70年前の12月8日、日本は真珠湾を攻撃し連合国に宣戦布告した。私は終戦の日はかすかにの記憶しているが、この開戦日の記憶はない。
開戦から70年過ぎた12月8日とその翌日、私は福岡市で行われた九州地区原爆被爆者相談事業講習会に参加した。
日本は、この戦争によって広島・長崎両市が原爆被害を受け、アメリカの原爆実験によるビキニ環礁での被爆、そして原子力の平和利用の基に作られた福島原の発事故と相次ぐ被爆と被曝で、皮肉にも世界で放射能の被害が多い被ばく大国になってしまった。
だから私に限らず参加した人たちは、広島・長崎での被爆体験だけでなく、福島で被曝した人達の今後のことを思い複雑な気持ち参加したに違いない。
270余名が参加した講習会の模様
講習会では「被爆者の健康問題の現状」と題し、長崎原爆病院院長 朝長万左男先生の講演があった。
その講演の中で、私は次の部分に衝撃を受けた。
「入院ガン患者のうち(転移ではない)多重ガンの発生が多いのが特徴的にみられる。66年過ぎた現在でもこうした多重ガンが発症することは、被爆によって人体のDNAが何らかの損傷を受けているためで、被爆の影響が生涯持続することを物語っている。」という主旨の部分である。
先生の話によると、広島・長崎では当時放射能の測定がなされていないため未知の部分が多いが、疫学的にみて、1,5km以内で100ミリシーベルト以上の被爆者ではガンの発生率が高い傾向がみてとれるとおっしゃる。
福島の原発事故ではかなり細かく測定されているので、今後の健康管理のあり方についていろんなことが解明されるであろうとも。また、世界も日本の今後の健康管理に注目している、とも。
被爆当時から放射能によるDNAの損傷は言われていたが、66年経過した現在、そのことを裏付けるような多重ガンの発生が今なお続いている現実は、現在健康である私の体内でも免疫力が低下すればいつでもガンの発病につながる可能性を秘めているということにつながる。
改めて被爆の怖さを認識させられ、今まで以上に自分の健康を保持する努力を怠ってはいけないと肝に銘じた。
原爆者の平均年齢は既に77,6歳の高齢になってしまったが、今なお約22万人の被爆者が闘病中もしくは現在健康状態であるが発病の不安を抱えながら暮らしている現実があるうえに、新たな原発事故の被害は子供から大人まで幅広い年齢層に及ぶ多くの人たちに大きな犠牲と不安を背負わせる結果となってしまった。