作り続けて5年目になる被爆稲、今年もやっと穂が出た。
被爆証人として、命ある限り被爆体験を後世に語り継がなければならない・・・そんな思いを込めて、鉢植えの被爆稲を居間のすぐ前の庭に置いて、この目で毎日見守っている。
今年は蒔いた籾をスズメに食べられ、蒔き直しをしたので種蒔き時期が遅れてしまって、あわや種を絶やしてしまうのではないかと心配する場面もあったが、何とか出穂までこぎつけた。
8月9日、
「被爆65周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参列した時出会ったある被爆者の方から聞いたことだが、爆心地周辺には、被爆当時まだ田圃が残っていたそうだ。
被爆の前かその前の年だったと思うが私は、入院していた母の見舞いに爆心地に近い長崎大学病院に何度か行った記憶があるのだが、その周辺に田圃があったかどうか記憶がない、・・・。
その長崎大学病院近くの田圃で生き残っていた稲の種が65年経った今でも、多くの心ある人たちによって作り継がれている。
その生き残りの一部が、この65代被爆稲である。
私の原爆体験