小生のブログ
「被爆稲を作り継ぐ」が某テレビ局の目にとまり、ブログに込められている思いについて、昨日(8/3)午後、自宅で取材を受けた。
取材の目的は、8月9日の長崎原爆忌に合わせて放映予定番組の一部に
「今も被爆稲を作り続け人々の思い」をいろんな角度から切り込む特別番組の取材だったようだ。
特に長崎在住でなく福岡に住む私が、被爆稲を作り始めたきっかけと動機、更に今、どのような思いを込めて作り続けているのかについてが主な取材目的であったが、その他被爆当時10歳の私が体験した、原爆炸裂の瞬間の様子がどのようであったかを尋ねる等々であった。
右の写真は、6月24日鉢に移植した5株の被爆稲(8/4現在)の様子
久しぶりのテレビカメラが至近距離に迫る取材でやや緊張したが、巧みなディレクターの誘導に助けられ、取材目的に副えたかどうか分からないが、約1時間半の取材になんとか自分の考えを伝えることが出来たと思っている。
それにしても長時間の取材に対し、実際放映されるのはわずか数分程度に編集されることを思うと、取材する方もされる方もご苦労なことである。
被爆稲を作り続ける私の思いは、ブログやホームページに縷々書き込んでいるので、改めてくどくど書くつもりはないが、
原爆炸裂直下で奇跡的に生き残った稲の「種」を絶やすことなく作り続け、何らかの損傷を受けていると見られる遺伝子が代々受け継がれる姿を一人でも多くの人々に実感してもらうこと、と同時にこの被爆稲を作り続けることが私自身原爆被害の実相を風化させないことに繋がると思うからである。
私はこれまでに6回、長崎原爆犠牲者慰霊追悼平和祈念式典に参加したが、広島の原爆ドームのような被爆遺産が少ないせいか、式典を通じ、被爆当時の悲惨な実相が浮かび上がらないとの思いが拭えなかった。
2011年式典会場の模様
取材の合間にディレクターと話し合った、
長崎で奇跡的に生き残った被爆稲を式典当日に大々的に展示することができれば、被爆体験を風化させない存在として大きくアピールするではないか・・・/云々は、これから私が取り組もうと思っている被爆稲の存在をアピールする活動に一つのヒントを得たように思う。