6月19日、福岡市民会館で行われた「福岡市戦没者合同追悼式」に、一般参列者として今年も参加した。
福岡市関係の戦没者、戦災死没者、並びに引揚死没者の方々に追悼の誠を捧げるため(市の案内文)。
式辞を述べる主催者 高島市長
式は淡々と、分刻みのスケジュールどおり執り行われた。
6月19日の福岡大空襲の様子や戦争の悲惨さを訴える、映像もなにもなく、一般参加者の献花もないまま・・・。
参列者は高齢者が多く、会場は空席が目立つ。 若者や子供達の姿はなく、戦争を知る世代の減少を否が応でも実感させられる。
一方、壇上の来賓席には、大勢の参列者が所狭しと席を連ねている。
県知事の追悼の辞は、担当部の次長が代読。国会議員、県会議員は全て秘書が代理参列、市議会議員は全員かどうか分からないが本人が参列。
老若男女を問わず多くの遺族・市民が集い、戦没者の霊を慰めると同時に、再び同じ過ちを繰り返さないと誓い合う式典だと思っていた私には、いま一つ釈然としない気持がよぎる。
その日の夕刊に、別の団体が主催した慰霊祭で、子供達が献花する様子が載せられていた。この違いは一体なんだろうか。
型どおりの官製追悼式から市民の心が次第に遠ざかっていく・・・、その姿を、目の当たりに見るようだった。
戦争の被害がジワジワ風化していく現実を見せ付けられるようで、一抹の不安が私の心を覆う。反面、戦争被害の実相を語り続けることの大切さを、改めて心に誓う一日であった。