「オッペケペー節」と言えば川上音二郎、川上音二郎と言えば自由民権運動とオッペケペー節を思い出す。
博多の川端通り商店街入り口角に、川上音二郎の銅像が静かに鎮座している。
今まで何度もその前を通り抜けているのだが、ある人に教えられるまでその存在に全く気がつかなかった。
川上音二郎の銅像が、生地、博多 対馬小路より少し南に離れた川端町にあるのは何故だか分からないが、生地とは別の場所に座らせられているのが不満なのか、心なし寂しそうに見えた。
川上音二郎のことを書くつもりはないが、
「オッペケペー節」 なるものの歌詞を一度改めて読んでみた。
オッペケペーは、一種の囃子言葉で特に意味を持たないようだ。
例えば炭坑節の・・・さぞやお月さんけむたかろう
サノヨイヨイみたいなもだと思うが、自由民権思想を鼓吹した歌であることから、官僚など特権階級や上流階級、またそういう地位にある人を嘲う言葉の響きがある・・・と解説する向きもある。。
黄泉の国から音二郎の目には、今の日本の官僚・政治家はどのように映るのだろうか。ひょっとすると、現代版「オッペケペー節」を歌いたくなっているかも知れない。
オッペケペー節
権利幸福きらいな人に 自由湯をば飲ましたい
オッペケペッポーペッポッポー
かたい上下かどとれて マンテンズボンに人力車 いきな束髪ボンネット
貴女に紳士の扮装(いでたち)で うわべの飾りはよけれども 政治の思想が欠乏だ
天地の真理がわからない 心に自由の種をまけ
オッペケペッポーペッポッポー
亭主の職業は知らないが おつむは当世の束髪で 言葉は開化の漢語にて
晦日の断り洋犬(かめ)抱いて 不似合いだ およしなさい 何も知らずに知
った顔 むやみに西洋鼻にかけ 日本酒なんぞは飲まれない ビールにブラン
デーベルモット 腹にも慣れない洋食を やたらに食うのもまけおしみ 内緒
でそーッと反吐ついて 真面目な顔してコーヒ飲む おかしいねえ オッペケ
ペー
オッペケペッポーペッポッポー
米価騰貴の今日に 細民困窮省みず 目深にかぶった高帽子 金の腕輪に金
時計 権門貴顕に膝を曲げ 芸者たいこに金を蒔き 内には米を倉につみ 同
朋兄弟見殺しに いくらじひなき欲心も 余り非道な 薄情な 但し冥土のお
みやげが じごくで閻魔に面会し わいろ使うて極楽へ 行けるかえ ゆけな
いよ オッペケペー
オッペケペッポーペッポッポー
お妾権妻嬢さんに 芝居見せるは不開化だ 勧善懲悪わからない 色気の所
に目をむいて だいじの夫をそでにして 浮気すること必定だ お為にならな
いおよしなさい 国会ひらけたあかつきに 役者にのろけちゃいられない 日
本大事に守りなさい 眉毛のないのがおすきなら かッたいお色にもちなんせ
目玉むくのがおすきなら たぬきとそいねをするがよい オッペケペー
オッペケペッポーペッポッポー
洋語なろうて開化ぶり パン食うばかりが改良じゃない 皇国の権利を拡張
し 国威を張るのが急務だよ 知識と知識の競(くら)べ合い キョロキョロ
いたしちゃ居られない 究理と発明の先がけで 異国に劣らず やっつけろ
神国めいぎだ 日本ポー