目を背けたくなるような光景であるが、日本人である以上、この事実は絶対目を背けてはいけない、つらくても正面から見つめていかねばならない問題である。
 そして戦後66年を経た今の平和は、戦争によって多くの尊い命の犠牲の上に築かれたものであること、日本が侵した過ちにより多くの人が犠牲を強いられた国々があること等を、正確に後世に伝えなければならない義務がある。

 もう一つ、私が注目したのは、入り口に設置された「原発と地震帯の世界地図」である。
 日本は極端な大地震発生地帯の上に原発が数多く立地しているのに対し、北米・ヨーロッパは大地震大地震発生歴のない所に原発が立地している事実だ。
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赤い印は大きな地震発生場所、黄色のマークは原発所在を示す

 ハリケーンと竜巻対策に重点を置いて開発された原発施設の安全対策を、そのまま地震と津波対策を重視しなければならない日本に導入した、日本の原発のベーシックな問題点を浮き彫りにしている。
 
 同会場で上映された新藤兼人監督「原爆の子」に、舞台となった同時代を生き抜いてきた当時が思い出され、思わず涙ぐんでしまった。
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by matutaka31 | 2011-08-27 10:24 | Trackback | Comments(8)

夕顔と夜顔

 昨日の朝日新聞「天声人語」で、夜顔を夕顔と間違えたことを詫びる一文があった。
 一瞬、うん?と思って読み返した。
 正直言って、「夜顔」が存在することを知らなかった。長年趣味の園芸に携わってきた者として、無知を恥じる思いだった。
 早速、「花の辞典」で調べてみると、確かに「ヨルガオ」があった。
 「夕方になると甘い香りを漂わせながらアサガオに似た純白の大輪花開く・・・」とある。ヒルガオ科の蔓性植物、花はロート形で夕方から咲き始め翌朝にしぼむ。 別名夕顔ともいう。日本には明治の始め渡来した。

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写真は「夜顔」、インターネットよりお借りしました。

 もう一つの標準和名「夕顔」は、ウリ科の野菜(かんぴょうの原料となる)で、「夜顔」(別名夕顔)とは全く別の品種である。日本には平安時代に渡来した、とある。
 源氏物語や枕草子」に出てくる「夕顔」は、まさにこの「夕顔」であったことは言うまでも無い。

 日本には、「朝顔」、「昼顔」、「夕顔」があって、明治時代に「夜顔」が登場するのだが、既に標準和名の「夕顔」が存在したにも関わらず「夜顔」の別名を「夕顔」にしたのは何故だろうか。
 「夜顔」といえば、「夜の顔」の何処となく怪しげなイメージが付きまとうからなのか、それとも「ヨルガオ」より「ユウガオ」の方が言い易いか馴染み易いからなのだろうか。
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by matutaka31 | 2011-08-24 09:56 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

ボランティア&クラブ活動を楽しむ

 私は今、地元でのボランティア・太極拳・ウオーキングのクラブに所属する他、もう少し広い範囲の活動エリアを持つクラブにも複数参加している。
 その活動は、週一回から月一回のものもあれば不定期のものまで様々であるが、極力都合をつけて優先的に参加することにしている。そのため趣味の家庭菜園・ゴルフ・釣り・山歩きなどは、どうしても後回しになることがある。でもそれは私の生活心情によるものだから、趣味が犠牲になっているとは思っていない。

 退職後間もなく仕事と全く関係のない未知の世界に飛び込み、11年間経過した今の率直な感想は、「よかった!」の一言に尽きる。それまでの仕事とは全く関係のない人たちとの出会いや利害を伴わない活動は、私にとって新鮮そのもので、気がつけば新たな目標を見据えることが出来るなど、私の人生観を大きく変える存在になっていた。
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週1回のボランティア活動の舞台 ひょうたん池

 11年間の活動を通じた感想を挙げてみよう。
 組織のクラブ活動と違い、いろんな経歴、年齢層の違い等不特定多数の人達が集まる一般のボランティ活動や趣味のクラブ活動に於いては、運営面では過去の経験は大いに役立つ反面、日頃の活動では過去の経歴や肩書きは邪魔になりこそすれ何の役にも立たないこと、また過去をひけらかすことが如何に活動の雰囲気を損なうかを各人が承知しているので、誰も口にしない。
 むしろ過去の経歴にこだわりなく、対等の立場で且つ共通の目標に取り組む者同士の集まりだからこそ、活動が活性化され長続きするものだと思う。 時々話の流れのなかで、“matutakaさんはどんな仕事を・・・?”と現職の頃のことに水を向けられることもあるが、そのような時は“私には皆さんにお話しするようなことはしていないんです。過去はどうでもいいんです。ただ両手が後ろに廻ったことだけはありませんよ。 私には今が、そしてこれから先が大事なんです。”と笑って応えるので、二度と同じようなことを聞かれることはない。
 だから11年も一緒に活動していながら、私の経歴を知っている人はほとんどいない筈。
仮に廻りまわって私の過去を知っている人が居たとしても、それを話題にされたことは只の一度もない。

 もう一点、私が所属するクラブの構成員は(一つだけの例外を除き)女性が多い。そのせいか雰囲気が華やかで賑やかで常に明るい。
 その明るさの背景には、子育てから解放された女性は積極的に社会へ飛び出し、新たに見つけた目標に向かって意欲的に取り組むなど生活態度を改善したい気持ちの現われだろう。 だから話題についても、過去を振り返ることより現在の日常的な内容が多く、何かにつけて意欲的で内容も多彩だ。
 女性の意見に耳を傾けていると、男性重点の仕事社会で育った私には全く気がつかなかったアイディアや積極的な意見を引き出すことが出来、そのことがクラブ活動の活性化に貢献していることに気付く。 ボランティに限らず趣味のクラブ活動においても、積極的に女性の意見を取り入れることが、クラブ活動には必須と言っても過言ではないと思っている。
 女性のそのような傾向とは逆に、男性は定年後、何故社会活動に参加しようとしないのか、あるいは参加してもすぐやめてしまう人が多いの何故か。その理由については、既に一部触れているが、詳しくは別の機会に譲ることしよう。

 私がこれから先、ボランティア活動や趣味のクラブ活動を楽しく続けるに当たって、過去の経験を活かすのは当たり前であるが、過去の経歴や肩書きは無用の長物に過ぎない。
 そんな過去の想い出に耽るより、むしろ今を大切にし、これから先どのような目標を持って活動するかが私の生き甲斐に繋がると思っている。そしてその目標を追い求めてあれこれ挑戦する一日一日が、私の元気の源であり且つ楽しみでもある。
一方で趣味の活動が減っていくが、それに代わる別の楽しみが私の心を潤おしてくれているから、特に趣味を犠牲にしているとは思っていない。

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by matutaka31 | 2011-08-20 22:27 | 思いのまま | Trackback | Comments(12)

恵の雨と喜んだのも束の間

 当地では7月21日から日照りが続いていたが、13~14にかけ24日ぶりに小雨が降った。
その後通り雨程度のぱらぱら雨が16日に降ったものの、これまでの乾きを潤すほどの恵の雨にはならなかった。
 久しぶりの小雨でも有り難い自然の恵みに安心して孫達の相手をしていたところ、菜園に行ってみるともうからからに乾燥して、“先日の恵みの雨は何処へ行ったんだ?”とつぶやいてしまった。

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 我が菜園で今、一番水を必要としているのは開花期を迎えている丹波の黒大豆。
 この開花から結実時期に土壌を乾燥させると、大豆の莢ができても実が太りきらず収穫ゼロの惨めな結果になってしまう。これまで3回も同じ失敗を経験した。

 今日、その黒豆畝の草を取りと土寄せをしているところに、通り雨が来た。
 やれやれ助かった!と喜んだのもつかの間、10分程度で間もなく止んでしまった。
 黒豆には、畝間に水が溜まるほどの水が必要だと聞いている。去年は忠実にこの方法を守ったお陰で豊作だった。
 でも今の土壌に少々の水をばら撒いても、まさに「焼け石に水」
 天気予報は明日から雨の予報になっているが、何時も失望させられるので、あまり当てにしないようにしよう。
 昨日の雨は菜園には「焼け石に水」でも、外気温は少し涼しく感じられるようになった。暑さに悲鳴をあげていた人にとっては、まさに恵みの雨だったに違いない。
 雨に一喜一憂する人を尻目に、自然界は確実に秋に近づいているようだ。
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by matutaka31 | 2011-08-18 22:36 | Trackback | Comments(6)

アジゴ(小アジ)釣り

 孫達が楽しみにしている「アジゴ」(マメアジとも言う)釣りに、福岡市海釣り公園に出かけた。
 お盆には殺生をしないものだと子供の頃教えられたが、最近では漁師だけの慣わしみたいになってしまって、多くの人たちはそんな慣わしも気にせず、つかの間の夏休みを釣りで楽しんでいる人も多い。

b0008825_9182130.jpg 市営海釣り公園も、ご多分にもれず15日も営業していて、多くの釣り客で賑わっていた。
 午前6時半家を出発し、車で約20分で海つり公園に到着。
 子供用釣竿を賃借して、売店でサビキとオキアミを買って準備を整え7時頃には釣り始めた。

 釣りは早朝か夕方に限る。 その常識どおりで、一投目から魚信があり、早起きの甲斐があったと幸先のよさを思わせる。
 孫たちはキャー!釣れた!と嬌声を上げなら夢中になる。
 毎年夏休みにはここへ来て釣りをするのが慣わしになっているので、孫たちはアミを籠に入れるのも、竿を操るのも慣れているのであまり手を取らない。
 でもピンピン跳ねる魚を針からはずすのは苦手のようで、吊り上げた都度、針からはずすのはジージの役割。
 助手役のジージは自分の竿を使う暇はほとんどないくらい大忙しで、孫たちは東京では味わうことが出来ない海釣りを思う存分楽しんでくれた様子だった。

b0008825_9445635.jpg2時間半の釣果は、アジゴ・子いわし合わせて123尾。良く言う束釣りで、今までの最高の釣果に、孫たちは大満足。
釣ったアジゴは、孫たちも手伝って、開いてフライにしたり、ナンバン漬けにしたりして、夕食のおかずに。

 きっと夏休みのいい想い出になっただろう、と思うのだが・・・私には孫たちと遊ぶ楽しい一日であった。 
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by matutaka31 | 2011-08-16 10:01 | 思いのまま | Trackback | Comments(10)

帰省

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毎日、高速道路・新幹線・航空機を利用した帰省ラッシュの報道で賑わっている。
13日迄は下りが、14日午後から上りが渋滞のピークになりそうだとも。
   (高速道路渋滞イメージ:写真はインターネットより借用)

 某生命保険会社のアンケート調査によると、今年の夏休み利用は1位が「自宅でゆっくり」、2位が「帰省」、3位が「国内旅行」の順で、帰省の目的は1位が「親兄弟に会う」、2位が「墓参り」、3位が「実家でゆっくり」、4位が「旅行をかねて」の順だそうだ。
 我が町内でも、車庫が空っぽになっている家があるかと思うと、家の前に他県ナンバーの車が路面駐車しているのも目立ち、夫々思い思いの夏休みを楽しんでいるさまが伺える。

 冒頭のアンケート調査をもとに、我が家の夏休みはどうであったかを振り返ってみると、「実家でゆっくり」と「国内旅行」を兼ていたようで、「帰省」はほとんどしなかったように思う。
 転勤族であった我が家は、休みを利用して赴任地周辺への小旅行をするのが慣わしで、私も家内も実家に帰った記憶はあまりない。その代わり時には両親を我が家に呼んでゆっくり過ごしてもらったり、ある時は一緒に旅行することもあった。
 そのような休みの過ごし方を思うと、今の人達のように親兄弟との絆を深めたり先祖を敬う墓参りをあまりしなかったので、ご先祖様に申し訳ない気もする。

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 そのような我が家に今、親子・孫が全員揃って夏休みを楽しんでいる。
 孫たちは今日も朝から、ベランダの簡易プールで水遊び。

 何時まで続くか分からないが、子や孫たちが何時までも気軽に帰省して、「実家でのんびり」過ごしてくれるのを楽しみにしている今日この頃である。

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by matutaka31 | 2011-08-14 10:32 | 思いのまま | Trackback | Comments(10)

一雨降って欲しい!

 7月21日以降、雨らしい雨が降らない。
 同じ県内でも、所によっては適量の雨が降っているのに、玄界灘に面した当地は植物の葉面が濡れる程度の通り雨が2度降ったきりで、畑の土壌はもうカラカラに乾ききっている。

 収穫最盛期を迎えている野菜だけでも何とかしたいものだと、18リットル入りポリタンクで水道水(約120リットル)を1~2日おきに車で運んで水遣りをしているが、焼け石に水と同じで、もうお手上げだ。

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(土が真っ白に乾ききっている)

 6月までは長雨で、7月上旬には早々と梅雨明けしたかと思うと中旬以降は日照り続き、まさに自然の脅威をいやと言うほど思い知らされている。
 昨日は、近くの菜園家の好意で井戸水を貰い受け、約240リットル潅水したが、どこに消えたのかと思う程の乾きようである。

 全ての野菜を何とか救いたいが、中途半端な潅水はかえって逆効果になるので、ナス・ピーマン・キュウリ・ゴーヤ・生姜・黒豆に絞って潅水することにして、さつま芋・里芋・ヤーコン・トマトはもう成り行きに任せるしかない。 サトイモ・ヤーコンも葉が枯れはじめたので収穫は激減するだろうが致し方ない。
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枯死寸前のトマト
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青菜に塩のさつま芋

 さつま芋は乾燥に強いので放置しているが、蔓は既に青菜に塩で枯死寸前の状態。

     闘草の後は水戦争!
 雨乞いをして、「雨雨降れ降れ、もっと降れ」と、歌手八代亜紀に声高に歌って欲しい心境だ。
 今日も朝からじりじり照り付けている。

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by matutaka31 | 2011-08-12 12:56 | 思いのまま | Trackback | Comments(10)

被爆66周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列

 平成23年8月9日、「被爆66周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に今年も参列した。
 早朝の雨も式典が始まるころには止み、66年前のこの日を思い出させるような暑い日ざしのなかで式典は行われた。
 原爆資料館などを廻って会場へ行ったときには既に満席、会場に入れない人が周りを取り囲む。何時もより参列者が多くしかも若い人が多い印象。
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 私は式典終了直後案内に従い、父母を含む犠牲者の御霊に線香と生花を手向け、哀悼の誠を捧げた。
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 私が今回一番注目したのは、全世界に向けて発信される被爆地長崎市長の「平和宣言」に、福島の原発事故をうけ、被爆地長崎市がどのような姿勢を表明するかであった。
  その平和宣言、「今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、私たちは愕然としました。」で始まった。

「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのでしょうか。
 自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか・・・。(略)
 たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために原子力にかわる再生可能なエネルギーの開発を進めることが必要です。」
と続いた。

 この平和宣言は、市長はじめ市内の学者・被爆者代表12名で構成された起草委員会で、5月から幾度となく議論を重ねて纏め上げられたのだという。それだけに被爆地長崎の核廃絶に対する並々ならぬ決意の程が滲み出た内容であった。
 それに対し、菅総理の挨拶、「原発への依存度を引き下げ、原発に依存しない社会を目指す」は、今の政府・国会の「笛吹けど踊らず」実態を考えると、 今一つ心に響くものがなかった。

 今回の式典に参加した印象として、式典会場だけに止まらず、原爆資料館はじめ平和公園内で行われている各種集会への若者の参加者が非常に多かったことである。
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 背景には、被爆者の平均年齢が77歳を越え、会場にこれない人達が増えていることもあるが、3月の福島原発事故を機会に、放射能に対する関心が高まったことがあると思う。
 しかしながら、福島原発事故による被曝の実態とその影響についての報道やその影響を、真剣に考えている人達の心情を嘲笑うかのような発言が一部の人たちによって公然と行われているのも今の日本の姿でもある。

会場入り口に展示されていた写真の中の2枚
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浦上駅のホームで死んでいる母親と子供

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廃墟の浦上天主堂
 この場所で再建したいという信者の強い希望とアメリカの何時までも残しておきたくない立場が一致し、当時の市長は保存を断念したのではないかという説がある。
保存できていたら、広島の原爆ドームと同じような被爆遺産になったであろうに、・・・惜しいことである。


 これまで2回の原爆による被爆、水爆実験による被曝、原発事故による被曝と過去4回もの被爆・被曝を体験した日本、これを機会に、核廃絶ならびに核に代わるエネルギーについての議論の輪が、夏の線香花火のように終わらず、国民的な広がりになることを願って止まない。
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by matutaka31 | 2011-08-09 23:12 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

映画「黒い雨」

 8月6日、66年前広島に人類史上初めて原子爆弾が投下されたこの日、私は「peace2011市民の集い」で、映画「黒い雨」 を観た。
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 この映画は、井伏鱒二の同名小説を今村昌平監督が映画化(主演:田中好子)した作品。
 昭和20年8月6日広島に原爆が投下されたとき黒い雨を浴びたため、その後の人生を狂わされてしまった一人の若い女性を中心に、被爆後遺症に苦しみ悩む人々の姿を赤裸々に描いた問題作である。

 原爆が落下傘で投下された瞬間の不気味さ、爆裂直後の惨状、逃げ惑う人々の情景・・・、当時10歳の私が66年前の8月9日、長崎で被爆した時のことを鮮明に思い出させる内容で、完全に66年前にタイムスリップしたように画面に吸い込まれてしまい、周りの座席に人が居ることすら気付かない状態になってしまった。
 被爆当時、原爆のことを「ピカドン」と言ったものだが、映画の中で人々が「ピカにやられた」と口癖のように語る場面は当時の被爆者の心情をそそのまま表したものである。 
 この映画は、被爆時の惨状を知ることが出来るだけでなく、その後の被爆後遺症に苦しむ人たちの生活苦を余すところなく描き出している。

 世界で唯一の原爆被爆と原発事故による被曝を経験させられることになってしまった悲劇の日本人、人類がコントロールできない怪物と共存していることの矛盾を、国民一人ひとりが改めて問い直し、国を挙げて見直すことを躊躇うときではないと思うのだが・・・。
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by matutaka31 | 2011-08-07 12:05 | 思いのまま | Trackback | Comments(10)