<   2013年 09月 ( 10 )   > この月の画像一覧

香椎宮 その新たな発見

 若い頃福岡市東区香椎で過ごしたことがある私にとって香椎宮は、いわゆる「官幣大社」で由緒ある神社という程度の認識でしかなかった。
 そこで香椎宮のことをもっと知りたいと思い、「あ・るっく福岡」主催の「古の香りあふれる香椎宮散策に、先日仲間と参加した。

b0008825_2054312.jpg

 その官幣大社の呼び方は、1945年12月GHQの指令とともに廃止され、第1鳥居側の石柱に書かれた官幣大社の文字は消されているが、第2鳥居の石柱は当時のまま「官幣大社」の文字が残されている。




 ちなみに、当時の官幣大社は全国65社で、香椎宮はその一つ。
 福岡県ではこの香椎宮の他筥崎宮、宗像大社の3社があるが、その列格年月では香椎宮が一番古く明治18年4月、次いで宗像大社明治34年11月、筥崎宮大正3年1月となっている。

ボランティアガイドさんの分かりやすい説明を聞きながら見て歩くうち、今まで何回かお参りしていたのに一度も見ることがなかったところや、聞いたこともない香椎宮にまつわる伝説等々、思いがけない事実を知ることできた。

 香椎宮は、仲哀天皇とそのお后神功皇后を祀った神社で、その神殿建築様式は「香椎造り」として知られ、重要文化財に指定されている。
b0008825_14212737.jpg

 特徴としては、本殿は凸字形で、外陣の横に突き出しているところは祭神が民情視察に出かける際の扉と階段がある。その階段は、神様は地面に降りることはないので、車や御輿の高さまでしかない。
 なんだか神様が実在しているかのようなイメージに重なり、不思議な親しみを感じてしまう。

 楼門をくぐると、そこには思いがけないサプライズが・・・。
 楼門とその奥に在る狛犬との中間に立って後ろを振り返ると、目に飛び込んでくる景色が「開」字に見える。そして狛犬の「ウン」の方を撫でると「運」が乗り移り、「開運」のご利益になると言う・・・。

b0008825_14343263.jpgb0008825_14423233.jpg
 



  
楼門を通して見える鳥居で「開」            狛犬の「運」  合わせて「開運」


 香椎宮には、他の神社によくある・・・・の神様、と言ったご利益を意味する言葉を聞かない。でもそのことが、一層由緒ある神社の風格を思わせることにつながると思うので、この「開運」を香椎宮のお守りにしようと仲間と話し合ってきた。

  b0008825_15165956.jpg

 
 
本殿の奥の方には、「古宮跡」が在る。
 その場所は、 仲哀天皇は、熊襲征伐のため、この香椎の地に行宮(あんぐう・・・一時的な宮殿として使用された 施設)を設けていたところで、石柱には「仲哀天皇大本営御??跡」と書いてある。



 その少し手前にご神木「香椎の木」がある。その石柱には「棺掛けの椎」とも書いてある。

b0008825_15343276.jpgb0008825_1535662.jpg






 
仲哀天皇は、何故かこの地で急死するのである。
 神功皇后は、仲哀天皇のご偉業を完遂しようと思い、天皇の喪を秘し、その御棺をこの椎の木に立て掛け、まるで天皇がここにいるかのようにして群議(御前会議)を開かれた、と言われている。
 この時、御棺の周りよりいい香りが漂ったことが、香椎の地名の由来だそうである。

 仲哀天皇は何故急死したのか、疑問が深まる。その原因を知りたくて、以前読んだ「消された覇王」(小椋一葉)やインターネットで調べてみた。するといろんな説があることが分かった。
 即ち、
 熊襲征伐の戦闘で戦死した説
 神がかりになっていた神功皇后の勧めによる、神のお告げに随わなかったため神の怒りを受けた急死説
 そして、お后神宮皇后と取り巻きによる暗殺説

 夫々の説は、それなりに、なるほどとうなずけるもので、読んでみると面白い。

 仲哀天皇の熊襲攻めと急死の成り行きや、後の神功皇后の三韓征伐の成り行きから考えると、当時、仲哀天皇よりむしろ神功皇后の方が、時の権力者として実権をふるっていた実像が浮かび上がってくる。

 b0008825_15445026.jpg


 もう少し離れたところに「日本名水百選」に選ばれた「不老水」の井戸がある。
 熊襲征伐や三韓征伐に功績を残した武内宿禰が、この水を飲んで300歳まで長生きした、という伝説があり、今でもたいそうな人気があるらしい。
b0008825_1546353.jpg
 
武内宿禰が仲哀天皇と神功皇后に水を献上する図
 

300歳とは言わないが、100歳くらいあやかりたいと仲間と冗談を交わしながら、ペットボトルに少しばかり汲んで持ち帰った。
 ご利益は何年後だろうか。
[PR]
by matutaka31 | 2013-09-30 16:05 | Trackback | Comments(10)

20日ぶりの雨!

 今日、やっと惠の雨が降った。実に20日ぶりの雨。
  今日の天気予報「午前晴れ、午後降水確率50%」。朝から、カラカラに乾いた菜園のことを考えながら、惠の雨を期待した。
b0008825_17501375.jpg
種まき用に作った畝も、ご覧のとおりで、種が播ける状態ではない

b0008825_1754103.jpg
雨前に撮ったナスの様子。今日の雨ではほとんど変化はなさそう

 予報どおり午前中は晴天、さすが気象庁の天気予報と思いつつ、もしかしたらこのまま雨が降らないのでは・・・?と思っていると、午後2時過ぎに予報どおり、本当に久しぶりに雨が降り出した。
 秋野菜の種蒔きや植え付けが遅れ気味の私にとっては、ワクワクする瞬間だ。
 
 ところが今日の雨、本当に申し訳程度のお湿りで終りそう・・・。これでは、乾いた畑にとっては、もう少し降って欲しかった。
 でも昨日植えた、ニンニク・ワケギ・アサツキにとっては、絶好のタイミングの雨だった。

 明日以降も、また晴天が続く予報。
 久しぶりに菜園の水遣りから解放されるかと期待したが、自然相手はそう甘くない。
 でも天の恵み!有りがたく思わなくっちゃ。
 
 わずかなお湿りとは言え、苗を育てる期間が短い秋野菜作りにとっては待ち待った雨、このチャンスを逃す訳にはいかない。
 夕方菜園に行ってみたら、種蒔きにはまだ水分が不足しているので、明日の種蒔き予定の畝に水遣りをしてきた。

 夜になってまた少し降っている様子だから、明日は良い具合になっているのでは、と期待が膨らむ。
 明日の午後はボランティアがあるので、午前中に、人参、春菊・大根・ターサイ・水菜などの種蒔と九条ネギ・ワサビ菜の移植をしよう。

 
[PR]
by matutaka31 | 2013-09-25 15:41 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

「石堂地蔵尊の由来」説明板の怪

 福岡市博多区千代3丁目に、「子授け地蔵」や「刈萱地蔵」とも呼ばれている、「刈萱(かるかや)石堂丸物語」発祥の地とされる「石堂地蔵尊」がある。 
b0008825_21541011.jpg
清掃が行き届いている地蔵尊

説明板に、『苅萱石堂丸物語の発祥地』として次のような説明がなされている。
   石堂地蔵尊の由来:
 「今から八百十余年前、筑前博多の守護職加藤繁昌は、子がなかったので、香椎の宮に参籠し、神のお告げによって箱崎松原の西、博多の東、石堂川口の川の畔りの地蔵尊から丸く温い石を頂いて、これを妻に与えると男児が生まれたので、石堂丸と名づけたが、これが後の苅萱道心加藤左衛門繁氏である。」・・・

ここまでは、石堂地蔵尊の由来として素直に読める。
ところがこの後に続後半の部分が、何故か分りにくい。

「瞼の父繁昌を尋ねて、高野山に登ったその子も父の幼名をついで、石堂丸と名づけられたのであった。この石堂地蔵尊の霊験によって苅萱道心は誕生し、此処は実に苅萱石堂丸の国民的伝説の発祥の地である。」
    「苅萱道心行状記による。」
           平成11年5月 新調
  ・・・で終わっている。
b0008825_21484165.jpg
クリックすると、大きい画面になります


 説明の前半と、後半の「瞼の父・・・から後のつながりが分らない。
 「苅萱石堂丸」のことをよく知る人にとっては何でもないことかもしれないが、そうでない勧化(カンゲ)がどんなものか見たことも聞いたこともない者には、いきなり「苅萱石堂丸」の国民的伝説の発祥の地」と言われても、何のことだかさっぱり分らない。
 釈然としないままその場を去ったが、何故か気になる。一緒に行った仲間も同じように首を傾げる。
 予めこの石堂地蔵尊について、生半可な予備知識を入れていたせいかもしれない。

 考えていた仲間が突然、「瞼の父は「繁昌」ではなく「繁氏」のことじゃない?と、説明板の間違いを大胆に指摘する。
 なるほど・・・確かに繁昌では辻褄が合わない。 
 どうも腑に落ちない・・・、
 こうなったら「苅萱道心行状記」を読んで確かめるしかない。それが疑問を解く早道とばかり、仲間と福岡市総合図書館に行き、「苅萱道心行状記」を読んでみた。

 勧化本「苅萱道心行状記」によるあらすじは、次のとおりだ。

筑前博多の守護職加藤繁昌夫婦は,香椎の宮 神のお告げにより、石堂川沿いの地蔵尊のおかげで男児を授かる。
その子は石堂丸と名づけられるが、後の苅萱道心加藤左衛門繁氏である。

繁氏は、故あって(正妻と側室との嫉妬)突如高野山に入り、出家してしまうが、周囲から苅萱道心と呼ばれていた。

繁氏と側室との間に生まれた男児は、母と共に父繁氏を慕って高野山をめざすが、女人禁制で母は山に入れず、子供だけが瞼の父を探す。

我が子に出会った繁氏はたいそう驚くが、身分を明かさず、苅萱道心という人は既に死んでしまったと言い、母のもとへ帰るよう諭す。

母とも死に別れた子供は、父を慕う気持ちが高じて再度高野山に出向き、苅萱道心(円空「仏師円空とは別人」)と再会し、その弟子になる。

弟子にしてもらった子供は後に父の幼名「石堂丸」を名乗り、父と共に修行に励むことになるが、繁氏(円空)は、生涯、親子であることは石堂丸には伝えなかったという、・・・まさに父子哀話である。


 「苅萱道心行状記」を読み終えて説明板の「瞼の父繁昌」とあるのは、「瞼の父繁氏」の間違いに違いない、と私たちは確信した。とは言え、平成11年5月から変わりなく読み続けられた説明板のこと、ことの真偽は何処に?

「瞼の父繁昌を尋ねて高野山に上ったその子も、父の幼名をついで石堂丸と名づけられたのであった。」
この1行が、説明板の意味を分りにくくしているのではないか、・・・むしろ、この1行を削除してしまった方が、分かりやすいと思うのだが・・・。余計なお節介かも。

                   歴史に疎い者の「歴史探訪記」のお粗末
[PR]
by matutaka31 | 2013-09-21 21:35 | Trackback | Comments(12)

彼岸花

 今日金曜日は、「ひょうたん池」花壇管理ボランティアの日。そして第3金曜日だから、独居高齢者との懇談「せんだん ふれあい会」の日と重なったので、作業1時間半、その後せんだんふれあい会1時間半のダブルヘッダーとなった。
 ひょうたん池の花壇管理は、主として清掃、水遣り、池周りのユリオプスデージ撤去、花菖蒲園の草取り等作業で、のんびりおしゃべりをする暇もない、忙しいひとときであった。
b0008825_217628.jpg

 花壇の花は、そろそろ秋~冬の花への植え替え時期を控え、やや生気がなくなった感があるが、まだたくさん花をつけているので、後一月ばかりこのまま頑張ってもらうことに。


 

 その傍らで、彼岸花がその名のとおり、秋の彼岸を待っていましたとばかり咲き誇っている。
b0008825_21193036.jpg

 彼岸花は、一見綺麗だが、花が咲いたときは葉がないので、美しいとは思わない。
 でも季節の花だから、見ると秋の訪れを感じるし、見ないと寂しいような気になるので、この時期なくてはならない花である。

 彼岸花は別名を曼珠沙華とも言うが、この花は元々、その持っている毒性を利用して「モグラ・ねずみ」等を近寄せないよう田んぼや畑の畦、墓場等に植えられたものである。
 そのためか、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花等、異名も多い。  
 この彼岸花、何故か方々で、いろんな迷信や言い伝えが残っているようだ。
 当方では、「毒があるので屋敷内には植えないほうが良い」が言い伝えられている。
 またある地方では、花の形が燃え盛る炎のように見えることから、家に持って帰ると火事になるとも。


 ところが花言葉は、曼珠沙華、赤い花のイメージからか「情熱」、「独立」、「再会」、「想うはあなた一人」、「また会う日を楽しみに」。

せんだん ふれあい会
b0008825_21282554.jpg
kさんの指導で、座ったまま出来る体操を楽しむ皆さん

 ひょうたん池のせんだんの木下で、お茶を飲みながらの談笑に続き、誰でも簡単に出来る「座ったままの体操等で、約1時間半の楽しい一時を過ごしていただいた。
[PR]
by matutaka31 | 2013-09-20 21:27 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)

川柳

 久しぶりに、思わずニヤッとさせられてしまった。
 ボランティア活動の会合で、これ読んでみませんか!と渡されたのが「第一生命の第26回サラリーマン川柳コンクール傑作300選」。

b0008825_11484037.jpg
 


 頁を開けてみると、「いい夫婦 今ではどうでも いい夫婦」 の句が飛び込んできた。
 今年のコンクールでは、30,490句の応募があり、人気投票では約13万人が参加して、人気投票第1位に選ばれたのがこの作品だそうだ。



 読んでみると、いろんな年代層の作品が次々に・・・ずらり300句。よくもま~面白いアイディアーがあるものだと感心することしきり。
 自分に当てはまるな~と思える句でも、なんだか他人事みたいに思えるから不思議。

 綾小路きみまろの例の「あれから40年・・・」で始まる毒舌漫談でもしかり。
 聞いている多くのおば様たちは、腹を抱えて大笑いする。
 自分のことではなく他人事と思っているから笑えるのだろう・・・。(^_^)
 これで世の中は、マ~ルく収まるのだろう。

 私事ながら、俳句は全く駄目で書けと言われるとアレルギーが・・・、川柳は面白いと思うが、残念ながらセンスもウチワもない。

 ついでに、頂いた冊子の中から、思わずニヤッとする、面白いと思った幾つかを紹介してみよう。

  「辞めてやる!」 会社にいいね!と 返される  元課長   第 3位

  スッピンで プールに入り 子が迷子   アジ           第 6位

  何かをね 忘れたことは 覚えてる    万華鏡         第10位

  我が女房 タッチすれども 作動せず  パソコン8マン      第26位

  生命線 見せたら妻が 不機嫌に   疑問符          第42位


[PR]
by matutaka31 | 2013-09-18 12:02 | Trackback | Comments(6)

楊名時太極拳研修会参加

 今日9月14日、太宰府天満宮余香典で行われた、日本健康太極拳協会福岡県支部の秋季研修会に参加した。
b0008825_20574924.jpg
楊 進 日本健康太極拳協会理事長の挨拶

 160余名の参加者のうち、8割以上とみられるほど、高齢の女性が圧倒的に多い。
 今回の研修会に限らず、太極拳教室に於ける女性の割合は圧倒的に多いが、なぜ太極拳愛好者に女性が多いのか、と言うより何故男性は参加しないのだろうか、と素直な疑問が湧く。

 その答えは、大体想像できるが・・・、さておき、研修会で協会理事長が話題にした日本人の健康寿命について触れてみよう。

 日本人の健康寿命は、 2012年度の厚生労働省の発表によると、男性70.42歳、女性73.62歳である。一方日本人の平均寿命は男性79.55歳、女性86.30歳。
b0008825_21225110.gif
この図はインターネットサイトより借用

 平均寿命と健康寿命の間は、男性で9.13年、女性で12.68年あり、その間は自立した生活が難しい、何らかの介護が必要となる期間である。
 この介護が必要な期間が、途方もなく長いのが現実。これが世界的長寿国日本の実態。

 私が太極拳を始めて丸8年になる。始めてから6年間は周1回、その後2年間は週2回練習を重ねている。
 何故、それほどまでに太極拳なのか。そして1時間半もかけて太宰府まで研修会に出かけるのは?

 その答は、楊 進理事長の講演内容を書けば済むことだけど、やや専門的になるので、ここでは割愛して私個人の思いに留めておこう。
一つは、技をもっと磨きたいから。
 動作の一つ一つが健康にどのような効果をもたらすのかを、もっと理解したいから。
 理論的に納得し、体で覚えることが出来れば、自ずとその技は上達するものだと思っている。

 もう一つは、究極の目的、介護を必要とする期間を出来るだけ短く、できればゼロにしたいから。
 即ち「健康寿命を長くすることに加え、充実した楽しい人生を過ごしたいからである。

 その結果はどうかと問われれば、前者はまだまだであるが、後者は少なくとも現在、年相応に「Yes」と答えておこう。

 さて、今日の研修会の感想は、「参加して良かった」である。
 私は、自分の思い込みが時として基本的な過ちに繋がることを自認しているから、間違った動作を正す良い機会になったと思っている。また動作の一つ一つが持つ意味を、まだ十分消化できていない点も改めて思い知らされ、刺激になってよかったと思っている。
[PR]
by matutaka31 | 2013-09-14 21:29 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

定年後の人生が楽しい

 何をやっているの?と人様に言われるくらい、何かしている毎日。定年後ずっと続いている。
 お陰様で、定年後の第3の人生が最高に楽しい。この恵まれた境遇に感謝!の毎日である。

 何時ものとおり朝のやるべきこと(朝食の準備、新聞通読、パソコン・メール・ブログに目を通す、花壇の水遣り等)を終えた後、趣味、ボランティア、地域活動、太極拳、パソコン等々をこなす。
 日程が予め決められているもの、暇や天候の具合を見ながら思いつきで取り組むもの等その内容は日によって異なるが、忙しい日々の中身は、大同小異。

 中にはこんな日もあった。9月のある日のこと。

b0008825_20493610.jpg
午前中は菜園で秋野菜作り作業。
 菜園仲間3人も時機到来とばかり、早朝から作業をしていた。
 一息ついて、気の置けない菜園仲間達と雑談・・・
 話題はとりとめのない明るい世間話で心が和む一時。


一汗かいて、シャワーですっきり。体を動かした後の昼食は美味しい。

b0008825_20522033.jpg
午後、気になっていた長編アニメ映画「風立ちぬ」を仲間と観賞。
 宮崎駿の最後の作品だから、そしてゼロ戦開発のストーリーだったから、是非見ておきたかった。




b0008825_2132981.jpg
その足で、「九州市民大学」へ。
 演題は、ピアニスト仲道郁代の「ショパン その人生と悲しみの旋律をひもといて」
 母国ポーランドを出てから一度も帰ることがなかったショパンの39歳の生涯と祖国ポーランドへの思いを解説とピアノ演奏で、1時間30分を過ごす。


b0008825_21261176.jpg
終わってから、行きつけの居酒屋で。
 同行の仲間と、尽きない話題で時間が経つのを忘れる、楽しい一時を過ごす。


 


 気の置けない仲間、価値観が同じ仲間、そして話題を共有できる仲間、そんな得難い良い仲間と過ごす充実の一日であった。

 欲張り!と言われるかもしれないが、私にとっては、お陰様で、このような「幸せ」そして「感謝」の日が続く。

 私に必要なものは、過去ではない。今、そして明日、これから先の毎日をどう過ごすかが大切なのだ。
それには健康でなければならない。

[PR]
by matutaka31 | 2013-09-11 22:22 | 思いのまま | Trackback | Comments(4)

小学6年生に被爆体験を語る

 先日、市内の小学校における平和学習で、6年生を対象に、長崎での被爆体験の話をしてきた。
 
b0008825_21281512.jpg
某小学校体育館での平和学習

  今の小学生にとって68年前の出来事は、大人が感じるより遥かに大昔の出来事に映るらしい。
 だから先生の話やテレビ等で入ってくる情報は、歴史の一コマとして理解するが、現在と戦争当時とはあまりにも生活環境が違いすぎるので、なかなか実感が伴わないらしい。

 それもその筈、戦争時代を全く経験していない両親や学校の先生に囲まれて、平和な世界しか見ていないのだから、原爆の被害が如何に悲惨なものだったを理解するのが難しいのは当然だろう。

 そこで私は、実際に私が体験した事実を中心に(私の原爆体験)、ありのまま生徒に伝えることにしている。
 そのことが私達語り部としての役割だと思っているから。

 すると、聞いている生徒の目が輝きだす。
 その眼差しは私を感動させるし、遣り甲斐と勇気を与えてくれる。 

 私が原爆被害に遭ったのは今の小学5年生と同じ年頃の10歳だったので、その頃の学校ではどうだったか、食べ物や身につけるものはどうだったなど、終戦前後の時代の様子を今と比べて話すと、戦争時代と平和な時代との比較ができ、平和の尊さが理解できるのではないかと思って話をしている。

 話の中で気を遣うのは、戦争時代を体験している私達には当たり前のように通じる言葉・用語であっても、今の子供達には何のことが分らないことが多いので、言葉を選ばなければならないことである。



 
[PR]
by matutaka31 | 2013-09-08 23:49 | Trackback | Comments(14)

秋野菜の季節がやってきた

 早いものでもう9月、我が菜園では、秋野菜作りの時期到来。
 農耕民族の出番だ!

 8月の高温と日照り続きで畑の掘り起こしや肥料を入れる作業が出来なくて困っていたところに、月末に惠の雨どころか、1週間も降り続く梅雨顔負けの長雨になってしまった。
 このままだと野菜の種蒔き適期を逃してしまうので、畑の準備が出来るまでの時間稼ぎに、とりあえず白菜・キャベツ・キュウリの苗をポットで作ることにした。

b0008825_17525290.jpgb0008825_1753711.jpg

 発芽後の生育が悪いと困るので、少し多めに種を播き、生育状況を見ながら1~2本だけ残して畑に移植することにしている。

 白菜はこの後、収穫時期をずらすため、晩成種(85日収穫)を、10日過ぎに種蒔きする予定。
 この地域では、彼岸の頃までが播種適期とされているので、この後彼岸が過ぎる頃までに、春菊・ミズ菜・レタス・ほうれん草・ターサイ・じゃが芋等思いつくものを、畑の準備が出来次第順次植える予定。

  何れにしても9月が秋野菜作りの勝負の時。 
  天気を見ながら、やきもきする忙しい日が続きそう。でも、どう転んでも趣味の世界のこと。
  専業農家はさぞ気をもむ時期だろう。

  夏から引き続いて育っているのが、ナス。
  夏の水遣り効果と思うが、元気に育っている。秋茄子が楽しみ。
b0008825_18154974.jpg

 去年失敗した黒大豆を今年も性懲りもなく挑戦中。今のところ順調だが、問題はこれからの水遣り如何に掛かっている。適度な雨を期待するのみ、と言えば・・・なんと主体性がないようにも聴こえそう・・・。
b0008825_18174726.jpg

 畑の端には、季節到来を喜ぶように、ウコンとニラの花が咲いていた。(左がウコン、右はニラ)
b0008825_21115130.jpgb0008825_21121473.jpg 








 





 
[PR]
by matutaka31 | 2013-09-05 18:17 | 思いのまま | Trackback | Comments(10)

今水戸から笠間へ向かって

インターネット バーチャル「日本一周歩こう会」、ただ今茨城県水戸市から笠間へ向かっている。
b0008825_23464040.jpg


 水戸と言えば偕楽園、何度か訪れたことがある。
 水戸から笠間そして栃木県益子への道は、東京在住の頃、毎年、春の陶器市に通った懐かしい街道でもある。
 焼き物にそれ程興味があったわけではないが、益子焼には不思議な魅力があり、何回行ったことか。そしてその途中の笠間焼市にも。
b0008825_23471667.jpg

 8月の歩いた距離は155km、一日平均5,0kmで、なんとか目標を達成した。
 異常な暑さで、つい歩くのをためらいがちだったので目標達成は無理だろうと思っていたが、仲間との歴史探訪で街歩きを重ねたのが5km/日の目標達成につながり、よかった。
 やはり目標を持つのはいいことだ。

 8月末で、日本一周8,955kmの56%にあたる4,994km歩いたことになり、残り距離は3,961km。
 ゴールまで、後2年以上かかる。
 でも、花のお江戸はそう遠くない。
 長年住み慣れたお江戸、数々の想い出が詰まっているお江戸とその周辺、しばらくはいろんな想い出に浸りながら、せっせと歩くことにしよう。

 
[PR]
by matutaka31 | 2013-09-02 23:51 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)