花見の楽しみ方も変わってきた

 花見の楽しみ方も年ともに変わるものだと、最近気づいている。

若い頃の花見と言えば、もっぱら職場の同僚と「花より団子」のタイプだった。

花を見るより酒にカラオケそして仕事上の話題を、いつまでも繰り返し、終わってみれば千鳥足でみている方がハラハラするような始末で、花を観て楽しむどころではなかった。

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時代は移り定年後は、しばらく同じ職場のOB会の花見が続いた。
酒がまわるにつれ現職時代の気分に戻ってしまうのか、話題は現職の頃の自慢話が主で、中にはかつての後輩に向かって・・君呼ばわりする空気の読めない人までも出てくる始末。
定年後も後輩を君呼ばわりしたり、自慢話に終始するような宴会はだんだん白けてくる。
そんな面白くない花見の宴は、もう卒業した。

 そんなグループより私には、「今」が大切なのだ。
 だから私はOB会や同窓会には関心が薄らいできたが、中学の同級会や小学校時代の集まりは、ごく自然に童心に帰れるので、喜んで参加することにしている。
さらに、ボランティアや趣味の活動など思いを同じくする仲間との触れ合いは、心から楽しめるし、私の人生を豊かにしてくれるから、よほどのことがない限り喜んで参加する。

 時にはデジカメ片手に、仲間と気楽にのんびり桜の開花状況を眺めたり、周りの自然や建物の調和を語り合ったり、咲き具合や木の枝ぶりなどを観て楽しむなど、桜の花を舞台にした雰囲気を楽しむ花見に変わっている自分に気が付く。

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 私は桜の花が、殊の外好き!
 よく日本人が桜を好む理由に「パッと咲いてパッと散る潔さ」が挙げられるが、私はそんな感傷的にはなれない。
桜が好きな特別な理由はないが、桜の花を見ると、どの花を見たときよりも心が和むのを感じてしまう。
ほころび始めた蕾、そしてびっしり咲いた満開の花を見ると、木全体から湧き出ずるエネルギーみたいなものを感じるのだろうか、世間の煩わしさや心の中に何かしら気になっていることもすべて忘れさせてくれる不思議な力を持っている。
 日本で栽培されている桜の品種は、およそ380種もあるという。
 そのうち知っている品種は、わずか数品種。
 しかも確実にその品種を言い当てる自信はない。

 私はとにかく桜の花を見ると元気が出るので、笑われるかもしれないが限られた期間内に、出来るだけ多く花見をすることにしている。
 今年の桜は、今年の仲間と一緒でしか観れないのだ。
来年は今年とは違った花見になる。だから今年の花見は今年中に、存分に味わっておきたいのだ。
だから機会あるごとに、今年しかできない花見を楽しむんでいる。

 小倉城を舞台にした歴史探訪を兼ねた仲間との花見から始まり、ボランティアグループの花見、中学時代の同級生との花見、桜の品種を見比べながらその咲き具合や枝ぶりを観賞しながらの舞鶴公園の花見などなど・・・。
まだ満開になったばかり、まだ楽しみが残っている。


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# by matutaka31 | 2017-04-07 21:37 | Trackback | Comments(9)

3月のウォーキング

 3月は春の訪れを待ちわびる期待を期待を裏切るかのような底冷えする荒れた天気が続き、ウォーキングにブレーキがかかりそうな日が多かったが、歩くのを一日でも休むとなんだかんだ理由を見つけてずる休みが続きそうになるので、なるだけ休まないようにしたつもり。

 3月に歩いた距離は133㎞、一日平均4.2㎞
      (目標の4㎞をやっとクリアー)


 「インターネットバーチャル日本一周歩こう会」の記録は今、襟裳岬から日高の海岸沿いを苫小牧に向かって歩いている。

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 襟裳岬から苫小牧までは、192㎞。 なんと北海道は広いことか。

 この地区は私の知る限り、人口の少ない地域で、札幌在住の間も釣り以外はあまり訪れたことがなく、印象に残っていることは少ない。
 強いて言えば、学生の頃夏休みに北海道を約1カ月間旅した時、静内にあった農林水産省新冠種畜牧場で牧場体験をさせてもらった貴重な経験がある。それももう半世紀以上の昔の思い出。
 今はどうなっているのだろう。牧場の入り口から事務所まで長~い道路があって、牧場の広さに圧倒されたことをつい最近のように思い出す。

 福岡は、桜の満開が例年より1週間以上遅れて、明日あたりやっと満開と予想されている。
 ウォーキングに最も適したシーズン到来、これからも力まないで、楽しみながら歩き続けよう。
               

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# by matutaka31 | 2017-04-04 21:33 | Trackback | Comments(9)

仲良し猫ちゃんのお出迎え

ボランティアの帰りに立ち寄った、とあるお寺の境内で・・・・
猫はあまり好きではないが、物怖じしないごく自然な振る舞いに、思わず心が和んでしまった。

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みんな揃って、「いらっしゃいませ!」

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# by matutaka31 | 2017-04-01 10:36 | 思いのまま | Trackback | Comments(10)

少し早すぎた

 福岡の開花予想日22日をもとに、1週間後の29日の満開を予想して仲間と計画した小倉城花見は、気候のいたずらで、見事にタイミングを狂わされてしまった。104.png
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天守閣の周りが桜の花で囲まれる小倉城をイメージして行ったのだが・・・・


 映像では度々目にする小倉城だが、北九州市は度々訪れていながら何故か小倉城を訪ねる機会がなかったので、一度は行ってみたかった場所の一つ。
 桜の名所でもあるのでこの時期を選んだのだが、平年より開花が遅れて、桜の花はまだ咲き始めたばかり。

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堀端でちらほら咲き始めた桜、満開は4~5日後だろうか。


 小枝の先で咲き始めた花や木の幹から可憐な蕾を出している生命力の素晴らしさを感じながら、気持を小倉城見物に切り替え、その築城以降の歴史を改めて知ることが出来た。
 北九州市の歴史・観光への取り組みの素晴らしさを目の当たりにし、市民の誇りになっているに違いない、素晴らしい環境整備に感心させられてしまった。
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天守閣よりの眺望、勝山公園一帯から小文字山方面を望む


 この小倉城の雄姿を見ながら、今も残る立派な福岡城址に何故天守閣が復元されないのかと、日ごろからもやもやする福岡市政に対する気持ちが、怒りに似たものに膨らむのを覚えてしまった。


松本清張記念館
 ここも一度訪れたかった場所の一つ。

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 まだ若い頃私は、松本清張の小説「点と線」の舞台になった香椎の海岸や香椎駅に近いところに住んだことがあってか、松本清張には関心があり、是非一度見ておきたかったのが実現できて大満足。!!
 清張の幼少時代から82歳でこの世を去るまでの足跡が記録され、まさに見応えのある内容が盛り沢山で、松本清張の業績の偉大さに圧倒されてしまい、時間が経つのを忘れてしまっていた。

小倉城庭園
城主小笠原氏の別邸であった下屋敷跡を復元したところ。
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庭園から眺める小倉城

 花見は今一つだったが、それにも勝る小倉城、松本清張記念館、そしてこの小倉城庭園を訪れることが出来たので、十分心が満たされるひと時だった。むしろ桜の花が少なかっただけこの3つの施設見学に十分時間を割くことが出来ので、かえって良かったのだと思っている。


元気でいろんなところへ出かけることが出来る幸せを、身に染みて感じた一日に感謝!





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# by matutaka31 | 2017-03-30 11:11 | 思いのまま | Trackback | Comments(4)

菜の花畑

 私の家庭菜園は今、菜の花畑になっている。

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 通り過ぎる人も菜園仲間の連中もこぞって、私の菜園の菜の花を見て、綺麗ですねと喜んでくれる。
調子に乗って私も、どうぞ春の風物詩「菜の花」をゆっくり楽しんでください・・・と愛想を振りまいている。

ターサイの花
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 畑の近くの奥さんに、菜の花をみて「種を取るんですか」と言われてしまった。
「かなり野菜に詳しい人」と思ったので、ジョークのつもりで「きれいな花を皆さんに楽しんでもらうために、こうやって花を咲かせているんですよ」と冗談で返した。

 すると奥さんは「綺麗ですね・・・ところでこの花は何の花ですか」と??。
 さりげなく、「菜の花です」と答えるとけげんそうに、「菜の花ですか」ときた。
 すると、少し離れたところにブロッコリーの花が咲いているのを見て、「あれは何の花ですか」と。

                     ブロッコリーの花

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「あれも菜の花です」と言ったものの、奥さんはけげんそうな顔をする。
 もう少し説明しないと答えにならないと思い、とっさにアブラナ科の名前を思い出さず「十字花科植物」はみんな「菜の花」と言うんですよと言ったところ、奥さんは「ジュウジカって、あの十字架?」と、一層不思議そうな顔をされる。
  相手の知識の度合いを推しはかりながら説明するのは難しい・・・。003.gif

(子供の頃、4枚の花弁が十字架のように見えることから、十字花科と教わってきたので、つい今でも十字花植物と言ってしまう。)(十字花植物の呼び名は誤りではないのだが・・・)

 さて菜の花(なのはな)はアブラナ(油菜)科アブラナ属の花の総称であるが、一般的には油を搾る菜種の花を「菜の花」と言い、主として花を食するものを「菜花」と使い分けているのが通例。

 菜花の花

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 さて3月に入ると冬野菜は一斉にトウが立ち食用にならなくなるので、どの家庭菜園も春夏作物の植え付け準備のために引き抜いてしまうので畑の眺めは殺風景になる時期だけに、この黄色い菜の花は遠くからも目立ち、畑の側を通る多くの人も多分心が和んでいるのではないかと、内心勝手に想像している。

 ところが実のところ、作った野菜が消費しきれずに残ったものを、抜き取らずそのまま放置していたため花が咲いてしまっただけのこと。003.gif

 その結果を皆さんが喜んでくれているのだが、そんなことがあっても良いのではないかと、自分に都合のいいように考えている。
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# by matutaka31 | 2017-03-25 20:36 | 思いのまま | Trackback | Comments(6)

歌は心を和ませる

 九州市民大学3月講演は、作曲家青島広志氏による「日本の歌を見直しましょう!」

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青島広志氏は、作曲家であるばかりでなくピアニストや指揮者としても活躍中で、最近ではコンサートやイベントのプロデュースも数多く手掛けている、知る人ぞ知る音楽家。

 



 
 講演は「お話とピアノ青島広志」、「テノール小野つとむ」両氏のコンビで進められたが、青島広志氏のユーモアたっぷりでテンポの良い解説とピアノ演奏、そして小野つとむ氏の澄み切ったきれいな歌声でで、日本の歌を心行くまで楽しむことができた。

 受講生はほとんどシニア。
子供のころから親しんで来た「花」に始まり、「早春賦」「春が来た」「村祭り」と懐かしい歌が、青島氏の流暢な話(立て板に水)でテンポよく紹介される。

会場を埋め尽くした人たちも、つい誘われるように声を上げて一緒に歌う。ある時は手拍子で、ある時は身振り手振りで。私もついつられて歌って楽しんだ。音痴だけど周りの声に消されてしまうので、全然気にならない。
そんな和やかな雰囲気で講演が進む。


 歌とトークで紹介された歌は「村祭」「ゆき」「からたちの花」「待ちぼうけ」、時代は変わり「高原列車は行く」「いぬのおまわりさん」と続く・・・、この辺りまでは、ごく自然に口ずさみたくなる歌だが、その後の時代の作「鉄腕アトム」「手のひらを太陽に」「さんぽ」辺りになると、知らないわけではないが進んで口づさむ程の親しみはない。
まさに歌は世につれ・・・で、時の移り変わりを否が応でも実感させられてしまう。


 日頃音痴と言うより音楽無知を自認する私だが、今まで全く知らなかったと言うより気が付かなかったことを聞かされ、改めて音楽無知を思い知らされたことを一つ紹介しよう。、

それは、「早春賦」と「知床旅情」がモーツアルトの「春への憧れ」に似ているという話題。

 モーツアルトの「春への憧れ」は記憶にないが、「早春賦」と「知床旅情」はもう何回聞いたか分からないくらい耳に残っている歌。

 中田章作曲、吉丸一昌詩の「早春賦」と作詞・作曲森繁久彌の「知床旅情」がメロディーがそっくりだと言われ、はっと思った。譜面がどのように違うのかは知る由もないが、「早春賦」のメロディーに合わせて知床旅情を歌うと素人の私には、その違いが全く分からない。驚き!
 もう何十回も歌っていながら、全く気が付かなった私の迂闊さと言うより「音楽音痴」を図らずも思い知らされてしまった。
専門家には盗作云々の話題になるのだろうが、その歌詞が私たちの心に響くものであればそれで良いので私にはどうでもいい話題であるが、当事者にとっては著作権に関わるだけに深刻な問題。

 今日の講師のお二人は、料人ホーム介護施設でも歌うそうだが、大きく口を開いて一緒に歌う、施設に入所されている皆さんが元気になてくれると、心を豊かにしてくれる音楽の良さを教えていただいた。とりわけ、歌の情景を思い浮かべながら、ジェスチャーを入れて大きな声で歌うと、みんな元気になるという。

 日頃何気なく聞き流していた日本の歌を、時代背景や人々の心情を紐解いてその素晴らしさを教えていただき、心行くまで楽しませてくれた1時間30分間の講演は、最近の九州市民大学の「ヒット企画」。
 またこのような機会があったら是非参加したいものだ。
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# by matutaka31 | 2017-03-22 23:02 | 思いのまま | Trackback | Comments(12)

自らの自然治癒力を実感!

 先月、自らの「慢性硬膜下血腫」による手術の体験による「健康に勝る幸せはない」の一文をアップしたが、その後の経過観察の結果を診断するCT検査(術後7回目)を先日受けた。

 それまでに至る1年間の養生生活は、病魔と言うより己との闘いだったように思える。80年余生き長らえてきた中で体験したこの1年間の生きざまを、これからも続く健康管理の糧にしたいと思い、再び投稿することにした。


 b0008825_22284955.png今回の脳のCT検査の結果は、退院後およそ1年間の治療と自らの養生の結果が示される判決みたいなもので、私にとって長い長い1年間の自己管理の集大成でもある。
 検査の結果主治医が下した判断は、今後症状に変化が出たら直ぐに診断を受けることを前置きし、「血腫の色も少し薄まり、脳のシワの状態も快方に向かっているので、定期的な検査は止めて暫く経過を見ることにしましょう」であった。


 この診断結果に私は、言いようのない喜びと体内に湧き出るようなエネルギーを感じ、心から主治医に「ありがとうございました」と、深々と頭を下げた。

 振り返れば、術後約半年間継続して服用した薬の適格な効果が見られないことから主治医は、9月以降投薬を中止し、日常の注意事項を指示したうえで、しばらく血腫の変化の推移を見ることにした。このことは、長年の治験に基づく判断だとは言え、薬に頼る治療から私の自然治癒力を頼りにする治療に変える処置であった。

 手術直後完全に除去されたはずの血腫が再び溜まり、その血腫がいつまでも脳を圧迫し続けることによる障害が不安な私は、再手術も選択肢の一つかなと内心覚悟しながらも、出来れば頭蓋骨に再び穴をあけることはしたくなかった。
 いつまでも脳を圧迫し続ける血腫を取り除く特効薬はないものかと新たな薬の処方を内心期待もしたが、場所が場所だけに治験みたいな薬漬けになるのは嫌だったので、自分の再生力(治癒力)を試す良い機会を与えられた思いで、素直に医者の診断に従うことにした。

b0008825_22334918.jpg 東洋医学では、「三分吃薬、七分養」と言う考えがあるということを、太極拳の先生に教わったことがある。
意訳すると、病気を治すには薬を飲むことが三分で、あとの七分は養生することであるという意味で、薬に頼ることよりも自分自身で治していくことが大切だと言うことに他ならない。
 このことは、全ての病に通じることではないにしても、局面によっては今でも十分通じる考えで、薬漬けの今の治療法に患者みずからが考え直さなければならないことだと思うし、日ごろからできることなら薬に依存しないでも直せるようにしたいものだと、気になっていたことでもある。

 今になって考えると、その主治医の処置は、医者がそこまで気をまわしたかどうかは別として、私自身が努力しなければならない自身の自然治癒力を引き出す動機付けになり、更にやる気を引き起こさせる大きな原動力になったのは言うまでもない。 
 日常生活の中で自己管理の治療を続けることは、まさに「自分自身が主治医」になることを意味する。
自分が主治医である以上、例え結果が悪くても、人のせいにすることはできないのだ。
 場合によっては、再手術の道へ逆戻りすることになる。
 一方結果が良ければ、自分自身の今後の健康管理に大きな財産を得ることになる。
そう考えると、なんとしてもいい結果を出してやろう・・・と、開き直りみたいな闘争心が湧いてきたのを忘れない。 

b0008825_22383870.gif少々大げさだけれど、日常の思考力・行動力すべてを司る中枢「脳」の働きに関係する部位の回復を自分自身で管理するということだから、見方によっては随分危険きわまる「賭け」に見えるかもしれない。

 でも生まれて初めて経験するこの大きな試みに、実はあまり不安を感じなかった。それには若い頃から自然に親しむ中で度々目にしてきた、植物や動物の自然治癒力・再生力の素晴らしさが脳裏に焼き付いているので、同じように人間にも、それ以上の自然治癒力があることを信じていたから。

 要は、その自然治癒力をどうやって養うか、自然治癒力を養う体力と免疫力をどうやって強化するか、私が自ら答を出さなければならない課題であった。
  投薬が中止になった9月以降はとりわけ、免疫力の強化に繋がりそうな毎日の運動(太極拳、ウォーキング、家庭菜園)を中心に、野菜を欠かさない栄養のバランスを意識した食事に最大の注意力と努力を、それまで以上に気を遣うようになった。

 b0008825_20365598.gif 中でもとりわけ私に自信を与えてくれるのが「健康太極拳」で、免疫力強化のための運動が仕組まれた一つ一つの動きは、これまで以上に、その動きの効果を追い求めるように意識が変わった。
 どうすれば、どのようなものに心掛ければ、目的に近づけるかを意識すれば、自ずから運動の内容も食事の内容にも私なりの答え(自分なりのメニュー)が出てくる。

   「意識が変われば考えも変わる。
   考えが変われば行動も変わる。
   行動が変わればその結果も自ずと変わる」というもの。
   それが私流の主治医の処方箋かもしれない。



頭に振動を与える過激な運動はご法度、好きなお酒も急ブレーキ!
後は、自分の免疫力を強化し体内に潜む自然治癒力を引き出す自分自身との闘いの一年間。

勿論このような養生生活は、自分一人だとついつい楽な生活に流されてしまうので、自分だけで成し得ないことは百も承知の上。家族の協力と私を支えてくださるクラブ活動・ボランティア活動の方々の支援があればこそである。
わがままを許していただき、やさしく見守っていただけることの有難さを、生涯忘れることはできない。

 
 今回の検査結果は、これから先の私の健康管理の一通過点に過ぎない。
 先々、どんな試練が待ち受けているのか皆目見当もつかない。
 でも、今回の体験は少なからずこれからの試練に向き合う、一つのヒントを与えてくれたように思う。
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# by matutaka31 | 2017-03-17 21:30 | 思いのまま | Trackback | Comments(9)

毛嵐(けあらし)

 静かに晴れ上がった朝、窓を開けたらぴんと張り詰めたような冷気を感じる。通りを隔てた東側のブロック塀の向かい側のため池から気嵐(けあらし)と言える程のものではないが、水面からゆらゆらと湯気のようなものが立ち上がっているのが目に付いたので、シャッターを押してみた。

 動画で撮ればよかったのだが、とりあえず写るかどうか撮ってみようと思って撮ったのがこの写真。(ため池の向う側の家はプライバシーを考え、ぼかしている)

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角度を変えて二階から撮ろうと思ったら、光線の具合で全く見えなかった。
規模が小さいからだろうか?、見る角度によって見えたり見えなかったりするらしい。

 最近早朝で歩くことが少なくなったため、めったに目にしない現象だから、果たして「毛嵐」でよかったかな?と、ふと記憶が不安になり、念のため辞書を開いた。

小さな国語辞典にも広辞苑にも「毛嵐」の表現はない。
 記憶違いかな?と思いながらインターネットで検索してみた。
「穏やかに晴れた朝、海面からもうもうと風呂場の湯気のように蒸気が立ち上ることがあります。
中略  これを北海道では「けあらし」と呼んでおり、語源は留萌地方で使われていた北海道の方言でした。」とあった。

 毛嵐は今では、海に限らず川湖などで起きる現象に使われる慣用句で、気象用語では「蒸気霧」と呼ばれることを、この年になって初めて知った。
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# by matutaka31 | 2017-03-11 22:49 | Trackback | Comments(10)