先日、いつも利用する福岡市営地下鉄「西新駅」~「唐人町駅」間の地にゆかりのある貝原益軒、中野正剛、平野國臣の遺跡を、仲間と訪ね歩いた。
今回は、最初に訪ねた「貝原益軒の墓と銅像」のある「金龍寺」と貝原益軒の「養生訓」に触れてみることにした。 金龍寺は、1508年(永正5年)、原田興種が現在の糸島市高祖の地に建立したが、1611年福岡城下の荒戸山に移された後、福岡二代藩主黒田忠行の時、現在地に移ったとのことである。
その糸島市高祖には、その後、地元の人たちにより同じ名前の「金龍寺」が再建されたという。
←左の写真は、現在糸島市高祖にある「金龍寺」 したがって、福岡市内の耕雲山金龍寺と糸島市高祖の太祖山 金龍寺は、今で言う本家(耕雲山金龍寺)と分家の間柄になると思われる。
お寺の背後の山は、高祖山(416m) 金龍寺境内にある貝原益軒の銅像と墓貝原益軒の銅像(逆光で表情がみえないが、実像は凛々しい顔つきである)貝原益軒・東軒夫妻の墓、右側が貝原益軒 貝原益軒と当時の金龍寺住職が昵懇の間柄だったことから、このお寺に葬られたという。
貝原益軒(1630~1714)は、福岡藩士貝原寛斎の五男として城内で生まれる。 儒学者で数々の著書を残しているが、中でも大衆健康書とも言われるのが
「養生訓」は、今でも多くの人々に親しまれている。
これまで「養生訓」については概念的に知る程度で、その内容を詳しく読んだことはなかったので、墓を訪れた機会に改めて原文を興味深い項目を一通り読んでみた。
読み易く書かれているので、一部現代カナ使いでは分からないところが少しあるが、さほど問題なく読み下すことが出来た。今から約300年近く前にかかれたにもかかわらず、その内容の多くは、今でも私達の生活信条として心しておきたいことが多いことに驚く。
内容は、内欲(飲食、性欲)を抑え、外邪(寒熱)を防ぐ等健康維持への努力を強調し、飲食、飲茶、煙草(たばこ)、慎(しん)色欲、五官、洗浴、慎病、択医、用薬、育英、鍼(はり)、灸(きゅう)等々についての考えが具体的に書かれている。
その中で特別心を惹かれたのは「三つの楽しみ」と「呼吸法」がある。 「三つの楽しみ」は自身の生き様に通じる点があり、「呼吸法」は7年来続けている修行中の太極拳の効用を再認識させてくれる内容だから、・・・。
人生の三楽に関する内容は、当時、身分制度や社会のしきたりが厳しい時代にありながら、ここまではっきり言い切っていることに驚かされる。
原文ををそのまま転記しよう。
「およそ人の楽しむべきこと三あり。 ひとつは道を行ない、ひが事なくして善を楽しむこと。 二つは身に病なくして快く楽むにあり。 三つには命ながくして、久しくたのしむにある。富貴にしても、この三の楽なければ、まことの楽なし。 故に富貴はこの三楽の内にあらず。もし心に善を楽まず、また養生の道をしらずして、身に病多く、そのはては短命なる人は、この三楽を得ず。人となりてこの三楽を得る計なくんばあるべからず。この三楽なくんば、いかなる大富貴をきはむとも、益なかるべし。」