地元仲間の「歩こう会」10月例会で、かって「東洋一」と謳われた日本陸軍航空拠点だった、大刀洗飛行場跡地に整備された、「筑前町立大刀洗平和祈念館」と近くの「キリンビールコスモス園」を訪れた。
大刀洗平和祈念館の説明書には「そこでは多くの若者たちが「大空への夢」を目指して青春の熱き血をたぎらせながら汗を流し、・・・」とある。

(館内で唯一撮影が許可された展示物)
館内に入ると、世界で唯一現存する零戦32型の雄姿が、日の丸も鮮やかに目に飛び込んでくる。
「零戦」といえば、「零式艦上戦闘機」の略で、航続距離・重武装・戦闘性能に優れ、当時の連合国軍パイロットから
「ゼロファイター」として恐れられた戦闘機であるが、この事実を知る年代層は、昭和一桁生まれの人たちまでだろう。
鹿児島県の知覧特攻平和会館でもそうであったが、私が釘付けになったのは
「遺された言葉と思い」の展示だった。
「死を覚悟した若い兵士達が、愛する家族へ残した手紙や遺書」は、一様に凛々しく写った写真と達筆で、涙なしには読めない。
この手紙や遺書に書かれた内容とは別に、本心は生き延びたい!、死にたくない!無念さを必死でこらえて書いた気持を慮ると、さぞや無念だったに違いないと思うと言葉を失ってしまう。
教育が与える影響の恐ろしさを、改めて考えさせられる。
団体で見学に来ていた中学生に「君達はこの内容を実感できるかね?」と聞いてみた。
答えは「出来ません」の一言。正直な気持ちだろう。
同行仲間の一人が、方々で目につく看板の「大刀洗」と「太刀洗」の、「太」と「大」の違いに気がついた。
誰も分からなかったので、後刻町役場に問いわせたところ、町村合併前の町名は「大刀洗」で、その中の小字名に「太刀洗」があったことから、小字に由来するところの名称は「太刀洗」を踏襲しているとのこと。
従って駅名は「太刀洗駅。
キリンビール福岡工場内のコスモス園」は、1千万本ともいわれるコスモスが満開で、大勢の見物客で賑わっていた。
