先日ある小学校で二宮尊徳像に出会った。
小学校に行く機会が多くなった昨今ではあるが二宮尊徳像に出会ったのは初めてであり、懐かしさを感じると同時に、教育に取り組む学校の姿勢がうかがわれて内心ほっとした瞬間でもあった。
なぜなら私たちの子供の頃は、必ずと言っていいほど小学校にはこの二宮尊徳像があった記憶があるから。
と言っても、二宮尊徳像の教育的意味は知っていても、二宮尊徳の人物像について詳しいことは忘れてしまって・・・。
そこでネットで情報を集めると、二宮尊徳とは・・・
名前:二宮金次郎(にのみやきんじろう)
本名:二宮尊徳(にのみやそんとく)
1787~1856
出身地:相模国(現在の神奈川県)
江戸後期の農政家・思想家。相模の人。
通称、金次郎。農家に生まれ、没落した家を再興。
のち、諸藩・諸村の復興に尽力、幕臣となった。
徹底した実践主義者
ところがこの二宮尊徳像をめぐって、意外なことを知ることに・・・。
それは、子供の教育上好ましくないという一部の父兄からの苦情で、二宮尊徳像が撤去されたり座像に作りかえられている事実があるという。
薪を背負って歩きながらでも本を読んで勉強した、その勤勉さの象徴的な像を何故?
そこにはにわかには信じられないような、父兄の意見があったという。
その意見とは、
○ 歩いて本を読むのは危険
○ 努力する姿は素晴らしいが、子供が働く姿を称賛するかのような印象を与える
○ 歩きスマホを助長するかのようで、好ましくない。
○ 「ながら行動」をしないような指導にそぐわない
私は本末転倒ではないか、瞬間そう思った。
上にあげた諸々の意見は、ただそれだけを見ると、夫々ごもっともなことである。
しかし二宮尊徳像の教育上の意味することとは、全く別次元のことである。
二宮尊徳が生きていた時代は今と違っていたこと、本を読むこともままならない貧しい生活の中で懸命に勉強した姿であること等々、先生や父兄が生徒にきちっと説明すれば、今の生徒たちはきっと理解すると思う。
学校の先生たちも父兄も、時流に流されないで、日本固有の歴史をもっと大切にし、歴史上の事実を伝える教育の在り方を考えてほしいと心から願っている。
お・わ・り