この時期とりわけ春雷の後、物覚えの悪い私でも、必ずというくらい思い出す漢詩がある。
春眠不覚暁(しゅんみんあかつきをおぼえず)
処処聞啼鳥(しょしょていちょうをきく)
夜来風雨声(やらいふううのこえ)
花落知多少(はなおつること 知る多少ぞ)
昨日太極拳教室の後、晴れ上がった陽気に誘われ、仲間と福岡城址舞鶴公園に梅の花を観に行った。
満開になった梅の花は、ここ2~3日吹き荒れた季節風で散ってしまったのではないかと気になったが、見頃をやや過ぎていたけれど昨夜来の風雨にも耐え、散ることもなく白やピンクの花がたくましく咲いていた。
梅園では思いの外観梅客も多く、写真を撮ったり、のんびり眺めたり思い思いに花を愛でている長閑な光景が見られた。風貌では分からないが、会話の様子から、中国の人達が多かったように思えた。
何年か前にもブログで紹介したが、漢詩「梅花耐風雪 到時放雅香」(梅の木は風雪に耐えて立っているが、時到れば花咲き、雅香を放つ)を思い出しながら、少し強い風が吹く中、梅の花の良さを話題にしながらのんびり見てまわった。
梅花耐風雪 到時放雅香 見てまわるうち、梅の花の香りがしないことに気がついた。高齢で臭覚が鈍ったのではないかと瞬間我が身の臭覚を疑ってみたが、前日までの風雨で香りが飛んでしまったのだろうか、それとも当日も風が強かったせいだろうか、いつもの梅花特有の芳香は残念ながら感じられなかった。
観梅を楽しんだ後、久しぶりに広い福岡城址を散策した。
まだ木々の新芽も名物の桜の蕾も硬いままだが、本丸跡にはもう、ヨモギの新芽が伸び西洋たんぽぽの花が咲いていて、春の気配が漂っていた。
西洋たんぽぽの花
天守台に上がると、傍の大濠公園のはるか向こうに、福岡市のシンボル「福岡タワー」が春霞に煙っていた。
正面に見えるのが大濠公園、その右奥の方に福岡タワーが
午前中の太極拳教室で先生が、春にちなんで
、「以春風接人 以秋霜慎己」について話をしてくださった。
初めて聞く言葉だったが、幕末の儒学者 佐藤一斎[さとう・いっさい]の言葉だという。
春風(しゅんぷう)をもって人に接し、秋霜(しゅうそう)をもって自ら粛(つつし)む。
「人に対しては春風のように優しく爽やかに接し、自分自身に対しては秋の霜のように厳しく行いをただすこと」という教え。
この含蓄ある言葉、もっと若い頃聞いていればよかった(^o^)
今となっては遅すぎるが、せめてこれから先、心して人に接し、己にもストレスにならない程度にほどほどに厳しく生きていくことにしよう。
人間幾つになっても、まだ学ぶことばかり。
でも、こんな話を聴ける機会があること自体、私にとっては幸せなことで、感謝・感謝!!。
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