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福岡城跡の復元に思う

 先日、仲間と一緒に「福岡城跡建造物見学ツアー」に参加し、福岡歴史探訪ガイドさんの親切で分かり易い説明を聞くことができた。
 福岡城跡と云えば初代福岡藩主黒田長政〔52万3千石)が、慶長6年(1601)から7年がかりで築城した平山城で、別名「舞鶴城」とも呼ばれている国指定の史跡である。

 これまで何回となくこの城跡を訪れているが、そのほとんどが梅や桜の花見だったので、城跡についてあまり意識することはなく 、城跡と言うより花見の名所との印象が強かった。
 城の内容について意識していたのは、石垣が多いことと復元された大手門・潮見櫓、多門櫓はじめ幾つかの櫓であり、城の規模やその構築物については、恥ずかしながらほとんど知らなかった。
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大手門

 この福岡城跡の中に大中小の各天守台と47の櫓があったといわれているが、現在残されているのは、多聞櫓(重要文化財)、潮見櫓、大手門、祈念櫓、母里太兵衛邸長屋門、名島門などであり、現在展望台になっている大天主台には天守閣跡と思われる礎石が残されている。
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多聞櫓

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祈念櫓
 
 今回の見学ツアーに参加したことで、今まで関心を持つこともなかった構築物の全容を聞くにつれ、改めて福岡城の規模の大きさや構築物の内容を知ることができると同時に、何故復元されないままになっているのか、疑問が湧いてきた。

 総面積約80万平方メートルと全国でも有数の規模を誇る大規模な城跡が、一部の施設が復元・保存されるに止まり、半ば放置されているに等しい状態に置かれているのは何故だろうか。
 また、県下有数の大濠公園とすぐ側の福岡城跡が復元されれば、福岡県なかんずく福岡市の一大中心的文化施設を兼ねた観光施設となりうると思われるのに、何故その機運が生まれないのか.

 復元・整備には長い年月と膨大な経費が必要になると思うが、県・市が中心に国に働きかけ、7年~10年かけてでも復元することができれば、150万都市福岡市の活性化に与える効果は計り知れない程大きいと思うのだが・・・。

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by matutaka31 | 2012-10-31 20:49 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)

さつま芋大好き

 私はさつま芋大好き人間である。人がなんと言おうと、好きなものは好き!
「食べたいものを、食べたい時、食べたいだけ食べる」これは私が子供の頃からずーっと思い続けている食いしん坊哲学である。でも、言うべくしてなかなか叶えられないことが多い。でも、そのことが自身の健康に繋がっていると思えば、神様の思召しだと自らを慰めることにしている。

 家庭菜園の魅力は、単に体を動かすだけでなく、旬のものを「食べたい時食べたいだけ食べる」ことが許されることである。むしろ食べいだけ食べても、食べきれない程で、周りの人達に自然の恵みをお裾分けすることによる触れ合いの輪が広がる・・・、菜園効果が膨らむのも嬉しい。
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掘り起こしたさつま芋 品種は鳴門金時・紅東

 先日さつま芋を少し掘り起こした。これまでに掘り起こしたのは、今年の作付け面積の凡そ3割程度だから、まだまだ畑の土の中で出番を待っているさつま芋が50~60kg位ありそうだ。 さつま芋大好き人間の私にとって、楽しみな在庫品である。
 
 さつま芋の食べ方の主流は、やはり焼き芋だろう。
 最近のさつま芋は、昔のものと比べ物にならないほどの美味しさがあるので、焼芋の味が格段に良くなっている。
 中でも石焼き芋に根強い人気があるのは、「65℃~85℃の温度帯」で時間をかけて焼くから、甘みが増すと言われている。甘味の正体の“糖”を生み出す酵素にとって最も好条件の温度帯を長く維持するのに「石」の役割があるそうだ。

 ところが最近、石焼芋の存在を脅かすように、さつま芋を素材にしたものが人気を博している。その例に熊本名産「いきなり団子」がある。そのいきなり団子にはいろんなタイプのものが出回っているが、さつま芋を小麦粉とダンゴ粉を練った生地で包んだものが基本にたっているようだ。 その名前の由来は、急な来客があったとき、短時間で(いきなり)作って出せると言う意味らしい。

 私は、最近時たま、この「いきなり団子」を買って食べることがあるが、さつま芋の特徴を生かした素朴な味で、実に美味しい! 癖になりそう・・・。
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by matutaka31 | 2012-10-27 20:38 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

慈雨で活気付く野菜

 このところ素晴らしい秋晴れが続く。行楽シーズンたけなわのこの時期、絶好の好天に恵まれ、観光客もそして客を迎える側も揃って喜びが絶えないことだろう。
 ところが我が菜園では、極端な雨不足のあおりを受けて、秋野菜が青息吐息。

そんな家庭菜園の秋野菜にとって、一昨日の雨は正に慈雨だった。 10月に入って2度目の雨で、そのありがたさは農作物を作ったことのある人でなくては分からないかもしれない。
 雨が少ないとき、水道水を車で運んで如雨露で潅水しても土の表面が湿る程度で、肝心の根の部分まで湿ることは難しい。
 そんな日照りが続いているときの雨は、正に恵の雨そのもので、普段想像もできないくらい雨のありがたさをしみじみと感じ、安堵の気持ちを通り越した喜びがある。  雨の後、一夜明けた菜園に行くと、生育中の野菜は活気を取り戻したように緑が一段と濃くなり、野菜たちの喜びが伝わってくるようだ。

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≪白菜> 水不足で伸び悩んでいた葉が勢いづいてきた。間もなく結球が始まるだろう

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≪ワサビ菜≫ ワサビに似た辛さがあり、今が旬。刺身のツマなどに喜ばれる。
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≪大根≫ 出来るだけ長い間収穫できるように日にちをずらして播種する。1回目の播種。 

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≪二回目播種の大根≫

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≪小松菜≫ 今年はあまり虫がつかず、順調に育っている。

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≪ミズ菜≫ 水不足で発芽が良くなかったのが幸いして、間引きの手間が省けた。

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≪キャベツ≫ アオムシとの死活をかけた生存競争中、今のところ被害を最小限に押さえ込んでいるが・・・。

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≪2回目播種のキャベツ≫ 2本のうち弱い方の1本を間もなく切り取る

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≪ワケギ≫今順調に育っている。


 
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by matutaka31 | 2012-10-25 10:20 | 思いのまま | Trackback | Comments(4)

金龍寺・貝原益軒

 先日、いつも利用する福岡市営地下鉄「西新駅」~「唐人町駅」間の地にゆかりのある貝原益軒、中野正剛、平野國臣の遺跡を、仲間と訪ね歩いた。
 今回は、最初に訪ねた「貝原益軒の墓と銅像」のある「金龍寺」と貝原益軒の「養生訓」に触れてみることにした。

 金龍寺は、1508年(永正5年)、原田興種が現在の糸島市高祖の地に建立したが、1611年福岡城下の荒戸山に移された後、福岡二代藩主黒田忠行の時、現在地に移ったとのことである。
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その糸島市高祖には、その後、地元の人たちにより同じ名前の「金龍寺」が再建されたという。
←左の写真は、現在糸島市高祖にある「金龍寺」
 したがって、福岡市内の耕雲山金龍寺と糸島市高祖の太祖山 金龍寺は、今で言う本家(耕雲山金龍寺)と分家の間柄になると思われる。
 お寺の背後の山は、高祖山([416m)



金龍寺境内にある貝原益軒の銅像と墓
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貝原益軒の銅像(逆光で表情がみえないが、実像は凛々しい顔つきである)
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貝原益軒・東軒夫妻の墓、右側が貝原益軒


 貝原益軒と当時の金龍寺住職が昵懇の間柄だったことから、このお寺に葬られたという。

 貝原益軒(1630~1714)は、福岡藩士貝原寛斎の五男として城内で生まれる。 儒学者で数々の著書を残しているが、中でも大衆健康書とも言われるのが「養生訓」は、今でも多くの人々に親しまれている。
 
 これまで「養生訓」については概念的に知る程度で、その内容を詳しく読んだことはなかったので、墓を訪れた機会に改めて原文を興味深い項目を一通り読んでみた。
 読み易く書かれているので、一部現代カナ使いでは分からないところが少しあるが、さほど問題なく読み下すことが出来た。今から約300年近く前にかかれたにもかかわらず、その内容の多くは、今でも私達の生活信条として心しておきたいことが多いことに驚く。
 内要は、内欲(飲食、性欲)を抑え、外邪(寒熱)を防ぐ等健康維持への努力を強調し、飲食、飲茶、煙草(たばこ)、慎(しん)色欲、五官、洗浴、慎病、択医、用薬、育英、鍼(はり)、灸(きゅう)等々についての考えが具体的に書かれている。

 その中で特別心を惹かれたのは「三つの楽しみ」と「呼吸法」がある。
 「三つの楽しみ」は自身の生き様に通じる点があり、「呼吸法」は7年来続けている修行中の太極拳の効用を再認識させてくれる内容だから、・・・。

 人生の三楽に関する内容は、当時、身分制度や社会のしきたりが厳しい時代にありながら、ここまではっきり言い切っていることに驚かされる。

 原文ををそのまま転記しよう。
「およそ人の楽しむべきこと三あり。 ひとつは道を行ない、ひが事なくして善を楽しむこと。 二つは身に病なくして快く楽むにあり。 三つには命ながくして、久しくたのしむにある。富貴にしても、この三の楽なければ、まことの楽なし。 故に富貴はこの三楽の内にあらず。もし心に善を楽まず、また養生の道をしらずして、身に病多く、そのはては短命なる人は、この三楽を得ず。人となりてこの三楽を得る計なくんばあるべからず。この三楽なくんば、いかなる大富貴をきはむとも、益なかるべし。」
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by matutaka31 | 2012-10-21 10:19 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

被爆者の懇親会で思うこと

 私は今、「福岡市原爆被害者の会」活動のお手伝いをしている。
 先日、私が担当している地区の被爆者の懇親会を開いた。現状では年1回しか出来ないが、せめてもの機会に、楽しい一時を過ごしてもらいとの願いを込めて幹事一同心を一つにして準備を進めた。
 一人でも多く参加してもらいたいと思ったが、被爆者の平均年齢は78歳と高齢化が一気に加速していることもあり、今回は会員数の約24%の参加率に止まった。
 案内状を発送した後、会員の方々に懇親会へのお誘いを兼ねて今の健康状態等をお尋ねすると、病気で通院中、体体の具合が良くなくて出かけるのが不自由になった等々、高齢化特有の事情を訴える方が多くなった。

  <当日の主なプログラム>
 福岡記念病院の先生の健康講話
 「被爆稲を作り続ける思い」体験報告
 みんなで楽しむビンゴゲーム
昼食を挟んで3時間の懇親会であったが、和気藹々の中で終了することが出来た。

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懇親会の模様(健康講話中)

  被爆者の高齢化が進み被爆体験者が年々少なくなる現状は客観的に理解しているつもりでいるが、実際に被爆者の個人ごとの事情を聞いたり、懇親会への参加者が減少していく現実に直面するにつけ、今後、被爆の実相をどのように後世に伝えていくかが深刻な問題であることを痛感する。
 福島の原発事故からわずか1年半を過ぎたばかりだというのに、早くも原発廃止機運が後退しかかっているのではないかとさえ思われる現象を見るにつけ、67年前の原爆被害の実相を後世に伝えるには余程しっかり語り継がないと、どんどん風化していくのではないかとの危機感が募る。

 私が報告した「被爆稲を作り続ける体験」は、8月9日長崎原爆忌当日、式典会場から放映されたNBC長崎放送の 「原爆忌特集」で紹介された「被爆稲を作り続ける人の思い」の部分について、もう少し詳しく報告した。特に7年間被爆稲を作り続けてきた動機とその思い、更にそのことから何を学んだか、等々である。 
 これからも被爆稲を作り続けるつもりでいるが、出来ることなら作り続ける運動の輪を広げる方策を模索してみよう、と思っている。
 仲間を募って、種籾を配布したり、稲苗を作って配布する等々。

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by matutaka31 | 2012-10-17 11:18 | 思いのまま | Trackback | Comments(4)

収穫の秋

 我が菜園も、秋の深まりとともに、待ちに待った収穫の秋を迎えた。
 作物の出来栄えは、農家やベテラン菜園愛好家に比べるとイマイチかも知れないが、自分としてはまずまずの出来だと満足している。特に長雨・豪雨と日照りの繰り返しだったことを思うと、可も無く不可もなしとしておこう。

 今から収穫の適期を迎える作物の中に、私が比較的好んで作る作物、さつま芋・里芋・ジャガイモ・つくね芋・生姜等々、いわゆる「根もの」がる。
 種蒔きや育苗中の病害虫駆除等の煩わしさがなく、いずれも種芋を植え込みに始まり、一度植えたらその後は草取り・土寄せ等の作業だけで、あまり手間隙がかからないうえ病害虫の影響をほとんど受けないから、メンドクサガリ屋の私にはウッテツケの作物だから・・・。
 しかも1個の種芋からその数倍いや十数倍の収穫が期待でき、収穫後は長期保存が出来る利点がある優れものである。

 その根物の先陣を切って、我が菜園で収穫をはじめたのがさつま芋・里芋・生姜である。

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一かけらの種生姜からこれだけの生姜が・・・

 今年は、自分の畑で採れたさつま芋で作った熊本名物「いきなり団子}を食べること、生姜を生のまま保存する方法を探ること、・・・等など楽しみが尽きない。(^。^;)

 さつま芋・里芋も出来は上々で、最高の味が出るのはもう少し後という感じだが、もう旬の味と言ってもいいだろう。
 これから少しづつ収穫し、“食べたいとき食べたいだけ食べ”、東京に住む孫達のところや近くに住む姉達にも、自慢の秋の味を届けることにしよう。
 また、親しい人や日頃お世話になっている方々にも、この自然の恵みをお裾分けしよう。


 自然に感謝!、そして家庭菜園を楽しめる境遇と健康に感謝!の日々である。
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by matutaka31 | 2012-10-13 10:49 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

67年目の被爆稲が稔った

 被爆後67年間作り続けられた「被爆稲」、この被爆稲を我家で作り続けて今年で7年目になる。 その模様を7月、ブログに綴った。 「被爆稲を作り続ける」  そして今年8月9日、そのことが長崎放送テレビの特別番組に取り上げられた。

 その被爆稲、今日無事収穫することが出来た。
 田の土で栽培したいのだが、近くに点々と残っていた農地も宅地化が進んで田の土を手に入れることが難しくなり、今年は我が家庭菜園の土で栽培した。 通常の稲作と栽培条件が異なり、生育は良くないのはもとよりである。
  
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 私が被爆稲を作り続けるのは、試験栽培ではなく、あくまでも被爆体験を風化させたくない思いを込めた栽培だから、その稔り具合は栽培技術を度外視した自分なりの感想に過ぎない。
 あえてその感想を書くと、被爆で損傷した遺伝子が正常に戻ることなく未だに引きずっていると思われる現象、即ちよく言われる粃(シイナ)の発生は何時もと同じように目立つ。粒の大きさは、品種と栽培条件によるところが大きいので一概に言えないが、やはり小さいようだ。

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薄緑色した籾が不稔粒

 被爆後67年を経た今もこのような現象を見るにつけ、核による生物への影響の恐ろしさを改めて思い知らされる。
 仮にこの現象を「人」に置き換えてみると、 「人」では、2千年後も放射能の影響が残ることになり、その恐ろしさは比べようもなく大きくなる。
 稲の一代は1年、人の一代を30年とすると、稲の67年は人間の2010年に相当する。(30年×67=2010年)

 馬鹿げた計算だとお叱りを受けるかも知れないが、数字はともかく、放射能の影響の怖さ忘れてはいけない警鐘と見るべきではなかろうか。
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by matutaka31 | 2012-10-11 11:12 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

興宗寺、四十七義士の墓と穴観音

 福岡市の中心部分に近い「鴻巣山緑地」に連なる「平和南緑地」の南側を少し下った、南区寺塚2丁目に「興宗禅寺(こうしゅうじ)」がある。 先日、「鴻巣山緑地」から野間大池方面へのウオーキング途中、思いがけず目に付いた禅寺である。
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 興宗寺(こうしゅうじ)は、福岡市南区寺塚にある曹洞宗の寺で、興宗禅寺・穴観音の名で知られている。
 お寺の看板にある「四十七義士の墓」と「穴観音」の文字が、私の足を止めた。
(写真をクリックすると拡大)



 
 東京高輪の泉岳寺に在る「四十七義士の墓」が何故福岡に・・・?、そして穴観音とは・・・?、地名が「寺塚」であるだけに、何か訳あり・・・と思うと、そのまま通り過ぎるワケにはいかない。でも、時間の余裕もなくウォーキングのメンバーはあまり興味を示さなかったので、日を改めて訪ねることにした。

 そのうち機会があれば・・・と思っていると、そのうち忘れてしまって・・・、とどのつまり忘却の彼方へ・・・となるのがおち。 確かめてみたい!見てみたい!と思ったら直ぐ実行!をモットーとする探訪、早速仲間と「興宗寺」を訪ねた。

  山門を過ぎて境内の右奥の木立の中に赤穂四十七義士の墓はあった。

b0008825_13575633.jpg 説明書きによると『赤穂四十七義士は東京高輪泉岳寺に祭られ供養されているが昭和十年(西暦一,九三五年)篤志家木原善太郎氏(当時六本松在住)が私財を投じ、泉岳寺と同宗である興宗寺境内に赤穂義士の墳墓を模して、配列はおろか地形から玉垣まで泉岳寺のものと同形式の墓を建立されたもの』とあった。
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 中へ進むと、浅野内匠頭長矩が田村邸の庭で切腹した際に飛び散った「血染めの石」、吉良上野介義央の首を洗った「首洗いの井戸」、大石内蔵助を助けた義商「天野屋利兵衛]の仏塔が・・・そしてその奥に赤穂四十七義士の墓が整然と並ぶ。以前、泉岳寺の四十七士の墓にお参りしたときの記憶と同じだ。









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四十七士の墓(出来るだけ多くの墓を入れるため後側から撮った)
 
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大石内蔵助の墓

墓前に立つと、何度も映画やテレビ画像で目にした大石内蔵助の用意周到な仇討ちの計画を進め、ついに主君の恨みを晴らす様子が想いだされる。 









なるほど!!何故ここに・・・という私達の疑問は解けたが、形だけが同じものというだけでは、単なる模造物でしかなく、果たして史跡と言えるだろうか・・・との疑問がまだ残る。
 
 この墓の前で掃除をしていた若い修行僧らしい青年がいたので、看板に書いていないことを尋ねたところ、その若い修行僧?は、私達の疑問に的確に答えてくれた。
「分骨が出来ないので、その代わりに泉岳寺の夫々の墓の底の土を少量ずつ分けてもらって、この墓石の下に埋めてある」と説明してくれた。
 その話を聞いて、単なる模造物ではないことを知り、改めてこの墓の存在を認識させられた。毎年ここで行われる12月14日の「義士祭」に参加してみようかな~との思いが芽生えてきた。

 余談だけれど、鬱蒼とした林の中だったので、今までに経験したことがないような藪蚊の大群に襲われた。
 手をや顔、首筋等肌がむき出しになっている部分だけに止まらず、ズボンの上からお尻や足首まで刺される始末。痒くて痒くて気が狂いそうになるのを我慢していたが、ついに我慢できなくて山門の方に逃げ出した。
 仲間が突然、「穴観音は何処にあるのですか」・・・と。その声にハッと我に返る。その一言がなければ穴観音を観ないまま帰ってしまったかもしれない(^。^;)


 気を取り直して、四十七義士の墓の右手にある急な石段を登り穴観音へ。
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 説明書きによると、「このあたりは百塚(ひゃくづか)といって古墳群のあった所であるが、福岡城が築かれた際に、その古墳の石が多く利用され、ここの古墳だけが供養のため残された」とある。福岡城主も勿体無いというか馬鹿なことをしでかしたものだ。
 「石室内には、阿弥陀(あみだ)如来、勢至(せいし)菩薩、観音菩薩が彫刻してあり、世に穴観音(あなかんのん)として知られている。」とある。
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石室内の彫刻

 かくして今回の歴史探訪は、思いがけない知識と経験を重ねることとなり、心に残る想い出深い一日となった。
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by matutaka31 | 2012-10-08 13:58 | Trackback | Comments(2)

鴻巣山展望台からの眺望

 福岡市中央区にこんな素晴らしい緑地帯があるとは、迂闊にもつい最近までその存在を知らなかった。しかもれっきとした標高約100mの鴻巣山があり、その展望台に上ると福岡市の市街地のみならず遥か遠くまで360度の素晴らしい展望がある。

 福岡市の中心部「天神」からわずか20分程度で、緑地入り口に近い「小笹」バス停に到着する。そこから住宅地を抜け、歩くこと約20分で鴻巣山緑地入り口ににたどり着く。
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鴻巣山緑地、その東側には平和南緑地が連なる


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昼なお薄暗いマテバシィの林をゆっくり登ると、およそ10分ほどで展望台に着く。



 
 展望台からの360度の展望は、足元の樹海の向こうに福岡市街地が広がり、その向こうには玄界灘に浮かぶ島々、目を転じれば周りの山並と正に画に描いたようなパノラマである。 
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そびえるテレビ塔

 玄界灘から吹き上げてくる爽やかな風が頬を撫で、周りの木々の梢がざわざわと小気味よい音を奏でる。
 足元に広がる緑の梢は、さながら緑の絨毯を思わせる。ちょっと飛び降りてその絨毯に寝そべってみたい衝動に駆られる。
  その緑の絨毯の先には福岡市街地が広がり、北の方角には玄海島、能古島、志賀島、更に相の島が眺望でき、更に目を転ずれば福岡市街地を囲むように立花山、若杉山 三群山、油山、背振山、飯盛山等々が連なる。
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福岡ドーム・福岡タワー周辺を望む
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福岡市植物園・動物園の森を、その向こうに天神街を望む

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福岡市東方面、立花山を望む

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 紺碧の空には、福岡空港に発着する航空機がひっきりなしに飛び交う。
 福岡市の活発な息吹を感じる瞬間でもある。



 この空間に身を置いていると、身も心も軽やかな幸せな気持ちに包まれ、時が過ぎるのを忘れてしまった。
 こんな素晴らしい緑に包まれた静かな憩いの場所が、市の中心部にあることを知らなかった私にとって、この日は忘れることの出来ない良い思い出の一日になった。
 思う存分山頂の気分を満喫した後、鴻巣山から南側に下って、野間大池そばのオーガニックレストラン「木の花ガルテン」への道すがら、興宗寺に立ち寄った。そこには思いがけない「四十七義士」の墓や「穴観音」等、私が全く知らなかった史跡に出くわした。
  その内容は、次回に譲ることにしよう。
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by matutaka31 | 2012-10-05 14:41 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)

知床の想い出

 インターネットバーチャル日本一周の旅の途上、今、北海道標津市から根室市に向かっている。
 9月は網走から知床半島に思いを残しながら標津を通過した。知床半島には以前一度だけ訪れたことがあるが、それも半島の根っこ付近だけで、ついに半島の中まで立ち入る機会がなかった。せめて羅臼付近まででも行ってみたかった。
 知床半島は、屋久島(鹿児島県)、白神山地(青森、秋田県)に次ぎ世界自然遺産登録の3件目となるので、元気なうちにもう一度訪ねてみたいところだけれど・・・。
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 自然豊な想い出とは正反対に忘れられないのが、武田泰淳のひかりごけ事件をモチーフとした小説『ひかりごけ』である。ひかりごけ事件は、1944年5月に、現在の北海道羅臼町で発覚した死体損壊事件で、日本陸軍の徴用船が難破し、真冬の知床岬に食料もない極限状態に置かれた船長が、仲間の船員の遺体を食べて生き延びたという事件である。極限状態に追い込まれた人間の生き様が、私の心に生々しく刻まれている。

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 この一ヶ月間に歩いた距離は、122km、一日平均4.1km。 残暑厳しい時期にしては、まずまずの出来と思うことにしよう。
 10月は根室から、想い出深い釧路を目指すことになる。

 今は亡き森繁日久弥の歌「新しれとこ旅情」を、インターネットにアップされた中からお借りして懐かしむことにしよう。

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by matutaka31 | 2012-10-03 09:49 | 思いのまま | Trackback | Comments(4)