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蓮の花に癒される

 昨日、被爆者の会の不定期発行新聞(折鶴会だより)の編集(校正)に続きホームページの更新で、4時間近く活字とにらめっこのボランティア作業が続いた。
 作業を続ける意欲はあっても、酸素不足になった老脳が“この辺りが潮時だ”とシグナルを送るので、さっさと作業を止めて帰ることに。

 帰り道、天神に出るため最寄路線のバスに乗ったのものの、脳に命じられるまま、福岡城址の堀に咲く蓮の花を見たくなって堀端の停留所でバスを降りた。

 小雨そぼ降る中、堀端を蓮の花を眺めながらのんびり歩くうち、透けるようなピンク色の蓮の花に脳も体も癒されていく。緊張の後の安らぎを実感!
やはり私は、自然と無縁の環境では生きられない動物のようだ。

 堀に咲いていた蓮の花
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透けるようなピンク色の花びらがまぶしい


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今にも弾けそうな・・・


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“ちょっとどいておくれよ”と言いたげな・・・、窮屈そうだけど控えめに


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子孫を残す大役を終えた安堵感?が・・・

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by matutaka31 | 2015-08-30 09:20 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

台風15号の爪あと

 台風15号は8月25日、熊本に上陸、その後福岡を縦断するように北上し日本海に抜けた。
 我家や周辺の家屋では大きな被害は見当たらなかったが、大切な家庭菜園はかなりの被害を被ってしまった。
 事前に支柱の補強等可能な限りの台風対策は施していたが、台風が近づくにつれ直撃は避けられない状況になった時点で、ある程度の被害は避けられないと覚悟していた。
 予想していたこととは言え、小規模な家庭菜園でさえこれほどの被害を受けるのだから、自然の脅威にさらされる農業の厳しさを、改めて痛感させられる。

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略90度近く横倒しになったゴーヤの棚


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固定していた紐が切れてしまったナスの枝
強剪定の時期が来ているので、この際倒れた枝を切ってしまう


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支柱ごとなぎ倒されたオクラ


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伸びた枝が絡み合っているフルーツトマト
支柱はしっかりしているので、このまま回復を待つことに。


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このところ降ったり照ったり、機構が不安定なため割れてしまったフルーツトマト
こうなると味が落ち、食べ物にならないので放置する羽目に。

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葉が吹きちぎられ、スマートになってしまった黒豆
風に弱い黒豆だから、念入りに補ていしていたが・・・。


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何とか持ちこたえているヤーコンと後方の里芋

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by matutaka31 | 2015-08-26 09:53 | 思いのまま | Trackback | Comments(10)

リコリスの花が咲いた

 もう!と言おうか、早リコリス(彼岸花の一種)が近くのひょうたん池で咲いた。
 普通見かける彼岸花より一足早く咲くこの花を見ると、いわゆる処暑も過ぎたので、もう秋が来たな~と実感する。
 
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アップするとこんな具合
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彼岸花の一種だが、花の形はよく観ると大分異なる。

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普通見かける彼岸花(まんじゅしゃげ)は赤色で、花びらが丸く回り込んでいるのが特徴
この辺りでは9月になると、田んぼの畦道に咲き、道行く人の目を楽しませてくれる。
暑い!暑い!と言っている間に、秋はもうすぐそこまできている。


一寸気になるこの花、花言葉を調べてみた。 「再会」の他、「遠い思い出」、「悲しい思い出」、「
想うはあなた一人」、「・また会う日を楽しみに」などの花言葉がある。何故このような花言葉になるのか知る由もない。
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by matutaka31 | 2015-08-24 06:23 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

ジュランタの花

 8月は連日の猛暑に加えメディアも私の頭も、戦争・原爆のことを話題その話題で熱くなってしまう。
ところがここ2~3日雨が降り、ほっと一息!
 それまでゆっくり庭を眺める気分になれなかったのに何気なく居間から庭を眺めると、窓の向こうに、自身の存在を顕示するかのように鮮やかな紫色の「ジュランタ」の花が咲いている。
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垂れ下がる花茎に房状に紫の花が咲く、 緑の葉が雨にぬれて一層鮮やかに映る。


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この「ジュランタ」(標準和名はハリマツリで、そのほかにタイワンレンギョウの別名がある)
熱帯アメリカ~ブラジル ・西インド諸島に分布する熱帯性花木で、30種知られているという。
花びらが白く縁取られているのは「タカラズカ」と云われ、日本ではこの種が多いという。


 花が咲く時期は本によっては7~9月と書いてあるが、我が家では7月~11月と比較的長く咲くので、貴重な存在である。

 一昨年挿し木した苗を、昨年仲間の家に養子に出した。
 その苗が大切に育てられ、「こんなに立派になりました」と先日、挨拶がてらに写真で里帰りをした。
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写真で里帰りをしたジュランタ「タカラズカ」

 葉の緑色と縁どりの紫の花のコントラストも鮮やかで、大切に育てられている様子が伺える。
 里親は、大好きな緑の葉と紫色の花に、毎日癒されています・・・とのコメントが。
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by matutaka31 | 2015-08-20 10:07 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

インターネットが取り持つ「70年目の出会い」

「70年目の出会いに感謝」のタイトルで書かれた記事が載った2015年8月9日M新聞長崎版が、手元に届いた。

 長崎の長与という町(当時は村)の同じ場所で被爆した2人が、インターネットを通じて70年目にして出会う、という記事である。 2人とは、長崎在住のM・Yさんと私自身のこと。

 新聞記事をそのままご紹介すれば前置きは必要ないのであるが、転載は差しさわりがあるうえプライバシーを大切にしているブログの手前、実名・年齢等は省くことにして、新聞そのもの様子を写真で見てもらうことにした。

 今年2月にM・Yさんから私に1通のメールが届いた。
そのメールには、こう記してあった。  
「被爆体験拝読させていただき驚きました。私が被爆した場所での被爆体験談でした。 原爆落下中心地から4.8㎞(私の被爆者手帳記載距離)離れた場所ででもほんとにこんな恐ろしいことが起きたんだと改めて胸に刻みました。
 2歳の時私は長与村駅前に住んでいました。私が飛行機の爆音にひどく怯えていたことと、被爆後、家族の中で私だけが髪の毛が抜けて食べ物を受け付けずに日に日に弱り鍼灸施術を頭にしてもらい九死に一生を得たことなどの話は母から何度も聞いていました。 しかし、被爆の瞬間の様子は何もわかりませんでした。 両親が生きている内にもっと詳しく聞いておけばよかったとずっと後悔しておりました。
 拝読して子や孫へ語るのに少し自信がついたように思います。ありがとうございました。」

 このメールを私は、自身のホームページ「戦争・被爆体験を語り継ごう」に紹介している。

 M・Yさんは45歳になって被爆の継承活動に力を入れてきたが、「私には語れる記憶がない」というジレンマがあったという。そんな時何気なくインターネットで自分が被爆した「地名」と「被爆」を検索したところ、M・Yさんの自宅すぐ側で被爆したという私のホームページ「私の原爆体験」に出会ったという。

 M・Yさんの活動を取材していたM新聞の記者がこのことを聞いたのがきっかけで、双方を取材して記事にしたのが冒頭のタイトルである。

 まず新聞記事の書き出しをそっくり引用しよう。(氏名はイニシヤルに書き換え)
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これが私の被爆の証だー。被爆記憶がほとんどない長崎市のM・Yさんは今年2月、自身のすぐ近くで被爆した福岡市のT・Mさんの体験記を発見し、周りで何が起きたのかを初めて知った。記憶がないことが悩みだったが、「これでようやく子や孫たちに語り継ぐことができる」。70年目の出会いに感謝し、新たな一歩を踏み出した。   
 
                   記事の写→

  更に、「旧国鉄長与駅で被爆した男性(私)の体験談を発見し、読んだ瞬間に取りはだが立った」とも。その時M・Yさんが直感したのが、冒頭の「これが私の被爆の証だー。」

 被爆体験を次世代につなぐ活動をされているM・Yさんは、私のホームページとの出会いで、今、「自分の被爆体験を纏め始めた」、と記事に書いてある。

 私自身も被爆の記憶が、所々途切れている。でもこの方との出会いで私は、「自分が覚えている限りの体験は語り継ごう」と決意を新たにしたのは言うまでもない。
 取材してくれたm新聞の記者さんに感謝!
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by matutaka31 | 2015-08-15 21:32 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

被爆70周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加

 被爆70年目を迎えた8月9日、今年も「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参加するため、思いを同じくする仲間と長崎市を訪れた。 2005年以降10回目の自費参加。

 この日、長崎の空は70年前のこの日を思い出すような青空が広がり、じりじりと照りつける猛烈な暑さが会場を包んでいた。
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入り口で足止めされた人々 満員の立て札が恨めしい!

 今年は、被爆70年目の節目の年に日曜日が重なったこともあり、開会30分前くらいに会場に到着した時、既に満員で入場口に近づくことさえ出来ない程大勢の参列者が会場の平和公園を埋め尽くしていた。混雑の中を潜り抜けるように会場を目指したが、「平和の鐘」の側までたどり着くのがやっとで、会場の中の様子が見えるところまで行き着くことは出来なかった。
 こんな大勢の人が集まったのはこれまでになかったこと。会場に入れなかった大勢の人は、汗だくだくで、着ているものがびっしょり濡れるのをじっと耐え、式典の成り行きを見守っていた。
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会場の外にあふれた人々  強い日差しの中じっと耐えている  正面のテントが会場


 11時2分、「長崎の鐘」に合わせて、参加者全員が1分間の黙祷を捧げた。
 70年前の被爆の瞬間が、つい昨日の出来事のように鮮明に思い出され、今、自分が立っている地面の下には多くの犠牲者の魂が眠っているのかと思うと、改めて・原爆の残虐性・非人間性を思い起こす。

 長崎の原爆死没者名簿登載者数は、この1年間に3,373人増え、合計168,767人に達した。
 被爆者の平均年齢は80歳を超え、被爆体験を語り継ぐ人たちは年々減少していくさまが、会場に集まった人々の風貌からも伺え、原爆の悲惨さが風化していくことへの危機感を切実に感じる。 しかしながら、一方では、若年層の参加者が目立つようになり、恒久平和を願う若者が増えていることへの期待と安堵感も膨らむ。

 長崎市長は「平和宣言」で、世界で唯一の被爆体験国としての思いを込め、「戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります」と、危機感を表し、被爆の記憶を語り継ぐ必要性を強調した。また、 「私達一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かすのです」と。
 更に今国会で審議されて安全保障関連法案については「70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています・・・・英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うよう求めます」と述べ、大きな拍手がうねりのように会場の内外に広がった。宣言終了後も、拍手は鳴り止まず、祈念式典は、平和を望む人々の熱い思いに包まれた。

 被爆者代表の谷口稜曄さんは「平和への誓い」の中で、「たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなり、たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で多くの被爆者がいのちを落としました」と原爆の悲惨さを訴え、「核兵器禁止条約の早期実現に、被爆国である日本は、世界のリーダーとして先頭に立つ義務があるのに、その役割を果たしているのでしょうか」と、不満・疑問を投げかけ、満場の拍手に包まれた。

 それに引き換え安倍総理の挨拶は、広島市では触れなかった「非核3原則」を急遽盛り込んだものの、何時ものとおり美辞麗句の羅列で、現政権の姿勢とは相容れない空ろな内容に思え、心に響くものは何もなかった。儀礼的な拍手が瞬間起きただけで、「平和宣言」と「平和への誓い」の時とは対照的であったことを見ても、そのことが伺える。場内に入れなかった何百人もの参列者は、拍手することもなく、政権への不満を顕にしていたのが印象的だった。
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式典終了後、やっと祭壇に近づき、お参りすることが出来た


 今では原爆の惨禍を想像する事さえ出来ないほど綺麗に整備された爆心地の地下に、今なお眠る多くの御霊に、「安らかにお眠りください」と哀悼の誠を捧げて会場を後にした。

 式典終了後私たちは毎年、被爆関連施設を訪ねることにしている。
 今年は「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」を訪ねたが、そのことは別の機会に譲ることにしよう。

 
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by matutaka31 | 2015-08-12 07:17 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

車検

 普通自動車免許取得とマイカー保有歴が、今年で53年になる。
 思えば良くぞここまで、無事故見違反とは言わないが、マイカーの運転が続けられたものだ。その間、中古・新車を含めて何台買い換えたことか。

 2年1度廻ってくる車検を、先日受けた。購入して9年目になる。
 周りの目は、そろそろ免許返上しては?、と言わぬばかり。 でも私はその気はない。

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点検・整備を待つ

 
 車検の度に思うのは、車検費が高いことと、制度への不満である。
 車の安全確保対策だから、致し方ないと思うけど、それにしても高い。
 その費用は、〆て110,000円。
  内訳: ①法定費用 53,540円
           (重量税 24,600円、 自賠責保険料 27,840円、 印紙代等1,100円)
       ②整備費用 46,740円
       ③検査手続き代行料 9,720円 
         ※①は国に支払い、②③は民間車検業者に支払う。

 
 もう一つ私が車検の度に不満に思うのは、車を保有すればその利用状況に関わらず、新車は取得後3年目、その後は2年毎に必ず車検を受けなければならない制度そのものである。
 保安基準に適合しているかを確認する観点で考えると、今の日本の車の性能ははるかに良くなっているのに、何時までも同じ基準で2年毎に行う必要があるのかと言う点である。

 例えば、年間5千km走行の車と5万km走行の車とでは、車の保安基準は大きく異なるのに、一律に2年毎に車検を義務つけていることである。  
 日本の車は世界のトップクラスの性能に進化しているのに加えて、車の利用形態も多様化しているのに、制度は旧態依然として一律に2年毎の車検を義務つけているところに大きな矛盾を感じる。
 車の走行度合いに応じた、車検制度を望むものである。



 
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by matutaka31 | 2015-08-08 11:31 | 思いのまま | Trackback | Comments(8)

菜園の草刈り

 「菜園の草を刈る」と言えば、畑の周りに茂った草を刈る、と多くの方は思われるだろう。
 ところが我が菜園では恥ずかしながら、正真正銘「畑の草刈り」なのだ。
 
 昨年、家庭菜園が雑草軍団に一方的に攻め込まれ、荒れ地か菜園か見分けがつかない有様に成り果てて、鎌で草を取ることは畑で討ち死にするようなもの、と「草刈機」を買った。 その草刈り機が、今年も遺憾なく威力を発揮する羽目に。
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去年買った草刈り機、今年も出番がやってきた


 雑草は 小さいうちに引き抜いていればいいものを・・・と言われることは分かってはいるし、大体そうしているつもりなのだが。
 ところが、6~8月だけは、事情が変わってしまう。
 春から夏の野菜を作っている所は念入りに手入れをするのだが、秋から冬にかけて野菜を作る休耕地は、放置するすることになってしまう。その間隙を見透かすように雑草は、機嫌よく伸び放題になってしまう。
 気がついたときはもう、鎌で刈るには命がけになるので、草刈り機に頼ることに・・・。無精者の私には、自業自得そのもの。

 それでも野菜作りが楽しいから、良いんだ。
 地主さんや周りの人達には少し不満かもしれないが・・・。 
  
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by matutaka31 | 2015-08-05 22:49 | 思いのまま | Trackback | Comments(4)

7月に歩いた距離

 7月に歩いた距離は、長い梅雨の影響もあってか、143kmに終わり、一日平均4.6kmと目標の5kmを下回ってしまった。
 
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 目標を下回ったことは、いろんな条件が重なったため「仕方がない」と思ったのが原因で、気の緩みから出た結果に他ならない。
 何事もそうだが、目標を意識しなくなったら、気力が減退ししてしまうものだ。
 心しておこう!

 インターネットバーチャル「日本一周歩こう会」の記録では、7月末現在、熊本市手前4kmの地点に来ている。
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 熊本と言えば、公私共に、思い出がいっぱい詰まっている所。
 書けばきりがないので、8月に通り過ぎる「田原坂」のことに触れてみよう。

 田原坂と言えば西南戦争で、官軍と薩摩軍が17昼夜(明治10年3月4日~3月20日)に及ぶ激戦を繰り返したところで、双方で1万4千余名の戦没者を数える過酷で悲惨な戦闘だったという。
 奇しくも私は6年前の9月(2009.9)、田原坂を訪れた。
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戦没者慰霊碑

 戦没者慰霊碑の前に立ったとき私は、今までに経験したことがないほどの「鳥肌」がたち、気持ちが悪くなってしまったことを思い出す。その時傍にいた家内と案内してくれた人も驚くほどの鳥肌が・・・、その地に眠る戦士の霊を感じたのかも知れない?
 案内人は、この地に立つと霊感を感じて、いたたまれず引き返す人もいるくらいだと言っていた。
 当時のブログ「田原坂を訪ねる」 に、そのことを記している。

 いろんな想い出に耽りながら、暑い道のりだが、熊本の旅を楽しむことにしよう。

 

 
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by matutaka31 | 2015-08-02 21:40 | Trackback | Comments(6)