あけまして
おめでとうございます。
皆様のご健勝ご多幸を
お祈りいたします。
⇒娘が東京へ帰る機内から撮って送ってくれた、今朝(1/2)の富士山
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インターネットバーチャル日本一周ウォーク、ただ今、小名浜から茨城県高萩に向かっている。
12月歩いた距離は、124㎞、一日平均4.0㎞、なんとか目標到達。
昨年1年間歩いた距離は、1,526km、一日平均4.2㎞、年間通して目標到達。
2年目を終えて、歩いた距離は3,601km、全長8,955㎞の37%
さ~これから先、暫くの間想い出多い関東地方を通る。始まりは茨城県から。
茨城県人との最初の出会いは、大学で出会った粋のよい茨城県笠間市の出身の男だった。茨城弁丸出しで、明るくて楽しい男だった。
仕事でも、多くの茨城県の人達との出会いがあり、数々の忘れがたい良い思い出が蘇る。
そんな思い出多い茨城にあって、「鹿島港神栖町」と「つくば市」は、特に忘れられない出会いがあった所。
世界有数の掘り込み港で有名な鹿島港にある支店に、何度通ったことか。数万トンの外航船が横付けできるバースを幾つも備えた人工の一大貿易港。日本の港湾開発技術を世界に誇る港でもある。
そこで起きてしまった思いがけない事故は、私にとって生涯忘れることできない。どんな事故?それは私の胸の中にしまっておこう。
白砂青松の村が、一躍世界有数の貿易港に(鹿島港の概要から引用)もう一か所は、つくば市。
つくば市は私が現職の頃、職場の研究施設があったところ。その施設で取り組んでもらった二つの実験は、図らずも私の学生時代からの夢(広い意味での食糧自給率の向上)を追いかける事業につながる内容で、生涯忘れることができない胸が膨らむ思い出が残る。 どんな実験?それを書き出したら一冊の本になるかも。(^◇^)
その二つの実験(試験)の材料を求めて、アメリカの研究施設を南から北の端まで飛びまわったこと、また、ある種の酵母を求めてソ連時代にモスクワ経由カザフスタンに行ったことも、新規事業を追い求める私の血が大いに騒いだ思い出として残っている。
この外まだまだ公私ともに様々な思い出が一杯詰まった茨城県。これから行く先々で昔を懐かしみながら、元気で歩き続けることにしよう。
2018年のスタートにふさわしい地に到達できたことに感謝!
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