NHK朝ドラ「花子とアン」で話題が復活した感がある、筑豊の炭鉱王伊藤伝右衛門と華族出身の柳原燁子(白蓮)の生涯に触れてみたいと思い、同じ思いの仲間を誘って、飯塚市にある「旧伊藤伝右衛門邸」を訪ねた。
福岡の別邸「銅(あかがね)御殿」から移築したものという長屋門には、入り口に「旧伊藤伝右衛門邸」の札がかかっていた。
重厚な門構えに似つかわしくない軽い感じの文字に違和感が・・・。
説明書に「この建物は筑豊の著名な炭坑経営者であった伊藤伝右衛門の本邸として明治30年代後半に建造。大正初期、昭和初期に数度の増改築が行われました。・・・見所は和洋折衷の調和の取れた美しさ、柳原燁子(白蓮)が伝右衛門の妻として約10年間を過ごしたゆかりの地であり、伝右衛門や白蓮に思いをはせる場でもある。」とあった。
中に入ってみると、流石に炭鉱王に相応しい邸宅と庭、敷地面積:約2200坪、建物床面積:約300坪。
正面2階が白蓮の部屋
白蓮の部屋から庭の眺め、白蓮は日頃何を思ってこの庭を眺めていたのだろうか・・・。
隠元書掛け軸
掛け軸は全く読めなかった。
説明書によると、右側は、「年を祝うは、時を惜しむにしくはなし。身を愛するものは学を侮るなかれ」、左側は、「忠孝吾家の宝、歴史は吾家の田」、とあった。
建物の中の展示物は、伝右衛門と白蓮の足跡を見るようで、それまで知らなかった夫々二人の生き様が次第に明らかになり、ドラマや本などから知りえていた知識とは別の部分が見えてくる。
伝右衛門の生涯は、成り上がり実業家のイメージと異なり、社会活動家としての意外な面が浮き彫りになり、白蓮も三行半で世間を騒がせた我侭な女性像のイメージから、最初の不幸な結婚から別れて今度こそ本当の愛を受けたいという思いで再婚したはずだったのに、宮崎龍介への思いが募る日々が・・・。
ついでに「嘉穂劇場」を見物して、思い出と収穫の多い歴史探訪の一日が過ぎた。
嘉穂劇場
劇場内部