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原生花園を歩く

 梅雨のない北海道、ただいま稚内から浜頓別に向かって歩いている。
 今月は入梅で雨の日が多くなったことに加え、菜園作業にはまり過ぎて少々腰を痛めたこともあって、歩くペースが、5月の一日平均5,7kmから今月は4,2kmに落ちてしまった。終日雨の日は、一日67歩と全く歩かない日があるかと思えば、ウォーキングクラブに参加した日は22,281歩の日があったり・・・。
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 オホーツク海沿岸の魅力は、なんと言っても原生花園である。
 もう大分昔のことになるが、晴れた日にこの自然の中に立つと言葉にならない、見渡す限りの大自然の雄大さに感動したことを思い出す。
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 ここ浜頓別町には、100種以上の花々が咲き乱れる北オホーツク道立自然公園の中心地ベニヤ原生花園がある。
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 この原生花園で、多くの花が咲き乱れる中でひときわ目立つ花が「ハマナス」である。多分今頃は、私が好きな花の一つこのハマナスの花で覆いつくされていることだろう。
 もう一度行ってみたいがとても叶いそうにないので、昔訪ねたときのことを思い浮かべながら、これからしばらくの間、延々と続く原生花園を楽しむことにしよう。
 
 この他「浜頓別町」には、砂金の採掘体験が出来る、珍しい公園があると同町ホームページで紹介している。一攫千金ではないが、ささやかな夢追いも楽しいだろう。
 都会周辺にこんな楽しい場所があったら、終日ごった返すに違いないが、ここでは丁寧にその採掘方法を動画で紹介している。
 
 間もなく梅雨明け、一転酷暑が待ち受けているが、涼しい北海道の原生花園を思い浮かべながら少しペースを上げ、6月の落ち込みをカバーしよう。
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by matutaka31 | 2012-06-27 10:50 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

松尾芭蕉と枯野塚 

 福岡市内の歴史探訪を重ねているうち、松尾芭蕉の辞世の句「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句碑と墓「枯野塚」が、福岡市東区馬出5丁目228にあることを知った。
 芭蕉が九州を旅したことはないと思っていたので、何故福岡に枯野塚が?と疑問に思い、早速訪ねることにした。
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 馬出バス停の近く、民家に挟まれた幅約1m程の狭い路地の奥まったところに「枯野塚」があったが、道案内は電柱に張られた一枚だけで、初めて訪れる人が探し当てるのは難しい場所である。
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この路地の奥まったところに枯野塚があるが、余程注意しないと見過ごしてしまう。

 



 松尾芭蕉は、東北地方をはじめ各地を旅し、さらに西国への旅を思い立ち、弟子の呑舟(のんしゅう)らを供に東海道を下る途中病に倒れ、元禄7(1694)年大阪の地で51歳の生涯を閉じている。

「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」は、呑舟が芭蕉の枕元で書きとめた辞世の句。

 芭蕉の来訪を心待ちにしていた博多の俳人たちは深く落胆したという。元禄12(1699)年、博多を訪れた芭蕉の弟子、向井去来(むかいきょらい)は、箱崎の僧侶で俳人の哺川(ほせん)にこの句を贈ったところ、いたく感動した哺川は翌元禄13年、同じ芭蕉の弟子、志太野坡(しだやば)に「芭蕉翁之墓」の碑銘を書いてもらい、枯野塚を造ったといわれている。
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約3mの句碑には芭蕉の辞世の句が刻んである

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 全国にある芭蕉の墓碑の中でももっとも古いものだといわれており、福岡県文化財に指定されている

 福岡市内で、もう一つの芭蕉の句碑があることも発見した。
 櫛田神社境内にある「花本大神」
と書かれた石碑に、芭蕉の句「蓬莱に聞かばや伊勢の初便」が刻んである。
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 花本大神とは、松尾芭蕉に下賜された神号のことである。



 
(蓬莱は、ここでは正月の飾り物の蓬莱飾りのこと)

詳しくはこちら
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by matutaka31 | 2012-06-24 11:43 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

我が菜園のトマト

 ただ今我が菜園は、夏野菜のシーズン真っ只中。
 夏の家庭菜園の定番と言えば、トマト・ナス・キュウリの御三家だと思っていたが、最近はゴーヤが4番目の位置を確保してきたようだ。
 我が菜園ではこの他、ピーマン・オクラ・スイカ・カボチャと続くが、やはりトマト・ナス・キュウリの御三家は変らない。
 そのトマト、今年は大玉(桃太郎)、フルーツトマト、ミニトマトの3種合わせて約20本植えているが、何れの品種も順調に育ている。
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大玉(品種は桃太郎)4節まで実が生っている

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ミニトマト 左川の方にはフルーツトマトが・・・

 例年この時期になると梅雨の影響を受けるのだが、今年は5月から6月の中旬にかけて雨が少なかったため、病気の発生もなく、消毒を一回もしないまま順調に育っている。

 今年は5月から入梅までナスやキュウリ・ピーマンにはかなり潅水したが、乾燥に強いトマトにはぐっと我慢して一切潅水しなかった。 何度か水を遣ろうかと思ったが、プロのトマト栽培農家が極限まで乾燥させる栽培法をテレビで見ていたので、それを参考ににして、過酷な状態に追い込んだのが功を奏したのだと思っている。

 梅雨に入ってから、先端部分に肥料切れの兆候が見られたので、初めて化成肥料と有機配合肥料を施した。すでにその効果も現れてきたので、これから先も順調に結実してくれるだろう。
 ミニトマトはボツボツ収穫を始めたが、大玉・中玉ももう間もなく色つき始めるだろう。
私はどちらかと言うと少し青臭いくらの熟れ具合が歯ごたえもあり好きだから、毎日菜園に行って色の付き具合を観察するのが楽しい。

 でも喜ぶのはまだ早い。
 これから順次色がつき、完熟トマトの収穫が出来るかどうかである。
 それはひとえにこれからの天候次第だと思っている。

 ナス・ピーマンもキュウリも順調に収穫中で、新鮮・安心野菜が毎日収穫できる家庭菜園の楽しさを十分満喫する今日この頃である。
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by matutaka31 | 2012-06-23 09:27 | 思いのまま | Trackback | Comments(4)

ズッキーニが順調に生育

 我が菜園では、今年もズッキーニが収穫の最盛期を迎えている。
 ズッキーニは夏の果菜で今が旬、外見はキュウリに似ているが、カボチャ(ペポカボチャ)の仲間で蔓がないないのが特徴。(ウリ科カボチャ属の一年生の果菜)
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約1m以上に広がり、全体に小さな棘がある

 原産地はメキシコとの説があるが定かではないという。
 私が栽培しているのは、アメリカ原産のズッキーニで、開花後4~6日で20cm大になる。成長が極めて早いので、うっかりすると大きくなりすぎてしまうので、雌花が咲いたら毎日観察しておかないと、収穫適期を失ってしまう。
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左側収穫適期、手前向き開花1~2日、右上開花中

 果実の大きさは、開花直後から4~6日後に収穫するのでその収穫日により大きく異なるが、5~6日目で600~700g、長さ22~25cmの大きさになる。
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今日収穫の左がズッキーニ、右はキュウリ(600g、23cm)

 比較的淡白で癖がなくさっぱりした味が特徴で、いろんな料理にも利用できるので、我家では夏の旬の食材として好評である。
 今収穫中のものは5本だが、後続の苗5本を先日移植したので、当分このズッキーニの収穫が期待できそう。このところ毎日2~3個収穫できるので、ご近所さんや親しい人たちにお裾分けしているがなかなかの好評である。
 花は「花ズッキーニ」と呼ばれ、花心を取ったものを食用になるようだが、私はまだ試したことがない。
 
カボチャの種類

カボチャの種類はこちら
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by matutaka31 | 2012-06-19 23:23 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

野村望東尼と平尾山荘

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以前、玄界灘に浮かぶ小島「姫島」にある野村望東尼が島流しされた牢屋(写真右)を見て、彼女の生い立ちや生き様に関心を持つようになり、望東尼を姫島から助け出した高杉晋作との関係が気になっていた。

 特に、高杉晋作の辞世の句とも言われる「面白きこともなきよに面白く すみなすものは心なりけり」の句は、私の心を虜にしていたので、望東尼の住家「平尾山荘」を訪ねてみたいと思っていたところ、同じ探訪心を共有する仲間と共に訪ねる機会に恵まれた。
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平尾山荘
 望東尼こと「もと」は、1806年黒田藩士の三女として福岡(現在の六本松付近)生まれ、24歳で野村新三郎貞貫に嫁いだ。 その後四人の女子を産んだが、何れも成長しないまま早逝したという。27歳で夫婦共に和歌を学ぶようになり、40歳のとき山荘を作り退穏したが、現在の平尾山荘がある場所はそのゆかりの地である。
 野村家には様々な出来事があり、モトが54歳の時夫が64歳でこの世を去り、モトは剃髪して望東尼となった。
 56歳の時上京したころから愛国精神に目覚め、安政の大獄後、天下の形成が大きく移り行く様をみるにつけ大きく心を動かされ、福岡に帰った後、平尾山荘は勤皇の志士達の秘密の集会所になったという。
 その頃高杉晋作もこの山荘を訪れ、望東尼は高杉晋作を厚くもてなしたと伝えられている。

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望東尼の胸像
 その後福岡藩の勤王派壊滅政策により多くの志士が処刑され、望東尼は姫島への遠島を命じられるが、その10ヶ月後、望東尼は高杉晋作の計らいで姫島を脱出している。 
 その後高杉晋作は29歳で病死するのだが、その直前晋作を見舞ったとき、病床の高杉が「面白きこともなきよに面白く」と上の句を読み、望東尼に下の句を続けてくれと頼んだところ、望東尼が「すみなすものは心なりけり」と下の句を読んだとされる。
 その句が、冒頭に掲げた句「面白きこともなきよに面白く すみなすものは心なりけり」である。

 この句のことをあれこれ読んでいるうちに、上の句は「面白きこともなきよ面白く」と「面白きこともなきよ面白く」の2説あることを知った。
 この一文字「に」と「を」ではその意味合いが大きく変るように考えられる。果たして晋作の気持ちはどちらだったのだろうか。
 面白いことのない世の中を面白く生きて行くにはどうしたらいいのだろうかという晋作の問いかけに、望東尼は周りがどうあろうと自分がどう思うか心の持ちようである」と答えたのだ、つまり「面白きこともなきよ面白く」と考えるのがすんなり納得できるように私は思うのだが・・・。
 この句は、晋作の辞世の句ということにも異論があるようだが、晋作が人生最後に詠んだ句であれば辞世の句と言ってもいいのではないかと私は思う。
 晋作がこの世を去った同じ年の1867年11月、望東尼は62歳の生涯を閉じた。
 
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望東尼の歌碑
 遺跡にある望東尼の歌碑の文字は、風雨にさらされ読み辛くなっている。管理事務所からいただいた資料によると、「武士のやまと心をよりあわせ たゞひとすじのおほつなにせよ」の句が刻んである。
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by matutaka31 | 2012-06-15 17:57 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

玉ねぎとジャガイモを収穫

 今年も梅雨前に玉ねぎとジャガイモを取り入れた。
 と言ってもジャガイモはメークインのみで、男爵と出島はまだ畑の中で出番を待っている。本格的な梅雨前になんとか収穫しなければならないが、雨不足で土が岩のようにカチカチで、鍬で掘るには腰を痛めてしまうので一雨後にしようと決め込んでいる。
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 毎年、「今年は去年よりましな結果を出そう」と、今までの反省を基にそれなりに栽培管理に工夫をしたつもりでも、結果を見るとまだまだと納得がいかないことの繰り返しである。
 今年は玉ねぎもジャガイモも、去年までと違う専用肥料を施したので多分いい物ができるだろうと期待したのだが、結果は期待に反してしまった。

 玉ねぎは早生種はまずまずの出来であったが、晩生種は玉の大きさが極端に不揃い。これには心当たりがある。自分では中晩生種の苗だけを作り晩生種の苗をを作らなかったので、店先から苗がなくなってしまう頃、止むを得ずあまり状態の良くない苗を買って植えたのが最大の原因だろうと思っている。
 ジャガイモは、数は多いが、これまた玉ねぎと同様粒が不揃いだ。
 
 不揃いの原因は、最も成長が盛んな時期の雨不足だと思っている。土壌水分が減ってくると、その影響は直ぐに表面化しないが、ジワジワ収穫に悪影響を及ぼす。
 適時の雨が野菜にとって如何に大事かを実感させられる瞬間である。
 よい野菜を作るには、①少々の旱魃にも耐えられる保水力のある土作り、②よい苗作り、③植え付け後の栽培管理の三拍子揃わなくてはならないのは言うまでもないことだが、その前に立ちはだかる最大の障壁は「天候」と言う魔物だ。
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by matutaka31 | 2012-06-10 10:31 | 思いのまま | Trackback | Comments(4)

足腰の筋力が弱ると転び易くなる

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 年をとると転び易くなる、と言えば転ぶのはお年寄りの専売特許みたいに聞えてしまう。
 ところがさにあらず、足腰の筋力が弱ると年齢に関係なく転び易くなることに気付いていない人が案外多いのではないだろうか。

 先週、日本健康太極拳協会福岡支部の研修会に参加した。
 その中で森山善彦先生の講演「スポーツ医・科学から見た太極拳」は、日頃太極拳をしている私には大変興味深い内容であった。
 先生の話を要約すると、転んでしまうのは、片足が引っかかり体のバランスが崩れたとき、自分の体重を支えるだけの筋力が足りず、もう一方の足が出る前に体が崩れてしまう現象である・・・と
 その転び方にも年齢差や筋力の差によって特徴があるという。
 70歳前後の高齢者が転ぶと、手首や肩を怪我する人が多いそうだ。それは転んだ瞬間無意識に手で自分の体をかばうためだという(足は出ないが手は出る)。 ところが、更に高齢になると顔・大たい骨の骨折が多くなる。それは転んだ瞬間、もんどりを打って倒れてしまうからだという(手も足も出ない)。
 
 「年を重ねるにつれ足腰が弱くなり転び易くなる」という現象は、ごく自然の成り行きとして理解できるが、問題は「何故足腰の筋力がが弱くなるか」、年だから仕方ないことなのだろうかという疑問に、先生は「使わないから、使えなくなる」と断言される。

 特に足の筋力は、使わないとどんどん弱ってしまい、あげくの果てには使えなくなってしまう性質のもので、年齢に関係なく起こりうる現象だという。
使わないから弱る→弱いから使おうとしない→益々弱くなる
→終には使えなくなる→
、こうなると悪循環の繰り返しになってしまう。
 「転び易いのは年のせいだ」と考えがちだが、あながちそうではないことが分かってくる。

 人間は立っているとき、自分の体重を足で支えている。
 両足で立っているときは自分の体重を両足で支えるが、歩いている時は片足で自分の体重を支えている。 歩いているとき片足にかかる負担は体重の1~2割増し、早足歩きでは更に重い力がかかる。 軽く走る時は体重の2倍、懸命に思いっきり走ると体重の3倍・・・と言う具合に、大きな重さが足にかかることになる。
 それ程の重さを支えるのは筋力だから、常に足腰の筋力を養っていなければならないのだ。
 幼稚園や小学校の運動会で、お父さん達が一生懸命に走っているとき、突然もんどりを打って転ぶことがよくある。早く走りたい気持が先立つが、自分の体重を支える筋力が弱ってしまい、後ろ足が出るまでの間、前足で自分の体重を支えきれなくなってしまうのである。
  
 ごく当たり前のことだが、「筋肉は使わなければ、使えなくなる」 、というのが先生の結論のようであった。
 更に呼吸法を伴う運動と笑顔を日常生活に取り入れることが体の免疫力をを高めることにつながる、という内容を詳しく聞くことが出来、今後太極拳を続けるうえで大変意義深い話であった。
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by matutaka31 | 2012-06-07 09:49 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

アクロス山

 福岡市天神、元福岡県庁があったところに福岡シンフォニーホールの他各種イベント会場やオフィススペース・商業施設が同居した複合施設「アクロス福岡」がある。
 福岡市のメインストリート(明治通り)側の建物正面からは全く気が付かないが、ビル南側斜面には建物を一つの山と見立てて多くの植物が植え込まれた人工のステップガーデン「アクロス山」がある。
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その案内板に示されたアクロス山の概要は次のとおり。
    最上階展望台高さ 60m
    階段総数 809段
    樹種  当初 76種  37,000本 
         (その後補植もあり、現在120種50000本)
    回遊所要時間 30分

 秋から冬にかけ、一部の木は落葉するのでビルの様子や階段が見通せるが、春から秋は一面緑に覆われ、市の中心部に忽然と小高い山が出現したような錯覚を覚えてしまう。

 私はこのビルの中にある「シンフォニーホール」やその他の会場で開かれるイベントによく参加するので、開会までのわずかな時間をこの森の中で過ごすのを慣わしにしている。
 緩やかな階段を登ると、立派に茂った木々の梢が頭上を覆い、あたかも山の小道を登っているかのような錯覚を覚える。 木々には名札が付けられているので、忘れていた名前を思い出したり、初めて知る木の名前を覚えたり、木々との触れ合いを楽しみながら、ゆっくり登る。
 植えられた木の間には、多分鳥が運んできたと思われる実生苗と思われる山野草も見られ、一瞬小高い山の自然林と間違いそうになる。
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 爽やかに吹き上げる風は心地よく、あたかも森林浴をしているかのような雰囲気を楽しみながら登ると、次第に展望が開ける。
 ところどころに設えられたベンチに座り、市内のビル郡や遠くは背振山系、三郡山系の山々を望みながら、
つかの間の森林空間の爽やかさを味わう。
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 このアクロス山は、その前に広がる天神中央公園、更にはその側を流れる薬院新川沿いの桜並木と一体になって、広い緑の空間を造り出している。 
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 この緑の空間と側を流れる薬院新川沿いの水辺空間は、私の心に残る思い出を刻んできた場所でもあり、私の好きな場所の一つでもある。
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by matutaka31 | 2012-06-03 14:07 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)

座禅を体験

先月、福岡市東区にある如意輪寺の座禅会に参加した。
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禅宗で行われる座禅は、精神統一をする『無我の境地』になって悟りを開こうとするのが目的のようだが、私にはとても理解できることではない。
でも座禅で要求される『調心(ちょうしん)・調息(ちょうそく)・調身(ちょうしん)』は、太極拳の基本動作と相通ずるので、以前から座禅をしてみたいと思っていた。
 昨年、私が所属している太極拳教室主催で、柳川の黄檗宗のお寺で座禅を初めて体験したとき、太極拳で用いる呼吸法で、座禅中の痺れを乗り越えることが出来たのがきっかけで、座禅のよさを漠然と感じたことが忘れられなかったからである。

 参加したのは、私を入れて8名。その内6名は若い人なのにかなりの経験者と見えて堂々たるもの。
 最初に座禅の基本を教わった。
 無我の境地で、自分を見つめなおしてみてはどうか・・・、と住職の懇切な解説が続く。そしていよいよ座禅の心得を。
 座り方は両足を組む結跡朕座(けつかふざ)片足だけを組む半跡朕座(はんかふざ)の二通りがああるが、結跡跣座が難しい人は半跡跣座をするとよいと言うことだったので、私は半跡跣座ですませた。
 前後左右に身体を動かし、坐相を落ち着かせ手は足の上で組み、静かに心を落ち着かせ、腰骨はしっかり立てて、背骨を真直ぐに伸ばし肩の力は抜き、あごは引き舌は上あごの歯の根元に付ける。
 目は1メートル位前方に落とし半眼で、呼吸は鼻からてゆっくり吸い、呼吸に合わせ「ヒトーツ・フターツ」と心の中で数えながら、鼻から静かに吐き出し心を落ち着かせる、・・・と教えられる。
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和尚さんの模範的な座禅姿勢

 初めの合図の鐘が鳴ったら、終わりの鐘がなるまで、身動きも出来ず、口を利いても駄目。姿勢を崩すと、警策(きょうさく)でピシっと叩かれる。そのときはお辞儀をして姿勢を元に戻す。

 最初の座禅は15分、次は少し長めの20分、そして通常の25分程度と長くなる。そして、最後は仕上げの10分程度、合計約1時間の座禅体験。

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 般若心経の朗読             座禅の様子

 
座禅が終わって振舞われた精進料理おかゆを食べながら、“いかがでしたか?”と水を向けると、“まだまだです。日々修行です”と、若い娘さんが応える。
 その言葉に、私と私の側にいた初体験のご婦人は、返す言葉を失ってしまった。
 話題を変え、側にいた人に、“無我の境地を味わえましたか?”と問いかけると、“お坊さんが近づくと何時警策で叩かれるか気になって、お坊さんの足音を気にしていました”と。そして、近くを通る列車の音を聞きながら、あの音は○○線かな、それとも××線かな・・・とそんなことを考えていたので、無念無想なんてとても・・・とおっしゃる。
 正直な気持ちを話されたと、親しみを感じてしまった。
 私も2回目と言っても、初めてと同じことで、無心になることなんかとても出来ることではない。 せめて調心、調息、調身を何とか会得しようと努力したが、とどのつまり、隣に座っている人達は、今何を考えてているのだろうか・・・と考えてしまう・・・、まーそんなレベルである。
 それでも座禅が少しばかり実感出来たように思うので、できるなら再度参加してみようという気になったのは、太極拳の心と合い通じる点が多いからなのだろう。
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by matutaka31 | 2012-06-01 15:23 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)