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雌花が雄花より遅れて咲くのは何故だろうか

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 グリーンカーテンですっかりお馴染みになったゴーヤ、実際に栽培した方で「花が一杯咲くのにちっとも実が生らないのは何故?」と疑問をもたれた方が多いのではなかろうか。
事実、そのような質問を良く受ける。


 植物には一つの個体(株)に雌花と雄花を咲かせるのがあるが、これらを雌雄異花(しゆういか)と呼ぶが、ゴーヤ始めキュウリ、カボチャ、スイカ等、夏野菜でお馴染みのウリ類はこの雌雄異花である。
 ところがこの雄花と雌花は、カボチャの仲間ズッキーニは略同時に咲くが、その他は雄花が咲いても雌花が咲くのはしばらく後になる。
 蔓がある程度延びると雄花が次々咲く。 栽培したことのない人は、雄花と雌花の区別がつかず、先に咲いた雄花を雌花と勘違いしてしまうらしい。、花が一杯咲くのに何故実が生らないのだろうか疑問を持たれてしまうようだ。

 雄花と雌花の見分け方は、きわめて簡単!
 雄花は細い花柄の先に雄しべがついた花が咲くのに対し、雌花は花と花柄の間に最初から小さな実がついていてその先に雌しべがついた花が咲くので、この違いを知っておくと見分けは簡単。

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 さて同一植物体に雄花と雌花が別々に咲くのはなぜか、また、蔓が成長するにしたがって雄花がどんどん咲くのに、散々気を揉ませた後に雌花が咲くのは何故だろうか。 一般的に、雄花と雌花が別々に咲き、しかも雄花が早く咲いて雌花が遅く咲くのは、「自家受粉を避けるため」、と言うのが定説である。
 確かに自家受粉の弊害を考えると、種の保存という面から納得のいく説明で、その固有の特質を維持している有力な説には違いない。

 ところが、見方をがらりと変え、別の見方をすると面白い側面が見えてくる。
 植物は子孫を残すためには、受粉に都合のよい環境を選ばなくてはならないのである。数少ない雌花が折角咲いたのに雄花が咲いていなければ受粉できない。それでは子孫を残すことは出来ない。
 植物の固体が雄花が一杯咲くまでに順調に生育し、いつでも受粉できる環境が整った頃を見計らって雌花が咲く。そうすることよって間違いなく受粉が可能になるからだ、と考えると、植物の神秘に触れるようで楽しくなる。 
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by matutaka31 | 2012-08-30 11:33 | 思いのまま | Trackback | Comments(5)

森鴎外の小説「寒山拾得」

 普段何気なく見過ごしてしまうことでも、ふと疑問を挟むと、そのことがきっかけで今まで知らなかったことや気がつかなかったことが発見できたり、いろんな想像へ発展することがある。

 横山大観の「寒山拾得」を観たとき、「寒山拾得」とはどうゆう意味?」と聞かれ、思わぬ質問に私はう~ん・・・と絶句。
 「寒山拾得」、どこかで聞いたことがあるようだけど、聞いた本人も聞かれた私も、思い出せなくてすっきりしない。 
 こうゆう状態を、喉に棘が刺さったような・・・とでも言おうか、なんともすっきりしない。 早速調べてみた。

 あれこれ調べてみると、寒山と拾得は二人の奇妙な僧だと分かったが、それが何故絵の題材になるのだろうか・・・と更に疑問が広がる。 大観の「寒山拾得」図には、奇妙な二人の僧が画かれているが、寒山・拾得なる僧のことを知らない我々には殺風景な絵に見えてしまう。
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 頭の隅っこに残っていた痕跡が引き金になって、ついに森鴎外の小説「寒山拾得」に行き着いた。
 早速小説「寒山拾得」を読んでみた。ところがなんとも分かりにくい小説である。 特に終わりの部分が・・・。
 2度・3度と読み返すうち、なんとなく筋書きは分かるような気がしてきたが、いま一まだ溜飲が下がったわけではない。 いずれにしても色々考えさせられる小説である。                               森鴎外(1862~1922)

 特に終りの部分、『閭はこう見当をつけて二人のそばへ進み寄った。そして袖を掻(か)き合わせてうやうやしく礼をして、「朝儀大夫、使持節、台州の主簿、上柱国、賜緋魚袋(しひぎょたい)、閭丘胤(きゅういん)と申すものでございます」と名のった。
 二人は同時に閭を一目見た。それから二人で顏を見合わせて腹の底からこみ上げて来るような笑い声を出したかと思うと、一しょに立ち上がって、厨を駆け出して逃げた。逃げしなに寒山が「豊干がしゃべったな」と言ったのが聞えた。
 驚いてあとを見送っている閭が周囲には、飯や菜や汁を盛っていた僧らが、ぞろぞろと来てたかった。道翹は真蒼(まっさお)な顏をして立ちすくんでいた。』
の部分である。

 果たして森鴎外は、この小説を通して何を言いたかったのだろうか。 読む人によっていろんな解釈や想像が広がるような気がする。
 当時の日本の小役人を揶揄したのか、時の社会を風刺したのか。果たして鴎外の心のうちはどうだったのだろうか。


ご訪問いただいた方々のコメントをお待ちします。
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by matutaka31 | 2012-08-26 15:58 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

東中洲の灯

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博多の東中洲が一望できる那珂川沿いを歩いた。
何時ものとおり明るいネオンが不夜城を醸し出している。
ここだけは、節電!節電!の大合唱はどこ吹く風の別世界。

でも、不思議に違和感が湧かない。
じっと見つめていると、なぜか節電の意識は失せ、水面に映える景色が心地よく感じる。
“俺達は俺達の世界で懸命に頑張っているんだ!”と、声を張り上げているかのように、エネルギーが漲っているように思えてくる。
そうだ!やはり中洲は、こうでなくちゃ・・・と、エールを送りたい気持ちに変る。

みんなで知恵を出し合えば、計画停電も避けれるし、中洲の灯も消さなくて済む。そして博多の活力も・・・。
そこが日本人の底力なんだ・・・と勝手な思いをめぐらしながら、踵を返し古戦場?を後にした。
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by matutaka31 | 2012-08-24 22:50 | Trackback | Comments(4)

幸せと思う瞬間

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 これはよく知られた、孔子の言葉である。
子曰く、
 これを知る者はこれを好む者に如かず。 これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

『あることを知っている人は、それを好きな人には及ばない。 あることを好きな人は、それを楽しんでいる人には及ばない』
 一歩踏み込んで、「何事においても、知るだけではなく、好きになり、そして楽しめるようになれば、それが幸せに繋がる」とでも言えようか。

 さて前置きはこれくらいにして、今、自分の人生を振り返って、いや現在進行形の自分にとって「幸せ」と感じる瞬間とはは何だろう・・・と考えてみた。
 自分は今、第3の人生真っ最中。
 第1は社会人として自立するまで、第2は組織人として働いた時代、そして退職後の第3ステージは、第1・第2と違い、これと言った制約を受けず、遣りたいと思うことを自分の意思で出来る残された最後のチャンスである。

 そんな恵まれたチャンスだから、自分なりに悔いることなく楽しみながらいろんなことに挑戦している毎日であるが、果たして楽しいと思いながらやっていることが幸せと感じる瞬間に繋がっているだろうか、と考えてみた。
 私にとって「幸せだな~」と感じる瞬間は、家族が健康で且つ楽しく団欒できることは言うまでもないが、その他の幾つか挙げてみよう。 
○ 目的を意識しながら趣味に熱中しているとき、そしてその結果に満足したとき
○ 思いを同じくする人(達)と一緒に考えたり行動したりしているとき、そして一杯飲みながら歓談するとき
○ ボランティア活動に遣り甲斐を実感するとき
○ 健康であることを実感したとき


 何はともあれ、物事をやるからには楽しくなくてはならない。嫌々ながらやるのは楽しい筈がない。楽しいと思いながらやれば、自ずとやり甲斐を感じるし長続きもする。
 心から楽しさが実感できることが幸せと感じる瞬間に繋がる、と私は思う。
 要は気持ちの持ちようであろう。
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by matutaka31 | 2012-08-21 22:53 | 思いのまま | Trackback | Comments(4)

私の健康と太極拳

 私は70歳になってから太極拳を始めた。
その太極拳は、「楊名時 八段錦・太極拳」、そして7年目を迎えた。


 練習に通う教室は昨年から一箇所増やし、週2回(月8回)の練習。
 教室: ①日本健康太極拳協会福岡支部「周美礼(スミレ)教室」
           月4回、毎週月曜日午前10時~12時
      ②NHK文化センター福岡教室「楊名時 八段錦・太極拳」
           月4回、毎週火曜日午前10:30時~12時

 なぜそれほどまでに・・・。
 私は運動機能障害に繋がる頚椎変形症と脊椎変形症持ち。 整形外科医は、異口同音に「高齢化現象だから仕方がない、一時的には薬で治せるが本格的治療は手術しかない」とこともなげに告げ、電気治療を施すだけ。
 それ以来私は、自身の自然治癒力を強化することに専念し、整形外科に行くのを止めている。

 頚椎変形症と脊椎変形症から予測される運動機能障害を予防するため、私に残された只一つの道は、自ら頚椎・脊椎を支える筋力を鍛えことである。 この筋力の強化運動は、それまで続けてきた運動だけでは成し得ないことがなんとなく判っていたので、その補強運動を太極拳に求めた。

     太極拳を始めた動機・・・「私の健康と太極拳」
 
 その結果と決め付けるのは早計かも知れないが、お陰で頚椎変形に起因する症状も今のところ現れていないし、慢性になりかけていた腰痛もあまり気にならなくなった。
 毎年2回受ける健康診断の結果も、年相応の症状は別にして、日常生活に支障をきたすような疾病は今のところない。正に、自分自身の健康のための太極拳効果の証と、「継続は力なり」を実感している。

 平成24年5月、資格審査の結果、「指導員」の資格を取得した。これからはこの資格に恥じないよう「太極拳の奥の深さ」に挑んでみようと思っている。
 太極拳は年齢や体調に応じた運動が可能だから、楽しみながら健康を維持する手段として、これからもでも続けるつもりだ。
 運動器症候群:ロコモティブ シンドローム(locomotive syndrome)、即ち「運動器の障害」により「要介護になる」リスクの高い状態、にならないために!
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by matutaka31 | 2012-08-18 15:26 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)

戦後67年、未だに解けない三つの疑問

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未だに解けない疑問を抱えたまま、2012.8.15日、67回目の終戦記念日を迎えた。
 今年もまた、独り言をくり返している。
 “多分、自分が生きている間に納得いく回答は得られないだろうな~”と。
  (写真はインターネットより拝借)



その疑問とは、
①アメリカが日本に原爆投下を決定した理由は何? 
 ポツダム宣言が発せられたのは7月26日、風前の灯同然になっていた日本に何故投下したのか。幾つかの説が囁かれているが未だに判然としない。
 即ち、多くの開発費を投じた原爆の威力を確かめたかったと言う説、戦争が長引くとアメリカ兵の犠牲が多くなるので早期に戦争を終結させるためと言う説、ソ連に対し終戦後の立場を優位にするためと言う説・・・があるが、真実はどれなのか。

②7月26日、日本に向けて発せられた「ポツダム宣言」に対し、日本が受諾したのが8月14日、何故もっと早く決められなかったのか?
 その20日間に、広島・長崎に原爆が投下された他、多くの尊い犠牲者を出してしまった。
『8月14日夜、NHKスペシアル「終戦、なぜ早く決められなかったのか」を見ながら、しっかり検証してみたい。』

③戦勝国による「「極東国際軍事裁判」で、日本の戦争犯罪者が裁かれたが、日本人による戦争の総括が行われなかったのは何故?
 日本人自ら戦争を検証し、真実を明らかにしたうえで戦争責任の所在を明確にしなかったのは何故か。そのため、国民の潜在的不満を未だに払拭できないばかりか、要人の靖国神社参拝はじめ従軍慰安婦問題等未だに外国から批判されたり謝罪を要求されているのではないか?
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by matutaka31 | 2012-08-15 15:08 | Trackback | Comments(4)

黒大豆作りに挑む

 昨年秋、“もう止めた!”と思った黒大豆作り、それなのに性懲りも無く今年もまた作っている。
 この黒大豆、肥料は必要とせず耐病性も強い作物であるが、大変水を欲しがる作物で育てるのは想像以上に難しい。
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6月16日播種の黒大豆(久しぶりの雨に活き活きしている)

 花が咲き、鞘が出来、その鞘が次第に大きくなる様子を見ていると順調に出来るな・・・と思って、安心してつい潅水を怠ってしまうと、いざ収穫時期になると、実が大きくなっていない。
 外見上は順調に育っているように見えても、内面では水分不足というダメージを受けていることに気がつかないのだ。


 人間の健康状態にも同じことが言えそうだ。普段健康そのものに見えても、定期的に健康診断を受けていないと、静かに病気が進行していたり、病気にならないまでも体力低下が進行しているケースは良くあること。
 その結果、自覚症状に気がついたときは、既に手遅れ・・・という具合に。

 黒大豆の実が大きくならない最大の原因は、開花から鞘が大きくなる時期の土壌水分不足にあるようだ。 これまでの栽培経験から、その原因は分かっているつもりだが、ついつい「まだ大丈夫だろう・・・」と怠けてしまうと、いざ収穫してみると「あ~今年も失敗だ!」となる始末。

 今年こそ背水の陣ならぬ「潅水の貫徹」を決め込んで、同じ時期に黒豆作りを始めた菜園仲間に教わった「省エネ潅水法」を取り入れ、目下今まで以上丹念に潅水をしている。

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葉に隠れて見えないが花が咲いている様子 右は花の拡大

 既に6月16日播種の24株は開花最盛期を迎えているが、折りしも雨が少なく、ピンチの連続。なんとしてもこの渇水期を乗り切らねばと、18リットル入りポリバケツ3個に水道水を一杯入れて車で運ぶ日が多くなった。
 これで失敗するようだったら、来年はきっぱり「黒大豆」を忘れることにしよう。
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by matutaka31 | 2012-08-13 14:32 | 思いのまま | Trackback | Comments(7)

第67回長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加

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 8月9日、今年も被爆67周年を迎える長崎市を訪れた(7回目)。 非核・脱原発の思いを同じくする人との参加は、これからの自身の活動を後押ししてくれるに違いない。
 式典そのものは何時もの式次第で行われたが、会場を取り巻く雰囲気にある静かな変化が起きていることを、私は肌で感じた。

 会場の長崎平和公園への長い階段の側に、エスカレータが新設されていた。 高齢化社会への配慮であろう。
 被爆者の年齢が77歳、被爆体験を語り継ぐ語り部が減り続ける一方で、被曝体験が風化してしまうことへの懸念が膨らむばかり。
 
 会場の椅子に「青少年ピースフォーラム」の張り紙があり、そこにはいろんな制服の中・高生と思しき男女の一団があった。実はこの学生達、長崎市が進める全国各地の小中学生や高校生らが原爆や平和について討論する会(青少年ピースフォーラム)に参加した学生達である。
 側にいた愛知県と宮城県から参加した中学生と話ができた。自分から参加を希望した、と質問にも自分の考えをはっきり答えてくれた。
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 原爆・平和について、若者が真剣に考えている姿は、社会全体が原爆や核に対する関心が薄れていく中にあって、頼もしい存在で将来に明るい兆しを見るようだった。

 もう一つ、外国人の参加が目立った。会場の内外には外国人の姿があふれていた。日本人より、外国人が核問題への関心が高まっているのでは・・・と思うほどに。 観光目的もあったろうが、原爆に関心がなければ素通りしたに違いない。
 米国のルース駐日大使、原爆投下を命じたトルーマン大統領の孫のクリプトン・トルーマン・ダニエル氏も初めて訪れた。内容は聞き取れなかったが、報道陣に何時までも囲まれ丁寧に応答する姿が印象的だった。
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 田上市長は、平和宣言の中で、今ようやく核兵器を非人道的兵器に位置づけようとする声が高まりつつあり核兵器のない世界を実現するため、次世代への働きかけが必要と述べた。また福島の原発事故については、福島に寄り添い応援すると述べ、放射能に脅かされることの無い社会を再構築するための新しいエネルギー政策の目標と、そこに至る明確な具体策を国に求めた。

 広島・長崎、ビキニ環礁での水爆実験による第5福竜丸の被爆と3度の核兵器による被爆、そして東京電力福島原発事故による被曝と世界に類を見ない被爆・被曝国日本、いまなおエネルギーに対する国是がないのは嘆かわしい。
 いまこそ政府は率先して核廃絶と核に依存しないエネルギー政策への態度を明確に国民に示し、世界に向けてリーダーシップを発揮すべきだ、との思いが一層募るばかり。
 更に、国内外の核兵器廃絶と脱原発の機運が高まる中、広島・長崎の原爆被爆体験そして福島原発事故による被曝体験を風化させない平和祈念行事が全国各地で行われ、多くの人々が参加する機会が増えればもっと関心が高まるに違いない、との思いを確信した。


     ホームページ 「被爆体験を風化させてはいけない」にリンク
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by matutaka31 | 2012-08-10 22:07 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

涼を求めて

 この時期になると、「涼」と言う文字がやけに目にとまる。
 東京の孫達が夏休みに遊びに来た。
 例年より早いが、中学生の孫の部活のスケジュールの合間を利用して、慌しい日程をやりくりして来てくれただけでに嬉しさも一入である。
 小学生の孫は水遊びやショッピングセンターがお気に入りだが、中学生の孫は涼しいところで本を読んだりゲームを楽しんだりするのが好きな様子。

 折角福岡まで遊びに来たのだから、何か良い思い出になるようなことしてあげたいと思い、海水浴でもいいし、谷合の渓谷で水遊びでもと誘ったが、暑いのは嫌だと気の無い返事。

 でも思い出作りは爺婆の役割でもあるので、涼を求めて、標高900mの羽金山の中腹にある糸島市の「白糸の滝」へ誘った。
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 誘い文句は、「滝があって涼しい」のと「そうめん流し」。
 この二つの誘い文句は、東京ではめったに経験することが無いことだから、みんな喜び勇んで腰を上げてくれた。
 糸島市にある白糸の滝は、「落差は約24m、マイナスイオンと自然あふれる憩いの場としてファミリー層に親しまれています」と、糸島市が宣伝するだけあって、下界とかけ離れた冷気に包まれた渓谷は大勢の観光客で賑わっていた。
 とりわけ子供達に人気が集まっていたのは、「そうめん流し」と「ヤマメ釣り」だった。
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野趣タップリのそうめん流し、美味しさに釣られて食べる量も膨らむ

 宣伝文句のとおり、「白糸の滝」には誂え向きの涼が待っていた。 緑豊な渓谷に、滔々と落ちる滝、谷底から吹き上げる風にしぶきが飛び散り、辺りに冷気を振り撒く。
 やはり「涼」に相応しい雰囲気は、なんと言っても自然が生み出す「冷気」即ち空気・水・風・陽射し等々が醸し出す冷気であり、冷房が効いた人工的な空間は私にとって凉のイメージには程遠いものでものある。
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by matutaka31 | 2012-08-08 22:04 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)

被爆稲について、テレビ番組の取材を受ける

 小生のブログ「被爆稲を作り継ぐ」が某テレビ局の目にとまり、ブログに込められている思いについて、昨日(8/3)午後、自宅で取材を受けた。
 取材の目的は、8月9日の長崎原爆忌に合わせて放映予定番組の一部に「今も被爆稲を作り続け人々の思い」をいろんな角度から切り込む特別番組の取材だったようだ。

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 特に長崎在住でなく福岡に住む私が、被爆稲を作り始めたきっかけと動機、更に今、どのような思いを込めて作り続けているのかについてが主な取材目的であったが、その他被爆当時10歳の私が体験した、原爆炸裂の瞬間の様子がどのようであったかを尋ねる等々であった。

右の写真は、6月24日鉢に移植した5株の被爆稲(8/4現在)の様子




 
 久しぶりのテレビカメラが至近距離に迫る取材でやや緊張したが、巧みなディレクターの誘導に助けられ、取材目的に副えたかどうか分からないが、約1時間半の取材になんとか自分の考えを伝えることが出来たと思っている。
 それにしても長時間の取材に対し、実際放映されるのはわずか数分程度に編集されることを思うと、取材する方もされる方もご苦労なことである。

 被爆稲を作り続ける私の思いは、ブログやホームページに縷々書き込んでいるので、改めてくどくど書くつもりはないが、原爆炸裂直下で奇跡的に生き残った稲の「種」を絶やすことなく作り続け、何らかの損傷を受けていると見られる遺伝子が代々受け継がれる姿を一人でも多くの人々に実感してもらうこと、と同時にこの被爆稲を作り続けることが私自身原爆被害の実相を風化させないことに繋がると思うからである。

 私はこれまでに6回、長崎原爆犠牲者慰霊追悼平和祈念式典に参加したが、広島の原爆ドームのような被爆遺産が少ないせいか、式典を通じ、被爆当時の悲惨な実相が浮かび上がらないとの思いが拭えなかった。
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2011年式典会場の模様

 取材の合間にディレクターと話し合った、長崎で奇跡的に生き残った被爆稲を式典当日に大々的に展示することができれば、被爆体験を風化させない存在として大きくアピールするではないか・・・/云々は、これから私が取り組もうと思っている被爆稲の存在をアピールする活動に一つのヒントを得たように思う。
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by matutaka31 | 2012-08-04 10:48 | Trackback | Comments(13)