あまりにも急なことで、寂しさを越えて言葉がない。
11月26日のパソコン教室で、いつものとおり、健康談義の後年賀状の作り方を復習し、次回12月24日の勉強会の再会を約して別れたばかりだった。
その後彼にしては珍しく、ブログのアップが途絶え、私のブログへのコメントも途絶えた。
虫の知らせと言うのか、気になって携帯に電話をした。
電話口に出たのは、意外に奥さんだった。奥さんと携帯を共有する人ではないことは、長年の付き合いで分っていたから。
急性肺炎で緊急入院中との事だった。
しかも家族でさえ簡単に面会できない状況だと、知らされ唖然とした。
2週間あまり前、仲間同士のパソコン教室で出会い、何時もと同じように元気な振る舞いだっただけに、にわかには信じがたいことだった。
面会に行けず、せめて電話で励ましたいと思ったが、それも叶わず、只々、治療効果を期待するしかなかった。
その3日後奥さんから、他界の知らせがあった。
何とむなしいことか。
見舞いも励ましの会話もできなかったので、今でも信じ難いこと。
大切な無二の親友を失ってしまった寂しさは言葉にならない。
痛恨の極みに心が痛む。
職場の同期で担当部署が異なっていたので机を並べることはなかったが、お互い励まし助け合いながら、高度経済成長期の難題に取り組み、企業戦士として青春時代を過ごした仲間だった。
退職後もその親交は続き、家庭菜園、ウォーキング、釣り、山登り、そしてパソコンと、常に同じ趣味の世界を楽しく過ごしてきた。
糸島の離れ小島のコブ島の磯釣りに何度通ったことか、彼と共に過ごした退職後の話は尽きない。
好きなお酒を酌み交わし、楽しい一時を過ごしたのも、今となっては楽しい思い出になってしまった。
その酒席で彼はいつも、「これまでお酒も飲みたいだけ飲んだし、釣りもたっぷり楽しんだ。これからは規模を縮小して家庭菜園をじっくり楽しもう!と、いつも愉快に語っていた。
とりわけ健康には気を遣い、生活習慣にはかなり気配りをしていたようだが、7年前にペースメーカーを入れる手術で健康を取り戻し、意気軒高そのものだったのに、・・・。
それなのに彼の体に何が起きたのか、歳には抗えない身体の不調があったのだろう、と考えるしかない。
人には個人差こそあれ、言わずと知れた寿命がある。
それは何時か、誰も予測できない。
しかしながら思いとは別にその日が突然やってくることがある。まさに彼にぴったりの出来事のように思えてならない。
岡本希八朗さん ご家族はじめ周りの人に迷惑をかけることもなく、大往生されたことはご立派でした。
長い間、お付き合いいただいたことに、心から感謝いたします。
どうぞ安らかにおやすみください。
合掌